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【超豪華な実家】柄本佑の父親と母親、嫁と義理の両親すべてサラブレッドな家族!

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柄本佑さんが2024年の大河ドラマ「光る君へ」で藤原道長を演じます。

その柄本佑さんですが俳優として活躍している裏側には、柄本佑さんと同じ俳優の父親、女優の母親の影響があります。

今回は、柄本佑さんの父親と母親、奥様と義理の両親について解説します!

目次

柄本佑の父親は俳優の柄本明!

画像引用元:ど通信

柄本佑さん父親は、俳優の柄本明さんです。

1948年11月3日生まれ、東京都出身、ノックアウト所属です。

母方の祖父は東京・銀座で箱屋を経営、両親が映画と演劇が好きで子供の時から俳優を目指していました。

工業高校卒業後に商社に就職しましたが、金子信雄さんの運営している劇団マールイの演劇教室の生徒になり、後の大スター松田勇作さんと知り合います。

NHKの大道具のアルバイトをして、そこで、大杉錬さん、小林薫さん、秋田明大さんもいました。

ドラマ出演歴

1974年自由劇場へ参加、柄本明さんと同じく名脇役の笹野高史さん、吉田日出子さんが在籍しています。

しかし、串田和美先生の作風に肌があわず、1976年退団しました。

後に名脇役となるベンガルさん、綾田俊樹さんと劇団東京乾電池を結成します。

その後、自由劇場時代に知り合った、俳優・バラエティーで活躍する高田純二さん、岩松了さんが入団します。

1976年から1978年3月までベンガルさん、綾田俊樹さんとひらけ!ポンキッキのお兄さんを務めたことがあります。

ドラマの地上波での出演は1980年代、探偵物語、ミセスとぼくとセニョールと!、拳骨にくちづけ、野々村病院物語、蒲田後進曲、モモ子シリーズ、ビートたけしの学問のススメに出演しました。

かってアルバイトをしていたNHKで迷惑かけてありがとう、日本テレビの刑事物語85、花嫁人形は眠らない、時間ですよふたたび、あそびにおいでヨ!、京都サスペンスあじさい色のレディにも出演しました。

1989年藤田まことさん主演の鬼平犯科帳にも出演するなど幅広い出演をしました。

スタジオパークからこんにちはでゲストとして豊臣秀吉を演じた格好でスタジオ入りしました。

2012年下北沢ザ・スズナリにて、劇団東京乾電池35周年記念公園、ハムレットに出演。

2018年、ロングヒットしている水谷豊さん主演の相棒Season17から19、21に出演。

この時で69歳になり、劇団東京乾電池としても41年になります。

2024年1月、大河ドラマ、「光る君へ」は長男の柄本佑さんが出演じます。

2024年1月3日に元NEWSの山下智久さん主演の正直不動産スペシャルに出演しました。

映画出演歴

映画では、1979年から1989年にかけて、天才バカボンの原作者でもある赤塚不二夫先生のギャグ・ポルノ気分を出してもう一度、ヒポクラテスたち、ちゃんばらグラフィティー斬る!に出演しました。

また、薬師丸ひろ子さん主演のセーラー服と機関銃、歴史に残る名俳優渥美清さんの男はつらいよシリーズ、佐伯監督を演じたキネマの天地、木村家の人々にも出演しました。

柴田恭兵さん、舘ひろしさんダブル主演のもっともあぶない刑事、バカヤロー!2幸せになりたいなどに出演しました。

1992年、映画監督としてデビュー、空がこんなに青いわけがないで監督をしましたが、二度とやりませんと最初で最後の映画監督の活動になりました。

1998年カンゾー先生で第23回報知映画賞主演男優賞を受賞、2004年座頭市など第58回ベルリン国際映画際最優秀女優賞を日本人最毎日映画コンクール男賞助演賞を受賞しました。

柄本明はあの高視聴率ドラマにも出ていた!

画像引用元:CatchUpLog

2020年、TBS日曜劇場、堺雅人さん主演の半沢直樹で堺雅人さんと対峙する場面が多くみられました。

柄本明さんは、政権与党の箕部幹事長の役を演じていましたが、北大路欣也さん演じる中野渡頭取と親交が深く、会食をするぐらいの関係です。

堺雅人さん演じる半沢は、政治と銀行の不正を暴こうと頭取と箕部幹事長に近づこうとしますが、箕部幹事長に土下座をさせられてしまいました。

これまで、半沢が不正をした銀行員に土下座をさせたという経緯がありましたが、意外な展開でした。

半沢直樹は2013年に第一弾が放送その時の最終回が42.2%を記録しました。

第二弾は32.2%と第一弾ほどではありませんでしたが、それでも高視聴率で、柄本明さんはラスボス的な存在としてこれまでの悪役を演じた香川照之さん、古田新太さんなどの名脇役の俳優陣以上の存在感を表していました。

第二弾の最終回については、詳細は説明できませんが、最後まで半沢直樹の第二弾に貢献している印象が非常に多くの視聴者に残りました。

柄本佑の父親・柄本明は2024年現在75歳、死亡説が出ていた!

柄本佑さんの父親・柄本明さんは2024年現在75歳となります。

年齢が高齢になり、テレビで見なくなると亡くなったという噂が流れてしまいます。

ネットで柄本明 死因というワードが多く検索されていました。

実際、柄本明さんが亡くなったという情報はありませんが、2013年にとんびというドラマで、病気でなくなるという演技があったため、それがネット上での死亡説になってしまったのだと思います。

柄本佑の父親・柄本明は病気を克服していた!

柄本明さんは75歳になりますが、半沢直樹に出演したのが71歳の時で未だ現役の俳優として活動しています。

そんな柄本明さんですが、2013年亡くなったという噂があったとき、前立腺の治療を受けたと言います。

しかし、ここでも間違った情報が出てきます。

それは、前立腺の手術を受けたという話題です。

実際は、柄本明さん本人と所属事務所が治療は受けているが手術は受けていないと否定しています。

柄本佑と父親・柄本明の現在の関係がわかるエピソード

柄本佑さんは現在、毎年ドラマ・映画の出演を中心に俳優として活躍しています。

それでも、俳優歴では遥かに経験にある父の柄本明さんに対して尊敬の念を持ち続けています。

柄本佑さんにとって、父はずっと『師匠』だといいます。

会話の内容は、映画と撮影現場、役者など未だにそれくらいしか話せないと語ります。

父の存在は、怖くもあり、それでも父がいる安心感が、今でもあると語ります。

柄本佑から見た撮影現場にいる俳優・柄本明

父と母の“夫婦の会話”は映画や芝居の話ばかり。

夫婦の間柄も、家の中で座長と女優のままのことがあったという。

「父は稽古場で怒鳴ると、怒ったことの気まずさから、夫婦の間に子どもたちを呼び寄せることもしばしばあって。緩衝材になっていたんだと思います」

柄本佑さんが「年間200本観る」映画少年になる下地は、両親の日常的な会話が映画に関する話が多かったので、その環境に身を置いていたこともあり、自然に映画を観る習慣ができたのだと思います。

また、俳優になるための基本として年間で数百本観る必要があるのと父親の柄本明のような俳優を目指すためにも必要だと思っていたのでしょう。

柄本佑に映画の世界を勧めたのは俳優・柄本明の妻だった

家の中でも日常的に芝居の話をする柄本明さんですが、柄本佑さんは芝居以外の生活も父親の影響を受けていたのでしょうか?

柄本佑さんは芝居の話を両親から聞きながらも学生生活は他の生徒と同じように、学校に通っていたそうです。

父親の柄本明さんは勉強についてはあまり、どういう言わないのですが、柄本佑さんの母親が柄本明さんに子供に怒るように伝えたら、テストの点数が悪い時に怒ったそうです。

柄本佑さんの子供の時は映画を観るようになってから、父親の柄本明さんとの会話が増えたと言います。

柄本佑さん自身が、俳優の道を進むようになった方法は意外な展開でした。

2001年、柄本佑さんが中学2年生の時、母親のマネージャーが映画『美しい夏キリシマ』の選考に柄本佑さんの書類を提出して、母親からオーディションに行けば、生の監督に会えると誘われました。

柄本佑さん当時、反抗期ということもあり、柄本明さんも長期ロケで家を空けることも多く、母親が手を焼いていたと言います。

そこで、夏休みの2カ月間、柄本佑さんを主役の少年役で撮影現場に放り込むように入れました。

実際、映画って縦社会で、周りは大人ばかりのため、寂しくて、柄本佑さんはひとり部屋で泣いて両親に電話をしてました。

柄本明さんは、柄本佑さんが故・原田芳雄さんをはじめ、先輩方に『佑、佑!』と呼ばれて、もまれて、すっかりいい子になって帰ってきたと言います。

柄本明さんは、撮影現場まで柄本佑さんの様子を見に行ってました。

柄本佑さんが中学生の時代なので、ついていけるのか見ていたのだと思います。

柄本佑さんが大人になって知ったのは、柄本明さんが小学校の運動会で息子のためにお弁当を作ったこともありました。

当時、小学生の柄本佑さんは気づかなかったと言います。

父親になった柄本佑が子供の存在で気づくこと

柄本佑さん、現在3歳の娘がいます。

柄本佑さんは子どもの記憶に残るという意味では、やはり母親の方が残ると言います。

親になってみて思うんですが、子がある程度の年齢にならないと、父親ができる『記憶に残ること』はほとんどないですからとも言います。

父親・柄本明の柄本佑に対する幼少期からの子育て・教育方針

柄本佑さんは、14歳の時から映画のオーディションを受けて俳優の道を歩み始めます。

高校生になってから柄本佑さんの両親は、これまで映画と芝居以外は他の家庭と変わらないほどの教育をしてきましたが、本格的に俳優に対する英才教育を始めるようになります。

柄本佑の俳優デビューに父親・柄本明の反応は?

柄本佑さんは前出の『美しい夏キリシマ』主演で、16歳で銀幕デビューしました。

同作で第77回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第13回日本映画批評家大賞新人賞を受賞しています。

しかし、数年後、柄本明さんが企画する東京乾電池の舞台に、柄本佑さんが叔母の勧めで出るようになってからは、父と子は「師匠と弟子」の関係に突入しました。

柄本佑さんは、殴られたことは一回もないですが、父には、殴られるより怖いと思う瞬間があると言います。

柄本佑さんが19歳の時、新宿ゴールデン街劇場での公演しました。

父の柄本明さんから「客と仲良くしやがって! 客は敵なんだからな!」と言われたり、柄本佑さんと弟との兄弟ユニット「ET×2」を始動させた2008年から稽古場より本番が始まってからのほうが怒られると語っていました。

しかし、演出家としての父・柄本明さんの空気を体感できることにありがたいと思っているそうです。

2017年の兄弟での公演『ゴドーを待ちながら』では、その父に演出を依頼していました。

お客さんに評価されても、師匠なんで父に『ダメだ』と言われたらゼロに等しいと言います。

怖いものがなければ面白くならない、その上で安心感もある、父が元気でいるのは、ありがたいと語っていました。

柄本佑の実家は世間の噂通り、豪邸なのか?


画像引用元:D-media

柄本佑さんの実家は、両親が役者として何十年も活躍しているので、世間の噂通り豪邸なのでしょうか?

柄本明さんが劇団に入った時から下北沢に住んでいるという情報がありました。

自宅兼アトリエとして柄本佑さんと弟が生まれた時から住んでいるので相当大きい家という印象があります。

柄本佑さんはその家に、結婚してからも、住んでいたそうです。

佑の父親・柄本明の妻は女優の角替和枝!

画像引用元:ぴくちゃあ通信

柄本佑さんの父柄本明さんの妻は女優の角替和枝さんですが、大学生の時、つかこうへい事務所に所属、大学を卒業してから劇団東京乾電池に所属、NHKの数々の連ドラに出演しました。

26歳の時、劇団東京乾電池の座長である柄本明さんと結婚し、長男の柄本佑さん含む、次男、長女を出産、家族からは和枝ちゃんと呼ばれています。

2018年10月27日に64歳で原因不明の病気で亡くなりました。

その時、柄本明さんは、同じ病気でも若くして亡くなる人もいますが、不条理な感じは否めないと肩を落としていました。

柄本明とは生前、おしどり夫婦だった

柄本明さんが劇団東京乾電池を結成して、妻で女優の角替和枝さんは、柄本明さんに客演を依頼し、後に東京乾電池に移籍します。

結婚した後、東京の下北沢で新居を構え、近所の喫茶店cafeCanaanに毎朝、行っては、長い時間、芝居のことを語りあうほどの仲だったといいます。

角替和枝さんは出産後、女優を続けるのは難しいと思いましたが、柄本明さんからそろそろ仕事できるんじゃないかと言われ復帰しました。

女優を辞めると話が合わなくなるのでは?と角替和枝さんは思ったそうです。

2009年、ニューヨークへ旅行に行ったとき胸が痛くなり、検査入院してうつ病と診断されました。

ストレスが重なった原因でしたが、角替和枝さんが入院の際、柄本明さんは献身的に支えました。

退院後は、芝居と映画の話、中心の会話に英会話とう趣味を夫婦で見つけました。

柄本明と同じく名バイプレーヤーだった角替和枝の女優歴

角替和枝さんはデビューした時から名脇役として活躍していました。

バイプレーヤーとしての活動のため、多くの作品がありますが、結婚したばかりの1982年、NHK連続テレビ小説「ハイカラさん」に出演、平均視聴率は36.2%を記録しました。

手塚理美さん、木村史郎さん、歌手として活躍するジュディ・オングさんも出演していました。

2004~06年、NHKバラエティー「コメディー道中でこざる」に出演しました。

この時、柄本明さん、角替和枝さんの子供たちが高校卒業するぐらいの頃ですが、桜金造さん、重田千穂子さん、魁三太郎さんと共演しました。

亡くなった、2018年8月にはNHK連ドラで清原佳那さん主演の「透明なゆりかご」に出演していました。

熱心なゲーム好きとしても知られ、柄本佑さんに怒るとき、マリオとゼルダから何を学んだ!とゲームを引き合いに出すこともありました。

柄本明の長男・柄本佑と次男は俳優、娘は映画の製作をしていた!

柄本明さんの長男・柄本佑さんは、中学生の時、映画のオーディションに合格してから、16歳の2003年から本格的な芸能活動を開始しました。

大きな話題になったのは、2016年の波留さん主演のあさが来たというNHKの連続テレビ小説に出演したことです。

2016年、おかしな男~寅さん夜明け前、渥美清の青春~に出演、スクラップ・アンド・ビルドでは、芥川龍之介賞を受賞し、タレントとしても活躍する作家の羽田圭介さんの作品に柄本佑さんは主演しました。

2020年心の傷を癒すということ、2022年空白を満たしなさいで主演としてドラマ出演、今や日本を代表する俳優の一人です。

柄本佑の弟は俳優の柄本時生

画像引用元:りりブロ☆気になるを詳しく知りたい

柄本佑さんの弟であり、柄本明さんの次男でもある柄本時生さんも兄の柄本佑と同様の芸能活動をしています。

2003年、兄・柄本佑さんが受けられなかったオーディションを代わりに受け合格し、オムニバス映画Jam Films S『すべり台』で俳優デビューしました。

2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」で柄本時生さんは父・柄本明さんと親子共演をしました。

2010年、テレビドラマ『Q10』(日本テレビ)で再び、父親の柄本明さんと親子役で共演、翌年の2011年、連続テレビ小説『おひさま』(NHK総合)ではヒロインの陽子に密かに想いを寄せる幼馴染のタケオを演じ、母親の角替和枝さんと親子役で共演しました。

この作品では、後に兄の柄本佑さんの妻となる女優とも夫婦役を演じています。

2015年ごろから毎年メンズブランド『フィンガリン』のルックモデルを務めています。

2016年、『初恋芸人』(NHK BSプレミアム)で連続テレビドラマ初主演しました。

私生活では、2008年放送のドラマ『私は一本の木に恋をした』(福岡放送)での共演で知り合い、友人関係を経て2019年秋より結婚を前提に交際していた女優の入来茉里さんと、入来さんが30歳の誕生日となる2020年2月16日に婚姻届を提出し結婚しました。

翌2月17日に所属事務所を通じてファクスで発表しました。

しかし、2022年6月1日、入来茉里さんと離婚していたことが明らかにされました。

柄本明の長女であり柄本兄弟の姉も映画に関わっていた!

柄本明さんの長女であり、柄本佑さん、柄本時生さんの姉である柄本かのこさんも一般の方ですが、映画の仕事に関わっています。

年齢は非公開ですが、1983年頃に生まれたそうです。

2015年、田沼旅館の奇跡という廃業寸前の旅館の再生に奮闘する映画の製作担当をしていました。

2018年、ラプラスの魔女は、ベストセラー作家の東野圭吾の作品で製作担当をしています。

同じく2018年、ウスケボーイズという日本のワイン造りに革命を起こした若者の映画製作を担当しています。

他にも劇場版ひみつx戦士ファントミラージュ!映画になってちょーだいします、劇場版ひみつx戦士ラブパトリーナ!怪盗からの挑戦!ラブでパパッとタイホせよ!の製作に関わっています。

以上で柄本家の家族構成についてですが、夫婦と兄弟は役者、長女の柄本かのこさんは役者ではありませんが、映画製作として芸能活動に関わっていることがわかります。

柄本佑の嫁の家族も一流の役者!

柄本佑さんは2012年に結婚しましたが、相手は女優の方です。

また、その相手の女優の両親も柄本佑さんの両親と同様、俳優、女優として活動しているのでしょうか?

柄本佑の嫁は安藤サクラ!

画像引用元:もものたると

柄本佑さんと結婚した女優は安藤サクラさんです。

2007年に俳優をしている父が手掛けた映画『風の外側』にクランクイン直前に降板した主演女優の代役として出演しデビューしました。

映画デビューとなった同作品には両親が出演しているほか、安藤サクラさんの姉も助監督として参加していました。

2011年、映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を始め、立て続けに注目作に出演し、第84回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞しました。

2013年1月、映画、かぞくのくにの演技が高く評価され、第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞しました。

2014年、姉が監督を務めた映画『0.5ミリ』と、オーディションの募集記事を見て応募した『百円の恋』で主演を務め、2年連続でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞しました。

翌年度第39回日本アカデミー賞では『百円の恋』で最優秀主演女優賞を受賞しました。

キネマ旬報が企画したオールタイム・ベスト 映画遺産 日本映画男優・女優100(映画雑誌『キネマ旬報』創刊95周年記念)の女優ランキング第8位に選出されました。

2016年4月スタートの『ゆとりですがなにか』(日本テレビ)で連続ドラマ初ヒロインとなります。

2017年3月3日に行われた第40回日本アカデミー賞にて西田敏行さんとともに司会を務めました。

2017年に第1子を出産し育児への専念をしていましたが、何度もオーディションに挑戦し落選していた憧れのNHK連続テレビ小説のヒロインのオファーが届き、夫や両親、義父母の叱咤激励を受け、育児と撮影を両立することを決意しました。

2018年10月1日より放送の『まんぷく』のヒロイン・立花福子を演じることとなりました。

2018年、リリー・フランキーとW主演した映画『万引き家族』が第71回カンヌ国際映画祭にてコンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞しました。

2019年、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK)に10月27日から出演し、大河ドラマ初出演となりました。

安藤サクラさんも夫の柄本佑さんと同じように姉が映画に関わっているという共通点があります。

安藤サクラの姉も映画に関わっていた!

安藤サクラさんの姉は、安藤桃子さんで、東京出身の映画監督です。

2010年、安藤 モモ子名義で『カケラ』で監督デビューをしました。

2011年、小説『0.5ミリ』を出版し、作家デビューを果たします。

2014年3月14日に一般男性(仏教僧侶)と結婚しました。
2014年、2011年に出版した小説『0.5ミリ』を映画化し、自身で監督・脚本を務めました。

主演には妹の安藤サクラさんを迎え、姉妹共作を実現しました。

以後、同作のロケを行った高知県高知市に移住、高知市内に映画館「ウィークエンドキネマM」(帯屋町一丁目)をオープンします。(ミニシアター「キネM」として、2021年初夏リニューアルオープン)

2018年5月下旬に一般男性(仏教僧侶)と離婚しました。

結婚した時に生まれた長女は安藤桃子さん自身が高知県で生活しながら一緒に暮らすそうです。

柄本佑の義理の親(嫁・安藤サクラの両親)は一流俳優と女優?

最後は、柄本佑さんの義理の親であり、安藤サクラさんの両親について解説します!

柄本佑さんの父親の柄本明さんは俳優、母親は角替和枝さんは女優でしたが、妻の安藤サクラさんの父は、柄本明さんのような俳優経験がある方で、母も女優かと思いましたが、実際はキャスターをしていたようです。

柄本佑の義理の親は奥田瑛二と安藤和津だった

画像引用元:わくわくウキウキブログ

柄本佑さんの義理の父で、安藤サクラさんの父は俳優であり監督もしている奥田瑛士さんです。

また、柄本佑さんの義理の母で、安藤サクラさんの母はニュースキャスターでエッセイストの安藤和津さんです。

奥田瑛士さんは愛知県春日井市議会議員の安藤豊さんから俳優を目指すために上京をするのを反対されたとき、政治の勉強をすると言って東京に住むことができました。

明治学院大学法学部在学中、議員秘書をしながら演劇を行います。

大学を中退した後、1976年に『円盤戦争バンキッド』の主人公・天馬昇 / バンキッドペガサス役でデビューします。

しかし、しばらくは役に恵まれず不遇時代を過ごし、一時期は公園でホームレスのような生活をしていたといいます。

この頃に知り合い、後に妻となった安藤和津さんとは、家に招いて食事を振る舞っていたと回想しています。

『宮本武蔵』の又八役を演じて以降、TVドラマ『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』(1985年)、『男女7人夏物語』(1986年)、『金曜日には花を買って』(1986年、1987年)などへの出演により人気が上昇しました。

1993年公開の映画『棒の哀しみ』ではブルーリボン賞を始め国内の映画賞を多数受賞しました。

以降も、ヤクザからアダルトビデオ会社社長、パチンコ屋社長など、アウトローな役を難無く演じる積極性を武器に、50本以上の映画に出演しています。

基礎から映画製作を学び、48歳にして助監督を経験しました。

50歳を迎えた2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』で念願の監督デビューとなります。

2006年1月に松坂慶子を主役とした『るにん』を公開。共に国内外の映画賞で多数の賞を獲得しました。

3作目となる『長い散歩』は、奥田が「どうしても仕事がしたかった」という緒形拳さんを主役に配し、モントリオール世界映画祭で、日本映画として1982年の佐藤純弥監督作『未完の対局』以来2作目となるグランプリを受賞しました。

また、国際批評家連盟賞とエキュメニック賞も同時受賞し、計3冠を獲得するという快挙を成し遂げました。

安藤和津の祖父は犬養毅だった!

画像引用元:ラズベリー速報~芸能~

安藤和津さんは、子供の時、母親の実家の宝石屋が倒産したあと、母親が料亭を立ち上げ安藤和津さんを育てていました。

学習院女子・中等、高等科を経て上智大学文学部中退の後、2年間イギリス留学します。

1979年に俳優の奥田瑛士さんと結婚、祖父が元内閣総理大臣・犬養毅で、父が犬養健です。

そのため、安藤和津さんは犬養和という芸名で活動していた時代に、TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO』で中継キャスターとしてデビューしました。

TVリポーターやニュースキャスターも務め、元CNNキャスターでもあります。

一時期、ニッポン放送『テレフォン人生相談』のパーソナリティも担当しました。

エッセイストの活動もしていますが、多くの著書を出版しました。

特に在宅介護した母を看取った後に鬱病を13年間患い、後に寛解した体験を基にした著書を2018年に“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間を出版しています。

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