今回は、歌手の奥田民生さんについてご紹介します。
奥田民生さんが嫁の佐野美由紀さんと離婚の危機にあると言われていますが、この噂は完全なデマでした。目撃情報や子供の現状についてお伝えするとともに、奥田民生さんが佐野美由紀さんと出会う前の若い頃のかわいい画像も合わせてご紹介します。
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1 奥田民生が嫁佐野美由紀と離婚危機にあるとの噂は嘘だった
1.1 奥田民生と嫁佐野美由紀の馴れ初めと結婚秘話が感動的
1.2 奥田民生と嫁佐野美由紀の離婚危機のデマの出処
2 奥田民生と嫁佐野美由紀の目撃情報あり
3 奥田民生と嫁佐野美由紀の子供について
3.1 奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)の名前
3.2 奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)の学校
3.3 奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)は結婚していない
3.4 奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)はユニコーンの影響を受けて育った
4 奥田民生と嫁佐野美由紀の世帯年収がもの凄いことに
5 奥田民生が嫁佐野美由紀と出会う前の画像がかわいい
奥田民生が嫁佐野美由紀と離婚危機にあるとの噂は嘘だった
まず初めに結論から申し上げると、奥田民生さんと佐野美由紀さんが離婚危機にあるという噂は完全なる嘘です。馴れ初めから現在に至るまでの経緯を詳しくご紹介します。
奥田民生と嫁佐野美由紀の馴れ初めと結婚秘話が感動的
出典:pinterest.jp
奥田民生さんは、1995年9月8日に、ユニコーン時代からのスタイリストだった佐野美由紀さんと結婚しました。佐野美由紀さんがユニコーンのスタイリストをしていたのは、ユニコーンの初期から中期にかけてです。
結婚(入籍)直前の1995年8月25日には、奥田民生さんの近しい友人である井上陽水さんや世良公則さん、それに渡辺満里奈さんらを招いて結婚披露宴を行いました。何とも豪華な結婚披露宴ですね。
ユニコーンが結成されたのは1986年ですので、出会ってから結婚するまでの期間は約9年ということになります。非常に長い期間の交際を経てのゴールインでした。
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佐野美由紀さんは奥田民生さんの5歳年上の姉さん女房で、下積み時代から奥田民生さんのことを近くで見ていた人物ですので、苦楽を共にした戦友とも言える存在です。20年以上にわたって奥田民生さんのことを精神面から支えた陰の立役者と言っても過言ではありません。
奥田民生と嫁佐野美由紀の離婚危機のデマの出処
奥田民生さんと佐野美由紀さんが離婚危機を迎えているという噂が出回った理由は何だったのでしょうか。
万が一にも離婚ということになればとんでもない話だなと思い、念のため再度詳しく調べてみましたが、奥田民生さんと佐野美由紀さんが離婚するという情報はどこにも見当たりませんでした。
それにもかかわらず奥田民生さんと佐野美由紀さんが離婚の危機に立たされているという情報が出回ってしまったのは、佐野美由紀さんに離婚歴があったからだと考えられます。
佐野美由紀さんには奥田民生さんと結婚する前に別の男性と結婚していた過去があるため、そのことが曲解され、奥田民生さんと佐野美由紀さんが離婚するのでは?と言われるようになったものと考えられます。
また、奥田民生さんが自身のプライベートをほぼ完全に非公開としているため、その理由を勘繰ったインターネットユーザーが、離婚というあらぬ噂を流した可能性もあります。
奥田民生さんを良く知る人によると、奥田民生さんと佐野美由紀さんはおしどり夫婦で、互いの尊重し合うとても良い関係だそうです。
いずれにしても、奥田民生さんが離婚する可能性はなさそうでほっとしました。
奥田民生と嫁佐野美由紀の目撃情報あり
私生活がヴェールに包まれていると言っても過言ではない奥田民生さんですが、東京代々木で奥田民生さんと佐野美由紀さんを目撃したとの情報があります。
自宅の住所を調べてみると、東京都渋谷区である可能性が高いことから、代々木での目撃情報も信憑性が高いと言えます。
奥田民生さんの自宅は、レコーディングスタジオも併設した大豪邸だそうですので、有名人や芸能人の自宅が居並ぶ渋谷区に住んでいることはほぼ間違いないでしょう。
また、西原や霞ケ浦にも家があるとの情報もありますので、こちらは別荘である可能性が高いですね。
ちなみに、奥田民生さん夫妻を目撃した人によると、メイクやファッションで不必要に着飾ることはなく、凛とした佇まいの自然な雰囲気の女性だそうです。
奥田民生さんは、かつて好みの芸能人女性を聞かれた際に、小泉今日子さん、伊東美咲さんと答えていましたので、どちらかというとボーイッシュで強気な女性が好みで、佐野美由紀さんも小泉今日子さんや伊東美咲さんに似ているのかもしれません。
奥田民生と嫁佐野美由紀の子供について
奥田民生さんと佐野美由紀さんには子供が2人います。1人目が女の子で、2人目が男の子です。お子さんの名前や学校ついて詳しく調べてみました。
奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)の名前
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奥田民生さんの長女の名前は不明でした。一般人ですので当然と言えば当然なのですが、1997年頃に生まれたと言われています。もしこの情報が正しければ、現在は大学を卒業して社会人になった頃だと思われます。
長男の名前は公にこそされてはいないものの、奥田辰生くんだと言われています。生まれたのは2007年頃だそうですので、現在は小学校を卒業する頃でしょうか。
ちなみに、奥田民生さんが1995年1月に発売した『息子』という楽曲がちょっとした話題になっています。タモリさんがこの曲を聞いて「いい歌なんだよね」と言ったことがきっかけとなり、世間の注目を浴びるようになりました。
歌の最後に奥田民生さんの声が少しずつ小さくなり、最後には再生機器のボリュームをMAXにしても聞こえないぐらいの音量で奥田民生さんが何かを歌って(語って)いるのですが、その歌詞(セリフ)に、奥田民生さんの子供に関する情報が隠されているのではないか?との噂があります。
その歌詞(セリフ)について、奥田民生さん本人の口から真相が聞ける日は来るのでしょうか。
奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)の学校
自身のプライベートを明らかにしない奥田民生さんですが、もしかすると子供の学校の行事に参加している奥田民生さんを目撃したとの情報があるのではないかと思い調べてみました。
残念ながら、目撃情報はもとより、奥田民生さんのお子さんがどの学校に通っているのかさえ明らかにされていませんでした。
一説には、「有名私立に通っている」「お受験をした」「英才教育を施している」という情報もあるのですが、どの情報も信憑性に欠けるものばかりでした。
奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)は結婚していない
先ほどもお伝えした通り、奥田民生さんの長女は社会人になったばかりで、長男は小学校を卒業するかしないかの年齢ですので、長男の奥田辰生くんはもちろん、長女もまだ結婚していないものと思われます。
花嫁の結婚式に奥田民生さんが父親として出席していたら、参加者は度肝を抜かれるでしょうね。
奥田民生と嫁佐野美由紀の子供(息子と娘)はユニコーンの影響を受けて育った
奥田民生さんにお子さんが生まれたのはユニコーンを解散してから数年経った後でしたので、長女も長男も奥田民生さんがユニコーンのメンバーとして活躍する様子を生では見ていません。
ですが、ユニコーンはTHE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKER(S)とともにバンド御三家と言われたぐらい売れたバンドですので、ユニコーンの音楽を聴くことは当たり前で自然なことだったと思われます。
ユニコーンは1993年に解散した後、2009年に再結成し活動を再開していますので、活動再開後の全国ツアーを子供達が見に行った可能性も大いにあります。
噂レベルではありますが、奥田民生さんの長女は父親の影響を受けて、音楽関係の仕事に就いているとも言われています。また、長男も音楽関係(ピアノや弦楽器)の習い事を始めているとも噂されていますので、今後が非常に楽しみです。
ファンとしては、いつの日か親子共演する日が来ればいいなと思ってしまいます。
奥田民生と嫁佐野美由紀の世帯年収がもの凄いことに
ユニコーンとしてのバンド活動、ソロシンガーとしての活動に加えて、PUFFYをはじめとした様々なアーティストへの楽曲提供やプロデュースなど、多方面で活躍する奥田民生さんの年収がもの凄いと話題になっています。
インターネット上では8000万円という情報が上がっていますが、個人的にはもっと多いのではないかと思います。この金額はカラオケ等から入る歌唱印税のみで、奥田民生さん自身の様々な音楽活動の収入を併せると、数億円はあるのではないでしょうか。
日本の音楽シーンを彩る様々な楽曲を提供してきたわけですので、年収がずば抜けているのは当然ですね。
奥田民生が嫁佐野美由紀と出会う前の画像がかわいい
今では立派なおじさん(笑)になった奥田民生さんですが、若い頃はとても可愛かったそうです。そこで早速、若い頃の画像を探してみました。それがこちらです。
確かに!これはユニコーンの初期の頃の画像ですが、当時の年齢は21歳。つぶらな瞳で、必死に自分の音楽を追い求める姿は、佐野美由紀さんからすれば”応援したくなる存在”だったに違いありません。
奥田民生さんのユルい笑顔に癒されたファンは非常に多かったようです。そして、言うまでもなく奥田民生さんの音楽の才能には数えきれない数の人が感動を受け続けてきました。
ユニコーンや奥田民生さんの歌声は、当時のバンドブームの後ろ盾もあって、当時の子供たちからは憧れの存在だったといえます。新曲が出れば学校で話題となり、子供たちはこぞってCDを聞いたりしていました。そうしたユニコーンや奥田民生さんに憧れてプロになった方も少なくありません。例えば、ポルノグラフィティの昭仁さんは影響を受けたと公言しています。
どれだけ売れても偉そうぶらない奥田民生さんの姿勢に賞賛の声が多数上がっていました。
奥田民生の昔と若い頃!生い立ちや実家の家族を総まとめ
バンド『ユニコーン』のボーカル・ギターとして活躍する奥田民生さんは、ソロとしても大活躍しています。そこで今回は、奥田民生さんの生い立ちや実家の家族、そして若い頃についてまとめました。
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奥田民生のプロフィール
プロフィール
プロフィール
名前:奥田民生(おくだたみお)
生年月日:1965年5月12日
出身地:広島県広島市東区尾長
血液型:B型
身長:171cm
所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
出典:https://rockinon.com
奥田民生の生い立ち&実家の家族
奥田民生の生い立ち
昔はインドアだった奥田民生
昔はインドアだった奥田民生
広島県で生まれた奥田民生さんは、幼少期は小児ぜんそくだったこともあり、どちらかというとインドアで1人で音楽ばかり聴いていたそうです。
そんな奥田民生さんは10歳の時に初めてギターに触れると、当時『週刊明星』などについていた歌本を見てコードを覚え、色々な曲をカバーするようになったそうです。
出典:https://rubese.net
小学生の時にビートルズにハマる
小学生の時にビートルズにハマる
そして小学校高学年の時にビートルにハマった奥田民生さんは、ビートルの曲を聞きまくる一方、歌謡曲も大好きで西城秀樹さんや沢田研二さんを好んで聞いていたそうです。
そんな奥田民生さんは中学生になると、同級生と初めてバンドを組み、ビートルズやKissなどのカバーをしていたそうです。
出典:https://www.s40otoko.com
高校で本格的にバンド活動をスタート
高校で本格的にバンド活動をスタート
そして高校ではアーチェリー部に所属し、新人大会で優勝するほどの腕前だった奥田民生さんは、部活と並行してバンド活動も本格的にスタートさせ、『夕やけニャンニャン』の息っ子クラブメンバーオーディションにも参加したていますが、2次審査で落選しています。
出典:https://www.pinterest.jp
奥田民生の実家の家族について
広島県で生まれ育った奥田民生さんの家族構成は、両親と奥田民生さん3人家族でです。
父親は元国鉄職員で元広島市議会議員
父親は元国鉄職員で元広島市議会議員
そんな奥田民生さんの父親は元国鉄職員で、共産党から立候補して広島市議選に当選し3期12年務めており、奥田民生さんも子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていたそうです。
出典:https://tabetainjya.com
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また奥田民生さんの母親は音楽が大好きで特にエルヴィス・プレスリーが大好きだったことから、実家にはレコードが溢れるほどあったそうです。
こうして音楽好きの母親を持つ奥田民生さんは、幼少期から家族で居酒屋へ行っており、居酒屋では母親と一緒に大声で歌っていたそうです。
そんな奥田民生親子に対し、最初は迷惑がっていた他の客も、次第に歌をリクエストするようになり、最終的にはみんなで大合唱していたと言います。
昭和40年代の広島の居酒屋で、母親と一緒に大声で歌う民生少年。歌うは尾崎紀世彦『また逢う日まで』。周囲の酔客は迷惑がるも、徐々に、その見事な大声ユニゾンに乗ってきて、「はよう次歌ってくれえ」「調子がええのう」「店が明るうなるわい」と盛り上がり、最後は全員で「♪ふたりでドアをしめて~!」と大合唱――。
出典:奥田民生――その大声ボーカルの魅力について | 歌謡ポップスチャンネル
奥田民生の昔の若い頃
バンド『ユニコーン』でブレイク
1886年、ユニコーンに加入
1886年、ユニコーンに加入
高校卒業後は専門学校へ進み、READYというバンドを組んでいた奥田民生さんは、1986年の21歳の時に『ユニコーン』に加入し、オーディションを経て翌1987年に1stアルバム『BOOM』でデビューしています。
出典:http://www.webdice.jp
そんなユニコーンは1989年にリリースした1stシングル『大迷惑』が大ヒットするとブレイクし、初の日本武道館でのライヴも大成功したのです。
そしてユニコーンは以降も、『働く男』や『ヒゲとボイン』、『雪が降る町』や『すばらしい日々』など多くのヒット曲を生み出し、バンドブームの寵児とも言われたのです。