【球袋バカヤロー】玉袋筋太郎と嫁の馴れ初めは略奪愛?子供や息子・離婚や別居もまとめ

お笑い芸人・玉袋筋太郎の結婚をまとめました。
20代の時に結婚した嫁の情報、略奪愛であることを明かした馴れ初め、嫁の連れ子だった子供(息子)の現在、自宅の様子、離婚と別居の真相など、玉袋筋太郎の最新の結婚事情をお届けします。

玉袋筋太郎のプロフィール

名前:玉袋筋太郎(たまぶくろ すじたろう)
本名:赤江 祐一(あかえ ゆういち)
愛称:玉さん、筋兄、玉ちゃん
生年月日:1967年6月22日(57歳)
出身地:東京都新宿区
血液型:AB型
身長:180cm

玉袋筋太郎は、お笑いコンビ「浅草キッド」のボケ担当で、コンビ解散後の現在はフリーのお笑い芸人として活動しています。

中学生の頃にニッポン放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」を聴いてビートたけしの熱心なファンになり、高校生の時にビートたけしの追っかけを開始。

島田洋七の付き人を経て、1987年に水道橋博士と共に「浅草キッド」を結成しました。

2020年3月に事務所を退所したことで浅草キッドは事実上の解散となり、現在はフリーのピン芸人として活動中です。

芸能活動では町中華やスナックを巡る街歩き系の番組が多く、2014年に一般社団法人「全日本スナック連盟」を設立して会長に就任しました。

玉袋筋太郎の結婚

 

玉袋筋太郎は26歳の時に結婚しました。

詳しくは後述しますが、結婚相手との馴れ初めは略奪婚で、嫁には前夫との間に子供がおり、玉袋筋太郎は結婚と同時に1児の父親となりました。

長らく結婚生活を送ってきましたが、2024年発売の著書「美しく枯れる。」の中で、嫁とは数年前からすでに別居状態であることを公表しました。

玉袋筋太郎の嫁や子供はどんな人物なのか、現在は何をしているのか、詳しい情報を見ていきましょう。

玉袋筋太郎の嫁

 

玉袋筋太郎の嫁は一般人で、詳細な情報は公表されていません。

嫁は2018年頃に一度体調を崩して入院していたことが明かされています。
玉袋筋太郎は「結婚して以来26年間、生活のことはすべて妻に任せっきりにしていた」と語り、嫁が入院したことで日常生活が立ち行かなくなったことを明かしていました。

嫁の入院により、自身が仕事に行く時の下着や服がどこにあるのかさえわからないことに気付き、生活の全てを嫁に任せっきりにしていたことを実感したとして、家事全てを担ってくれていた嫁への感謝を語っていました。

また、嫁は玉袋筋太郎の個人事務所の社長に就いており、経理を担っています。
家庭も仕事も嫁がいないと回らない生活をしている玉袋筋太郎は、嫁と離れたことで「ゴミだらけの部屋で孤独死してしまうのでは」という不安に襲われたことを明かしていました。

玉袋筋太郎と嫁の馴れ初めは略奪愛

 

玉袋筋太郎と嫁の馴れ初めは、略奪愛です。

玉袋筋太郎が2018年に発売した著書「粋な男たち」の中で、嫁との馴れ初めが略奪愛によるものであったことを明かし、当時の未公開エピソードを赤裸々に語りました。

当時、嫁は別の男性と結婚したばかりで、子供もいましたが、玉袋筋太郎と恋仲になってしまい、玉袋筋太郎が当時の旦那に土下座してそのまま結婚してしまったというのが馴れ初めのようです。

詳細な馴れ初めはぜひ書籍を手に取って確認してみてくださいね。

玉袋筋太郎の子供(息子)

玉袋筋太郎には血の繋がっていない子供がいます。
略奪愛で結婚した際、嫁には前夫との間に子供がいたため、結婚と同時に1児の父親となりました。

子供は男の子で、すでに30歳前後であり、結婚して子供が誕生しています。

玉袋筋太郎は子供について「こんなにダメな父親なのに、息子は横道に逸れることなく、まっすぐに育ってくれた」と語っており、血は繋がらなくても家族の愛情で繋がっていることが窺えました。

2022年4月に初孫が誕生

2022年4月、玉袋筋太郎の息子に子供が誕生し、玉袋筋太郎は孫を持つおじいちゃんになりました。

玉袋筋太郎は孫について「孫の存在は本当に愛おしい。俺という老木に止まっているシマエナガみたいなもの」と語っています。

お宮参りなどの孫中心のイベントにもしっかりと参加しているようなので、玉袋筋太郎が息子家族を愛していることが窺えますね。

玉袋筋太郎の自宅

 

玉袋筋太郎の自宅はYouTubeチャンネルで公開されています。

2021年8月には玉袋筋太郎の自宅、通称“タマホーム”で夏の恒例行事であるサマーランドならぬ“タマーランド”を開催し、ビニールプールを設置して自宅をリゾート化する様子が公開されました。

玉袋筋太郎さんは、過去に実家の両親がスナックを経営していた事から、日本全国のスナック経営を応援しており、2009年にスナック啓蒙イベント「玉袋筋太郎の”スナック玉ちゃん”」を開催。2014年には一般社団法人として「全日本スナック連盟」を設立してその会長に就任しました。

 

さらに、2018年には自らオーナーとして東京赤坂や東京北新地に「スナック玉ちゃん」をオープンさせています。「スナック玉ちゃん」は、玉袋筋太郎さんも頻繁に出現して隅っこの方で飲んでいるという事でも話題のお店です。

 

これもあって、玉袋筋太郎さんは、飲み屋紹介系のバラエティ番組にも多数出演し人気を集めています。

 

 

 

玉袋筋太郎の生い立ち① 幼少時代

 

玉袋筋太郎さんは、東京都新宿区西新宿で1967年6月22日に生まれました。父親は赤江正行さん、母親は赤江広子さんで、3歳年上の姉が1人いました。

 

実家は祖父が建てたという3階建の「赤江ビル」で、西新宿1丁目、現在のビッグカメラ本店のすぐ近くでした。

 

玉袋筋太郎さんが誕生した頃、父親の赤江正行さんは証券マンとして働いており、証券取引所で「場立ち」という、客の株の売り買い注文を手のサインを使って伝えるという仕事をしていたのですが、その後退職して「赤江ビル」2階に雀荘「富士」を開店させ、夫婦で切り盛りして家族を養っていました。

 

玉袋筋太郎さんはその頃「淀橋第二幼稚園」に通い、幼稚園から帰ると父と母の経営する雀荘「富士」のある2階に顔を出して、そこで客が置いていった少年漫画雑誌を読んだり、可愛がってくれるお客さんからお小遣いをもらったりして過ごしていたそうです。

 

 

玉袋筋太郎の生い立ち② 少年時代

 

 

玉袋筋太郎さんは「新宿区立淀橋第一小学校」に通っていました。小学校時代の玉袋筋太郎さんは、相当ヤンチャな少年だったようで、友達たちと子供らだけでデパートに行き、屋上のゲームセンターで遊んだり、デパ地下の試食コーナーで食べまくったり、非常階段でイタズラをして警備員に追いかけ回されたりしていたそうです。

 

また、当時は現在よりもかなり治安が悪かった新宿歌舞伎町の映画館に「銀河鉄道999」の劇場版を観るために一晩中子供達だけで並んだり、夜中に新宿御縁に忍び込んだりした事もあったのだそうです。

 

1980年に「新宿区立淀橋中学校」に進んだ玉袋筋太郎さんは、中学1年生の冬休みに「ビートたけしのオールナイトニッポン」のラジオ放送を聴いてビートたけしさんの大ファンになります。

 

当時は暴走族ブームの真っ盛りで、学校にも不良があふれていたそうですが、玉袋筋太郎さんは不良になるのなんてダサいと思っていたそうです。その理由は「不良達が好きな音楽グループよりも、自分が尊敬するビートたけしさんの方がよほど不良でカッコイイから」というものでした。

 

 

玉袋筋太郎の生い立ち③ 高校生の頃にビートたけしの追っかけになる

 

玉袋筋太郎さんは1983年4月に「中野実践商業高等学校」に入学しました。その頃に、玉袋筋太郎さんは小学校時代からの友人に誘われてビートたけしさんの追っかけになっています。

毎週「ビートたけしのオールナイトニッポン」が深夜3時に終わると、友人らと自転車に乗り、ビートたけしさんが打ち上げをやる新宿四谷の焼肉店「羅生門」に行き、店の外でずっと出待ちをしていたのだとか。

 

当時、ビートたけしさんの出待ちをするファンや弟子入り志望者達が大勢いたそうなのですが、そんな彼らを見つけるとビートたけしさんは「おう!中に入って飯でも食ってけよ」「あんちゃん、店の中でビールでも飲んでけよ」気さくに話しかけてくれたそうです。

 

しかし、高校生時代の玉袋筋太郎さんは、それは恐れ多いとして「ここで待っているだけで良いんです」と答えていたそうです。

 

 

そして、高校2年生の時に、なんとかビートたけしさんに自分を覚えて欲しいとの気持ちから、ダメ元で「芸名をつけてください」とお願いしたのだそうです。するとなんと、ビートたけしさんは笑いながら玉袋筋太郎さんに「鬼怒川マッサージ」という芸名をつけてくれたのだとか。

 

またある日には、いつものように玉袋筋太郎さんと友人らが焼肉店の外で出待ちをしていると、店の中から、たけし軍団のラッシャー板前さんが出てきて「殿(ビートたけしさん)が呼んでいます」と呼びに来たのだそうです。

 

これも恐れ多いとして断る玉袋筋太郎さんと友人らでしたが、ラッシャー板前さんはなんと「君たちが入ってくれないと、僕が叱られる」と頭を下げてお願いされたのだそうです。

 

こうまでされては入らないわけにはいかないと、玉袋筋太郎さんは店内に入ったそうなのですが、なんとビートたけしさんの目の前の席が空けてあり、そこに座って焼肉をご馳走になったのだとか。

 

こうして、ますますビートたけしさんに憧れた玉袋筋太郎さんは、ビートたけしさんの弟子になりたいという思いをどんどんと強くしていきました。

 

とはいえ、それはあくまでも「夢」であり、玉袋筋太郎さんは、高校卒業前にはアサヒ飲料のルートドライバーとして就職を内定させたのですが、その後にビートたけしさんに会った時に就職を報告すると、たけしさんはなんと「3ヶ月で辞めて俺んとこに来い」と、玉袋筋太郎さんの気持ちを見透かしたように声をかけてくれたのそうです。

 

その後、玉袋筋太郎さんはビートたけしさんに弟子入りし、1987年に同じくビートたけしさんの追っかけだった水道橋博士さんとお笑いコンビ「浅草キッド」を結成し、厳しい下積み時代を経てお笑い芸人として成功をおさめる事になったのでした。

 

 

 

玉袋筋太郎の家族① 父の自殺や姉との絶縁の真実を告白

 

玉袋筋太郎さんには3歳年上の姉がいるのですが、その姉とは絶縁状態にある事が知られていました。最近まで、玉袋筋太郎さんとこの姉とが絶縁状態になった理由は明かされていなかったのですが、2019年にその真実が明かされて話題になっています。

 

実は、玉袋筋太郎さんの父親の赤江正行さんは、筋太郎さんが35歳の時に自殺によって65歳の若さで亡くなられています。

 

当時、玉袋筋太郎さんの父親は身体的にもメンタル的にも体調を崩し病院に入院していたそうで、「ごめん」というメモだけ残して、その病院の6階から飛び降りて亡くなってしまったのだそうです。

そして、玉袋筋太郎さんによれば、父親がメンタルの調子を崩した理由は、姉とその旦那にあったという事でした。姉の旦那がロクでもない男で、カードの限度額いっぱいまで平気でキャッシングし、その度に姉が泣きついて父親に借金を肩代わりさせていたというのです。

 

しかも、姉の旦那は借金した金でキャバクラに通って女性に金を貢いでおり、その度に元々メンタルを病んでいる姉が自傷行為を繰り返し、父親は娘が心配なあまり借金を肩代わりするという関係がずっと続いていたのだそうです。

 

当時、玉袋筋太郎さんの両親は新宿の土地を売って老後の蓄えにしていたそうなのですが、姉夫婦は事ある毎に孫をチラつかせて父に金をせびり、ついには老後の備えとしては十分なほどあった両親のお金は底をつき、さらに120万円ほど借金をするほどだったようです。

 

もちろん、玉袋筋太郎さんは姉夫婦の借金を肩代わりし続ける父親を必死に説得し、なんとか姉夫婦と距離を置かせようとしたそうなのですが、父親は逆に「お前はお姉ちゃんを殺すのか!」と怒り出してしまい、どうしてもその異常な関係を断ち切らせる事ができなったそうなのです。

 

玉袋筋太郎さんは、父はこの姉夫婦との関係が原因でメンタルの状態を崩し、衝動的に飛び降りたのだと考え、父の残した120万円を清算し、姉夫婦との絶縁を宣言しました。

 

現在も玉袋筋太郎さんは父親を死に追いやった姉夫婦を許せないままだという事でした。

 

 

玉袋筋太郎の家族② 嫁は一般女性

 

 

玉袋筋太郎さんは、25歳の時に一般人の嫁と結婚されています。

 

玉袋筋太郎さんの嫁についての情報はほとんど何もわからないのですが、嫁の両親には「よりによってなんでこんな男と結婚するんだ」と散々に反対され、自身の父親にも理由は不明ながら結婚を反対された事などが明かされており、当初はあまり祝福された結婚ではなかった様子です。

 

そんな玉袋筋太郎さんの嫁については、2018年12月に、玉袋筋太郎さんの連載「玉ちゃんの酔滸伝」で、嫁が突然入院してしまい、その事で嫁の偉大さに気が付いたというエピソードが書かれています。

庭に使用済ティーバッグを埋めたら、どうなる?

嫁の入院の理由などは明かされていませんが、玉袋筋太郎さんは家事の全般を嫁に任せきりにしていたため、生活が全く立ち行かなくなってオロオロしてしまい、仕事を終えて家に帰っても誰もいない寂しさが随分と堪えたとも書かれています。

 

その寂しさのあまり玉袋筋太郎さんは妻を病院に見舞った時に思わず「しんどい」と弱音を吐いてしまい、嫁に「そんな事言われたらおちおち入院もしていられない!」と呆れられてしまったのだそうです。

 

ともあれ、玉袋筋太郎さんが嫁を大切に思っている事だけは確かなようです。

 

 

玉袋筋太郎の家族③ イケメンの息子・赤江晃宏さんの結婚が話題

玉袋筋太郎さんは嫁との間に一人息子がいます。玉袋筋太郎さんの息子さんは玉袋筋太郎さんのtwitterに度々登場しており、そのルックスがモデルやアイドル級のイケメンだと話題を呼んでいます。

 

玉袋筋太郎さんの息子さんの名前や現在の様子は公表はされていないのですが、セレクトショップやオリジナルのブランドを展開する「STUDIOUS(ステュディオス)」の神南店のショップ店員をされている赤江晃宏(あかえあきひろ)さんが、どうやら玉袋筋太郎さんの息子さんで間違い無いようです。

 

玉袋筋太郎さんの息子の赤江晃宏さんは、「STUDIOUS(ステュディオス)」のショップ店員として同ブランドアイテムを使ったコーディネートをネット上で紹介されています。

 

そんな玉袋筋太郎さんのイケメンの息子・赤江晃宏さんですが2016年の末に結婚されたようです。玉袋筋太郎さんが自身の連載「玉ちゃんの酔滸伝」で息子の結婚を報告してくれています。

 

誠に手前みそになってしまいますが、すみません…と書き出しからおわび申し上げます。昨年末、私、玉袋筋太郎の息子が結婚しました。

 

 

玉袋筋太郎さんは自身の芸名が下ネタ系である事から、息子が学校でいじめを受けるのでは無いか?と心配された事もあったそうなのですが、「息子はその心配を嬉しい意味で育ってくれた」と大変喜ばれていました。

 

また、玉袋筋太郎さんは、結婚披露宴での息子の挨拶についても以下のように書かれています。

24歳の若者ですからフワフワした口調の形式張ったあいさつに横でハラハラして聞いてました。すると突然「で、ここからアドリブです」と切り出し、家族の思い出話や私と妻への感謝の言葉を語り出しました。それまで我慢していたものが崩れ、とても幸せな気持ちとなり「私が息子を育てたのではなく、息子に親として育ててもらったのだ」と遅まきながら気づかされた1日となりました。

 

 

玉袋筋太郎の現在

 

玉袋筋太郎さんの現在ですが、2020年3月末に所属していた芸能事務所「株式会社TAP(元はビートたけしさんの事務所だったオフィス北野)」から円満退社しフリーのお笑い芸人として活動されています。

 

ただ、現在の活動は新型コロナウイルスの影響をもろに受けて苦戦されているようで、スナックを訪問するような仕事は自粛。自らが経営する「スナックたまちゃん」も営業自粛で500万円から600万円もの損失を出してしまったようです。

 

2020年6月に入り、少しずつですが新型コロナ騒動が落ち着きを見せはじめた事から少しずつ仕事を再開されているようです。

 

 

まとめ

今回は、「たけし軍団」の一員で「浅草キッド」のボケ担当のお笑い芸人・玉袋筋太郎さんについてまとめてみました。

 

玉袋筋太郎さんは、中学生時代に「ビートたけしのオールナイトニッポン」を聞いてビートたけしさんの大ファンになり、その後追っかけになった事からたけしさんに気に入られて弟子入り、「浅草キッド」を結成し下積み時代を経て人気芸人になりました。

 

2019年には実の姉と父の自殺を巡って絶縁状態になっている真実を告白し話題を呼びました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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