【再婚していた】内野聖陽の実家はお寺でお金持ち?父親と母親は?兄弟についても調査

 

 

俳優として活動している内野聖陽さんですが、実家について調べてみると、あるお寺の息子だったということがわかりました。

内野聖陽さんの実家はどこにあるのか、両親はどんな人なのか、気になりますね。

今回は、内野聖陽さんの実家や家族について紹介します。

 

内野聖陽の実家はお寺でお金持ち?
小机駅の前にあるお寺です。
雲松院です。
小机城の城主、笠原氏が建てたお寺らしいですね。
そして何と!俳優の内野聖陽さんのご実家らしいです。
法事で忙しそうな中、御朱印の対応して頂きました。

内野聖陽さんの実家は、神奈川県横浜市港北区にある曹洞宗のお寺「雲松院」です。

 

こちらは、小机城(史跡指定)の城主であった小田原北条家の家老笠原越前守信為によって、主君北条早雲と亡父能登守信隆の菩提を弔うために、1525年(大永5年)に建立されました。

現在は内野聖陽さんのお父さんの弟さんが住職になっています。

内野聖陽さんは実家がお金持ちであったと発言したことはないものの、雲松院が歴史のある立派なお寺ということで、裕福な家庭であったことは間違いないようですね。

 

内野聖陽の父親
内野聖陽さんのお父さんは、雲松院の住職でした。

お父さんは内野聖陽さんが誕生してから「跡を継いでほしい」と強く願い、小さな頃から跡取りとして厳しく育てていたそうです。

当時について内野聖陽さんは「毎日、朝御飯を食べる前に”五観の偈”というお経を唱えていました。父は怖くて、足に砂利が刺さるようなところで正座させられたり、げんこつとかのお仕置きがありました」と明かしています。

そして内野聖陽さんは中学校から東京の仏教系の中高一貫の名門校(世田谷学園)に通い、大学も仏教系の大学に合格していました。

しかし親が敷いたレールに乗ることに疑問を感じた内野聖陽さんは、両親の反対を押し切り早稲田大学に入学、俳優としての道を歩み始めたのです。

お父さんは内野聖陽さんが住職になることを諦め始めたものの、完全には気持ちが吹っ切れず周囲には「おれが死んだらわからんよ。継ぐっていい出すかもわからないから」と話していました。

そのため、内野聖陽さんに対し「住職になるのか、ならないのか」と決断を迫らなかったそうですよ。

2002年にお父さんが亡くなると、葬儀の席で内野聖陽さんは「私は中途半端な気持ちで役者をやっているつもりはありません。このまま役者を続けようと思っていますので、住職の跡を継ぐことはできません」と宣言しました。

 

内野聖陽の母親
内野聖陽さんのお母さんは、一般人のため名前や顔写真などは公表されていません。

お父さんが亡くなり、内野聖陽さんが「お寺を継がない」と宣言してからは絶縁状態になってしまっていたそうです。

しかし内野聖陽さんが離婚したときに子供と会えない寂しさを痛感、そしてお母さんの大切さを感じ、自らお母さんに会いにいって「もう一度親子を始めよう」と関係を修復させました。

その後横浜のアパートでひとり暮らしをしていたお母さんを内野聖陽さんの自宅から徒歩10分ほどのマンションに呼び寄せ、今では内野聖陽さんの子供と3人で会うこともあるそうです。

 

内野聖陽の兄弟
内野聖陽さんには、お姉さんが2人います。

しかし、お姉さんは一般人ということで、情報がありませんでした。

内野聖陽さんは末っ子ですが、長男ということで跡取りとして育てられていました。

 

初めに内野聖陽さんの、wikiプロフィールをご紹介します。

名前:内野聖陽(うちの せいよう)
生年月日:1968年9月16日
年齢:55歳
出身地:神奈川県横浜市
学歴:早稲田大学政治経済学部政治学科
身長:177㎝
事務所:スターダストプロモーション
内野聖陽さんは横浜市出身で、実家は曹洞宗寺院です。

仏教専修科のある世田谷学園高等学校を卒業後、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。

在学中の1992年24歳の時に、文学座研究所に入所しました。

経歴
文学座研究所の同期には、俳優の寺島しのぶさんがいたそうです。

実家の寺を継がないことで、家族の反対にあいますが俳優になる道を選択。

内野さんは、横浜にある寺院の住職の長男として生まれました。幼い頃から食事の前に読経をするなど、“跡取り息子”として厳しく育てられたのです。ですが役者になるという夢をかなえるため、実家のお寺を継がないことを決意。内野さんはそのことを申し訳なく感じているといいます」

1996年28歳で、NHK朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』に出演。

翌年には『ミセスシンデレラ』に出演

文学座の座員として活躍しながら、ミュージカルなどにも出演を果たします。以後テレビ、舞台、映画等数々の作品に出演。

2007年39歳で、大河ドラマ『風林火山』で主役の山本勘助を演じました。
私生活では『エリザベート』で知り合い交際を続けていた一路真輝と2006年5月に婚約を発表。
7月末に結婚し、10月末に女児が誕生。結婚した時点で『風林火山』の撮影に入っており、披露宴は『風林火山』の撮影が終了した2007年10月25日に行う。
2011年8月18日に、別居後、離婚届を提出したと連名のFAXにて発表した[8]。娘の親権は一路が持つ。

2012年文学座を退団。
所属事務所のスターダストプロモーションとは業務提携を結び、個人事務所を設立。

2013年読めない人が多いからという理由で芸名を「うちのまさあき」から「うちのせいよう」に変更。

2019年、舞台『化粧二題』で一人芝居を演じ芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

2021年11月、令和3年秋の褒章で紫綬褒章を受章しました。

2023年10月からは『きのう何食べた?season2』が始まりました。

 

内野聖陽の再婚した嫁は誰?元女優の小山あずさとは事実婚!
内野聖陽さんの嫁についてですが、

再婚はしていないようです

ですが、交際が6年になる彼女がいるようです。

「2人の交際が初めて報じられたのは、内野さんが離婚してから8年後の’19年。その1年以上前から交際していたそうですので、交際期間はすでに6年目となります。

事実婚
事実婚のお相手は、女優の小山あずささん、17歳年下で交際は6年。事実婚状態にあるそうです。

愛車で自宅に戻ってきたのは内野聖陽(55)だった。その助手席に乗っていたのは女優で恋人の小山あずさ(38)。17歳年下の女優恋人を個人事務所の社長に!交際6年目で“事実婚”状態に

小山あずささんのwikiプロフィールをご紹介します。

名前:小山あずさ
生年月日:1985年1月12日
年齢:38歳
出身地:東京都
学歴:首都大学東京大学院理工学研究科生命科学専攻
身長:173㎝
所属:無名塾2011年~2012年
大学では抗菌ペプチド遺伝子の分子進化について研究し論文を発表、中学・高校の理科・生物の教論免許も取得しているそうです。才女ですね!

小山あずささんは26歳で無名塾入りし、『ブラックリベンジ』や『デザイナーベイビー』などのドラマに出演。

『サメと泳ぐ』など、数々の舞台にも出演しています。

馴れ初めは?

お二人の馴れ初めについてですが、演出家千葉哲也の紹介で知り合った

お二人は内野聖陽さんの友人、演出家の千葉哲也さんを介して知り合ったと報じています。

内野さんは文学座出身で、今も舞台関係者と交流が続いています。小山さんが出演した『サメと泳ぐ』の演出を務めた千葉哲也さん(55才)とも内野さんは古くからの友人で、ふたりは千葉さんを介して知り合ったそうです」

 

元女優の小山あずさは事務所の社長!
小山あずささんは、2023年に内野聖陽さんの個人事務所の社長に就任したと報じています。

個人事務所社長に就任

個人事務所の代表取締役は、ずっと内野さんの実母が務めていました。しかし実母も80代半ばとなり、体力も落ちてきたようです。そこで今年1月1日、新しい代表取締役に、恋人の小山あずささんが就任したのです

この個人事務所は、以前は内野聖陽さんの母親が代表取締役をしていたようです。

2002年の父親の逝去後、実家の寺院を親戚が継いだことで母親は実家を出ることになり、内野聖陽さんがそばで支えていたとのこと。

内野さんのお父さんが亡くなったのは’02年ごろです。その後は親戚の方がお寺を継ぎ、それに伴ってお母さんも実家を出ることになったそうです。’11年に個人事務所を設立した内野さんは、お母さんを代表取締役に据えています。内野さんには、『父の亡き後は自分が母を支える』という意思があったのでしょう。

現在も、内野聖陽さんが母親の近くに住み献身的に支えていると報じています。

80代のお母さんは、内野さんが住んでいる一軒家から車で2~3分のところにあるマンションで一人暮らしをしています。この数年で急に足が悪くなったそうで、介護も必要な状態になっているようです。内野さんはそんなお母さんの元へ生活必需品を運ぶなど、日頃から献身的に手伝っているのです。

母親とも家族同然の仲

内野聖陽さんの母親も小山さんに全幅の信頼を寄せており、“家族同然”と考えているようだと報じています。

 

 

 

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