当時『エンタの神様』でブレイクし、「どこ見てんのよ!」のフレーズが印象的だった青木さやかさん。私生活では離婚も経験しシングルマザーとなっており、「消えた」とも噂されています。
青木さやかさんの元旦那や子供、離婚などについてや、「消えた」真相、現在などについてまとめています。
青木さやかプロフィール
青木 さやか(あおき・さやか)
生年月日: 1973年3月27日
出身地: 愛知県尾張旭市(生まれは瀬戸市)
血液型: O型
身長: 165cm
最終学歴: 名古屋学院大学外国語学部中国語学科
事務所: ワタナベエンターテインメント
活動時期: 1996年
両親ともに小学校教諭という家庭で育ち、名古屋学院大学外国語学部中国語学科を卒業後は名古屋のタレント養成所に入所。
その後は中共ローカルのフリーアナウンサーとして活動していましたが、番組内で発言したPRがお笑い志望として紹介されたことをきっかけにお笑いに転身。1996年にデビューしています。
しばらくフリーで活動していた際にゲスト出演したワタナベエンターテインメントのライブで同社社長にスカウトされ、2003年より同事務所に所属し東京での活動を開始。
同年に『笑う犬の冒険』、『エンタの神様』などに出演し、ブラックジョークを連発する1人コントで人気を得るように。「どこ見てんのよ!」のフレーズも流行となり、ブレイクを果たしています。以降はお笑い以外に女優や司会業としても幅広く活躍するようになっています。
青木さやかの元旦那はダンサー・柳本雅寛!子供は娘が1人
柳本雅寛プロフィール
青木さんは2007年10月22日に、故・前田健さんから紹介された3歳年下のダンサー・柳本雅寛さんと、出会いからわずか半年で結婚を発表しています。
柳本 雅寛(やなぎもと・まさひろ)
1976年大阪生まれ。1990年より渡欧する1998年までクラシックバレエを踊る。1998年ドイツに渡り1998-2000 Staadtheater Braunshweig、2000-2002 Munchen Dance Theaterにソリストとして多くの現代作品を踊る。2002年オランダに、2002-2003 Scapino Ballet Rotterdam、2003-2004 Conny Janssen Danst、2004-2006 Galili Danceなど多くの舞踊団に所属し多彩な振付家達との作品創作に携わり西欧を中心に世界各地で踊る。 2006年帰国、大植真太郎、平原慎太郎らと「C/ompany」結成。
2011年より自身のユニット「+81」の活動を始める。
JAPON dance project立ち上げメンバー
2014年 新国立劇場主催公演『CLOUD/CROWD』振付・出演。
独自のコンタクトメソッドと演劇的な身体表現の融合に新世界を模索している。
2010年に長女を出産!以降はママタレとしても活躍
結婚から1年半が過ぎた2009年7月30日、青木さんは妊娠していることを発表。
翌年の1月14日の番組出演後から産休に入り、3月8日に助産院にて無事長女となる第一子を出産しています。
娘さんの名前は、残念ながら公表されていないようです。
初めての出産は青木さんにとってかなり大変なものだったようで、妊娠中は非常にナーバスな状態になっていたことを明かしています。
彼女は出産時に「出産は想像以上に大変なことでした…」とコメントしていたが、今回、助産婦さんとの会話から精神的にかなり苦悩したことが明らかとなったのだ。青木は当初から助産院での出産を考えており、特に助産師のイトウさん(39)には助けられたという。特に精神的にネガティブになってしまい『出産が怖い、不安だ』と悩む青木にいち早く気付き「だいじょうぶ、悩みがあれば何でもいいな」と心身ともにケアしてくれたのがイトウさんだったのだ。
もともと青木さんは子供が苦手だと公言していたため、妊娠した時には本人も不安になり周囲からも心配されていたようです。
ですが出産してみるとその感覚は一変したようで、自身のブログで「驚いたことにかわいくて仕方ありません」と心境の変化について綴っています。
出産後は育児に専念するためという理由で『笑っていいとも!』のレギュラーを9月30日で降板し育児休暇をとっていた青木さんですが、2010年6月に芸能活動を再開し、以降は「ママタレ」として出産や育児に関する仕事などでも活躍していました。
『青木さやかの妊娠・出産・育児NOTE』
この本は、昨年2010年3月にママとなった青木が、出産や育児、産後9kgのダイエットに成功した秘訣などを綴ったフォトエッセイ。
「子どもの肺炎球菌ワクチン」啓発キャンペーンCM
2011年に出演。
すっかりママの顔になった青木さんの姿も話題になりました。
青木さやかの娘の姿
2年前のブログに、顔は隠れていますが娘さんの姿がありました!
当時は5歳ですが、手足がすらっとしていて大きい感じがしますね。
現在は7歳になっています。
青木さやかと元旦那の離婚理由…長女誕生からわずか2年で離婚
長女も生まれ幸せいっぱいかに見えた青木さんですが、それから約2年後となる2012年3月23日に離婚を発表しています。
関係者によると、互いに仕事が忙しく、夫は海外での活動が多いことから、すれ違い生活が続いたことなどが原因のようだ。関係者によると、青木と夫は一両日中にも離婚届を出すとみられる。青木はテレビなどのレギュラーを多く持ち、夫もプロのダンサーとして欧州を中心に活躍。2人とも多忙なため、なかなか会えないすれ違い生活が続くようになっていたようだ。
大きな理由は多忙によるすれ違いとされていますが、実は長女が誕生した年の年末からすでに別居状態になっていたと言います。
離婚の一因には青木さんがもっと柳本さんに育児をもっと手伝ってほしいと思っていたことにもあるようです。
長女が1歳になる前から別居していたということは、長女が生まれたことで育児への向き合い方の違いにより夫婦の間の溝がより深まってしまったのかもしれませんね。
「青木さんはご主人に“もっと協力してほしい”といい続けていたようです。子供が苦手だったからこそ、いろいろ手伝ったり支えてもらえたらと、ご主人に期待していたそうです。だけどご主人の側からすると、“仕事だから仕方ない”ということだったみたいで……。そんなご主人のいい分も青木さんとしては不満で、期待していた分、その落差にショックだったようです」
また、青木さんが神経質な性格であることも原因の一つだという説もあるようです。
離婚により青木さんはシングルマザーとなっていますが、ネット上ではその理由により青木さんを揶揄するコメントも相次いだと言います。
離婚原因は、海外で活動する夫とのすれ違いにあるとされ、今後の青木は芸能活動をより一層活発にする見通しだが、報道を受け、ネット掲示板では「子供がかわいそう」「母親イメージを前面に押し出して、乳ガン検診のCMに出演していたのに、離婚かよ」「すれ違いで離婚って、聞くたびに呆れる」「すれ違いなら子供を作るなよ。一番被害を被るのは、勝手な親を持つ子供なんだよね」など、「すれ違い」という子供の立場を考慮しない離婚理由に怒りの声が続出した。
青木さやかが「消えた」?原因は有吉弘行にあった?
売れっ子だった頃は毎日のようにテレビで見かけていた青木さやかさんですが、現在はあまり姿も見ないようになり「消えた」「干された」とも言われています。
現在はレギュラー番組もほとんどない状態のようですが、なぜそうなってしまったのでしょうか?
青木さやかと有吉弘行の確執の発端となった事件
青木さんは2011年に出演した『ロンドンハーツ』にて有吉弘行さんと共演し、その際に2人の間に確執があったことが発覚しています。
人気絶頂だった青木は2006年、自身の冠番組で上島竜平を中心とする「竜平会」に参加したが、再ブレイク前の有吉とのやり取りに機嫌を損ね、ロケ途中で帰るという事態が発生したという。
有吉によると、その際に青木から「汚いやり方で干されそうになった」挙句、番組スタッフからも「お前なんかあっち行ってろ」と言い放たれたとのこと。
有吉弘行はいきなり「青木さやかのせいで番組を干されそうになった」と明かしたのだ。青木がメインの番組収録中に彼女が泣き出して帰ったというのである。
「帰っちゃったの?」とそれを聞いたMCのロンブー淳は呆れて笑っていた。
青木さやかもその事実は認めたが、当時の状況を説明して誤解を解こうとしたのである。
「竜平会」にはダチョウ倶楽部の上島竜兵を始め土田晃之さん、有吉さんらが属しています。
当時番組内でこの飲み会に連れていかれた青木さんは、竜兵会のメンバーから好き放題言われたことや下ネタの連発に耐え切れず、気持ち悪くなって泣き出し番組の途中にも関わらず帰ってしまったと言います。
それにより有吉さんはスタッフから非難され、干されそうになる事態となったようです。
今となっては売れっ子芸人となった有吉さんですが、当時は青木さんの方が売れており有吉さんは『電波少年』が終了後の売れない不遇な時期のことで、この事件以降2人が共演することは一切なくなっていました。
この事件直後に青木さんは有吉さんに謝罪しているものの、その謝り方が売れっ子っぽい態度だったため有吉さんは許せなかったと語っています。
青木さんはこれについて、番組の途中で帰ってしまったことは申し訳ないと謝罪したものの、「有吉さん以外には、申し訳ないと思ってる」と有吉さんに謝罪することは拒否していました。
2014年の番組内のサシ飲み企画で青木さやかが有吉弘行に謝罪し和解?
この事件により有吉さんは「この恨みを絶対に忘れない」とまで語っており、青木さんと有吉さんを和解させるために、3年後同番組内でこの2人でサシ飲みをさせるという企画が行われています。
『ロンドンハーツ』内でサシ飲みをすることに
お互いに苦手だったということもあり、青木さんもこの表情。
気まずい雰囲気は20分以上続きました。
青木「私は、有吉さんがとても苦手です。それは、ずい分前に特番で、私がいろんな所へ連れて行かれて、何かをやるという企画で。その1つで竜兵会に行くというのがありました。その途中で、私が帰りました。理由は、大変に飲み会が…ちょっと怖かったということと、飲み会が苦手ということとか、男の人の下ネタが苦手だとか、そういった理由がいくつかあって。で、帰りました」
青木さんは、当時の心境を有吉さんに説明。そして「今考えると驕っていたなと思うようになった」と謝罪。
これに対し、有吉さんは「とんでもない、全然。ありがとうございます」と謝罪を受けていますが、「僕も青木さん苦手ですよ。怖いと思ってます、フツーに」と明かしました。
青木さんの自分の何が怖いのかと言う問いかけに、有吉さんは青木さんが母親になってだいぶ安定したと補足した上で、情緒不安定な人が苦手であると返答しています。
青木さやかと有吉弘行は和解した?
結局サシ飲みではハッキリと和解できなかった2人。
スタジオでは「和解のキス」がけしかけられましたが結局しておらず、最後まで曖昧なまま終了しています。
「ぐちゅぐちゅペッ」でインプラント級に白くなる方法が番組放送後大炎上!
この放送に対し、当時のネット上では青木さんの態度や芸人としての青木さんへの揶揄の声も見られました。
青木が腕組みしながら謝っていて、こりゃ和解しないだろうな、と思った。
芸人としての青木さやかが終了しすぎててびっくりした。
青木さやかが消えたのは有吉弘行のせいだった?
和解したかに見えた青木さんと有吉さんですが、共演NGはいまだに続いているとも言われているようです。
マツコと同じく毒舌で知られる有吉弘行(40)は舞台裏でのケアを欠かさないのでNGが少ないが、青木さやか(41)は別。再ブレイク前だった有吉にいじられた青木が怒って、各所に“有吉とは出ない”と連絡を入れたそうです。ところが今となっては立場は逆転。NG要請が仇となり青木がなかなか使われなくなっている」(放送作家)
現在では有吉さんは再ブレイクを果たし、レギュラーを含め多数の番組に出演しています。そのため、共演NGとなっている青木さんは自動的に出演できる番組が少なくなり、結果的に消えてしまったとも言われているようです。
青木さやかの現在は女優として活躍!芸能界引退も考えていた
青木さやかの現在は主に女優として活躍中!
「消えた」「干された」とも言われていた青木さやかさんですが、現在はどうなっているのでしょうか?
調べてみると、離婚後は主に女優として映像作品や舞台など多くの作品に出演していることがわかりました。
朝ドラ『とと姉ちゃん』
「この泥棒猫!」というセリフと演技には、キレ芸を売りにしていた芸人の青木さんを感じた方も多かったよう。
演技にも好感の声が多かったようです。
ドラマ『ゆとりですがなにか』
スペシャルも最近放送された人気ドラマ、『ゆとりですがなにか』では主人公岡田将生さんの兄嫁を好演。
「もともとはアナウンサーを目指していただけあって滑舌もいいし、芸人として鋭い人間観察眼も持っています。いじめられているのに自覚のない女や、小さな判断ミスからどんどん転落していく女を演じさせたらハマリ役でしょう」(テレビ誌編集者)
現在は三谷幸喜さんの舞台『子供の事情』の出演が終了したばかりとなっており、年末から来年にかけてはラサール石井さんが手がけるミュージカルにも出演が決定しています。
番組の企画でダイエットにも挑戦
一時期は衝撃的なお腹を披露した青木さやかさんですが、現在はダイエット企画で痩せたようです。
過去には芸能界引退も考えていた青木さやか
2014年には、『ナイナイアンサー』内で子供のことを考え芸能界引退も真剣に考えていたことを告白しています。
そして、シングルマザーである青木は「ネットとかで、私は見ないんだけど、誰でも何か書いてあるでしょ。子供が大きくなったときに悪口を見たら、辛いなってすごく思う。だから(仕事を)辞めるべきなんだろうかって思う」と本音を明かし、「一番大事なのは子供だから。子供のためにまっとうに生きたいっていうのが一番」と理由を告白。
また、青木さんは他人からコントロールされるのが嫌いだとも明かし、芸能界引退の選択肢も考え苦悩しながら生活していると語っていました。
まとめ
離婚によりシングルマザーとなり、芸能界引退まで考えていたという青木さやかさんですが、現在は女優というあらたな道で活躍の幅を広げているようです。
芸人としてはおもしろくなくなったという声が多数見られましたが、演技では好評の声も多く、青木さんの女優としての才能に注目が集まっています。
今後も、青木さんのあらたな魅力に期待ですね!
青木さやかの母親が校長をしていた学校とは?
青木さやかさんの母親は小学校で国語の先生をしていたそうで、最終的には管理職である校長まで勤め上げたそうです。
平の先生のとき小学校で先生をしていたのですから、青木さやかさんの母親が校長をしていたのも小学校でしょう。
しかし、母親が校長をしていたのがどこの学校かはわかりませんでした。
ただ、青木さやかさんの母親は、地元では有名な先生で、青木さやかさんは当時通っていた学校のいろんな先生に「青木先生のお嬢さんよね」と言われていたそうです。
そのため、母親が校長をしていた学校も地元の学校である可能性が高いでしょう。
青木さやかさんの出身地は愛知県瀬戸市だそうなので、おそらく母親は瀬戸市にある小学校で校長を務めていたと思われます。
大学の校長ではなかったんです!
青木さやかの出身大学は?どこの大学に通っていたの?
母親が最終的に校長まで勤め上げた先生だった青木さやかさんは、父親も学校の先生で母親だけでなく父親も最終的には管理職を務めていたそうです。
ただし、母親と同じ校長ではなく教頭です。
母親も父親も教育者ということも教育熱心な家庭で育ったこともあり、高校まで学校の成績は良かったようです。
そんな青木さやかさんがどこの大学に通っていたのかというと、名古屋学院大学だそうです。
名古屋学院大学は愛知県名古屋市熱田区熱田西町にある大学で、国立大学や公立大学ではなく私立の大学です。
大学の特徴は留学が盛んなことで、外国語学部では毎年多くの学生が留学に参加しています。
青木さやかさんはその外国語学部の中国語学科に進学していますが、大学時代に留学したようなことを話したことはないので、大学時代に留学はしていないでしょう。
青木さやかの通っていた大学出身の有名人は?
青木さやかさんが通っていた名古屋学院大学出身の有名人には以下の人たちがいました。
高橋重憲(中京テレビ放送アナウンサー)
佐井祐里奈(宮崎放送アナウンサー)
平松伴康(中京圏と静岡県を拠点に活動するフリーアナウンサー)
森下千里(タレント)
じゅんいちダビッドソン(お笑い芸人)
アポロ奥村(お笑い芸人)
曽我部直樹(野球選手)
キー放送局ではありませんが、名古屋学院大学は4人のアナウンサーを輩出しています。
上記で紹介したアナウンサーは3人なのにどうして4人かというと、青木さやかさんも大学卒業後、岐阜放送で仕事をした後、中京広域圏を対象に放送されるローカル番組でフリーアナウンサーをしていたからです。
ただ大学進学時からアナウンサーやテレビ局での仕事を目指していたというワケではなく、大学在学中は友達に誘われて入った放送文化研究会のサークル活動が楽しかったため、就職活動ではアナウンサー試験を多数受けたそうです。
けっきょく全て不採用だったので、中京ローカルでフリーアナウンサーとして活動することになってしまうのですが、もしどこかの局で採用されていたら、お笑い芸人『青木さやか』は誕生しなかったでしょうね。
まとめ
青木さやかの母親は校長!教育者の家庭で育った青木さやかが通っていた大学はどこ?
本記事で紹介したことを『まとめ』ます。
・母親が校長をしていた学校がどこかはわからなかったが、地元の小学校である可能性が高い
・青木さやかさんの母親は大学の校長ではない!
・出身大学は名古屋学院大学の外国語学部中国語学科
・大学卒業後、フリーアナウンサーとして中京ローカルで活動しているが、大学進学時からアナウンサーやテレビ局の仕事を目指していたワケではない
青木さやかさんと校長をしていた母親とは確執があり、どんなことがあっても母親が希望する公務員だけにはならないと決めており、大学の就活で公務員試験は1つも受けなかったそうです。
以上『青木さやかの母親は大学の校長!?教育者の家庭で育った青木さやかが通っていた大学はどこ?』でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。