【結婚は3回!】杉咲花の父親・木暮武彦がロックすぎて接点なし?

すぎさき

杉咲花さんはドラマ「アンメット・ある脳外科医の日記」(2024年4月15日から)主演・川内ミヤビ役を演じています。

杉咲花さんの父親がどんな方か気になりますよね。

今回は杉咲花さんの父親について解説します!

杉咲花の父親・ロックギタリストの木暮武彦

きぐれ画像引用元:WareHouse

杉咲花さんの父親は、レベッカの元ギターを担当していた木暮武彦(こぐれ)さんです。

レベッカを知っている方は、木暮武彦さんについて詳しく知っている方もいるようですが、木暮武彦さんがどんな方か詳しく知らない人もいると思います。

木暮武彦さんはどんな方でしょうか?

木暮武彦ってどんな人?

木暮武彦さんは1984年にレベッカのメンバーとしてデビュー、レベッカというバンド名の名付け親でもあります。

ところが、曲作りでも中心的な役割を担いましたが、2枚のアルバム発表後脱退しました。

1985年に田所豊(ダイアモンド☆ユカイ)さんらとRED・WARRIORSを結成し、翌年に再デビュー、レベッカと同じRで始まるように命名しました。

1989年の解散までに、オリジナル・アルバム4枚とライヴ・アルバム1枚発表しました。

1990年にアメリカで活動しますがここでまさかの行動を起こします。

杉咲花の父親は3回結婚していた!

杉咲花さんの父親・木暮武彦さんは2024年、現在まで3回結婚しました。

過去3回の結婚相手はどんな方でしょうか?

木暮武彦の1回目の結婚相手は同じバンド「レベッカ」のNOKKO

すぎさき画像引用元:出会いと別れと人生と

木暮武彦さんとレベッカのボーカル・NOKKOさんは1990年に結婚しました。

この当時木暮武彦さんはアメリカで活動されており、NOKKOさんはそんな木暮武彦さんを追ってアメリカに渡り結婚されたようです。

レベッカは1982年に木暮武彦さん(シャケと呼ばれていた。)がリーダーとなり、結成当初は男性ボーカルでしたが、「DOLL」のボーカルだったNOKKOさんが加入しました。

1985年に木暮武彦さんが音楽性の違いにより脱退、NOKKOさんはそのままレベッカのボーカルを続けていました。

木暮武彦さんはレベッカ脱退後もNOKKOさんと関係を持っていたようで、レベッカ時代、一緒にロサンゼルスに行き挑戦したこともあり、結婚後もアメリカで一緒に活動していました。

NOKKOさんがボーカルをしているレベッカは1991年に解散しました。

価値観の違いで離婚、NOKKOは再婚後に42歳で出産

木暮武彦さんとNOKKOさんは1993年に離婚しました。

離婚の理由は明らかにされていませんが、音楽性の違いやすれ違いの生活が原因で離婚したようです。

NOKKOさんは1995年にレベッカを再活動、2015年に「NHK紅白歌合戦」に出場しました。

NOKKOさんは2001年に仕事を通じ10年来の付き合いのあったGOH・HOTODA(ゴウ・ホトダ、保土田 剛)さんと再婚しました。

GOH・HOTODAさんは、日本の音楽プロデューサーでありミックスエンジニアでもあります。

マドンナの「VOGUE」のアレンジを担当、宇多田ヒカルさんのアルバム「FirstLove」も担当していました。

NOKKOさんは、2006年8月1日に42歳で女児を出産、アルバム「もうすぐクリスマス」(2013年)には、当時7歳の長女がコーラスで参加しました。

2014年には地元の熱海中学校の校歌「光る海」を夫婦で作曲しました。

木暮武彦の2回目の結婚相手はチエ・カジウラ

すぎさき画像引用元:きくやのひとりごと。

NOKKOさんと離婚した木暮武彦さんは1996年に音楽関係の仕事を通じて知り合ったチエ・カジウラさんと再婚しました。

チエ・カジウラさんはデモ制作を重ねている中、デビューより先にテレビアニメ「マクロス7」劇中に登場するロックバンド「Fire・Bomber」のボーカルを担当することが決まります。

ヒロイン、ミレーヌ・ジーナスの歌唱部分の吹替を担当しました。

「M-MEG」名義で作詞も担当していました。

1995年シングル「…だけどベイビー!!」がオリコン初登場15位を記録するなどのヒットを果たします。

杉咲花は木暮武彦とチエ・カジウラとの間に生まれた

1997年10月、木暮武彦さんとチエ・カジウラさんとの間に後に女優となる杉咲花さんが生まれました。

チエ・カジウラさんは長女の杉咲花さんの育児に専念するため、音楽活動を休止します。

ところが、杉咲花さんが生まれた1997年に木暮武彦さんは当時、所属していたポニーキャニオンを退所することになります。

離婚理由

木暮武彦さんはチエ・カジウラさんと2000年に2回目の離婚をしました。

2回目の離婚も音楽性の違いや生活のすれ違いが理由のようです。

杉咲花さんの親権はチエ・カジウラさんになり、杉咲花さんは「梶浦花」という名前で、生活することになりました。

2006年に子役デビューした当時は梶浦花として活動していたようです。

2007年に杉咲花さんは志田未来さんに憧れオーディションを受けて研音に所属が決まりました。

同時に母親のチエ・カジウラさんも音楽活動を再開しました。

杉咲花さんは3歳の時から母親1人に育てられましたが、父親の木暮武彦さんも両親の離婚で母親1人に育てられた過去がありました。

木暮武彦の3回目の結婚相手は一般女性

きぐれ画像引用元:TrendBlog

木暮武彦さんの3度目の結婚相手は、15歳年下の一般人女性の裕子さんです。

木暮武彦さんと裕子さんはどこで出会ったのかは明らかにされていませんでした。

木暮武彦さんと裕子さんとの間に子供はいるのでしょうか?

杉咲花の弟は木暮武彦と妻・裕子との間に生まれた

木暮武彦さんと裕子さんとの間に息子がいます。

2004年9月22日に長男の木暮青葉さんが生まれました。

杉咲花さんとは、異母弟にあたります。

長男の木暮青葉さんが生まれてから木暮武彦さんは裕子さんと長男と共に山梨県富士河口湖町に移住しました。

杉咲花の実家は金持ちなのか?

杉咲花さんの実家が裕福ではないかという噂がネット上でありました。

理由は杉咲花さんが乗馬をしていたことがあり、2019年1月に欅坂46の菅井友香さんのブログに、乗馬クラブの少年だんで杉咲花さんと一緒にいることを語っていました。

乗馬クラブのジュニアの会員で月会費11,000円で入会金が88,000と習う前に入るための費用が高いため杉咲花さんの実家が金持ちという噂になりました。

両親ともに有名アーティストのため、年収は明らかにされていませんが、一般的な収入より高いようです。

杉咲花と父親・木暮武彦のエピソード

杉咲花さんと木暮武彦さんとの直接的なエピソードに関する情報はありませんでした。

杉咲花さんが生まれてから3歳まで、木暮武彦さんは一緒に暮らしていましたが、木暮武彦さん自身、アメリカから帰国後「RED・WARRIORS」の再結成やバンドの立ち上げで忙しくなり家を空ける機会が多いため直接、子育てに関わることがなく離婚となったのが杉咲花とのエピソードが見当たらないからです。

杉咲花と父親・木暮武彦の現在の仲

杉咲花さんと木暮武彦さんの仲は悪くないようですが、メディアの場で関係について話す機会がないのか話したくないのかは定かではありませんが、現在の生活に没頭していることもあり、お互いの事を語ることは今後もなさそうです。

木暮武彦と合計3家族の現在の関係性

木暮青葉さんはこれまで3回結婚していますが、1回目の結婚相手であるNOKKOさんとは現在、音楽活動でも関わりがないようです。

NOKKOさんがHOTODAさんと再婚し、長女のKano(夏乃)さんが生まれたこともあり、熱海で生活していることもあるため関係性がないようです。

木暮青葉さんは2回目の結婚相手であるチエ・カジウラさんと娘の杉咲花さんとも、特に音楽活動と私生活で関わりがないようです。

木暮武彦さんと3回目の結婚相手である裕子さんと息子の木暮青葉さんとは結婚してから山梨県富士河口湖町に移住して、現在も一緒に住んでいます。

2022年の3月22日の「木暮”shake”武彦」というブログで木暮武彦さんが「青葉が独立した。」というコメントがあり、息子の木暮青葉さんは独立し、現在は木暮武彦さんと裕子さんの2人で暮らしているようです。

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