俳優で歌手の上地雄輔(かみじゆうすけ)さんは、2015年に長年交際していた一般人女性と結婚しました。
現在、2人の間に子供は何人いるのでしょうか。今回は上地雄輔さんの子供や嫁、家族などプライベートについてご紹介します。
プロフィール
名前:上地雄輔(かみじゆうすけ)
生年月日:1979年4月18日
出身地:日本・神奈川県横須賀市
主な出演作:映画『新宿スワンII』(2017年)、ドラマ『バベル九朔』(2020年)など
事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
上地雄輔さんはスカウトされて、1999年のドラマ『L×I×V×E』で俳優デビューしました。
その後、複数のドラマや映画で端役を演じる日々が続きました。
2007年、上地雄輔さんは『クイズ!ヘキサゴンII』で珍回答を連発し、おバカタレントとしてブレイクを果たします。
同年、タレントのつるの剛士(つるのたけし)さんと俳優の野久保直樹(のくぼなおき)さんとユニット「羞恥心」を組んで、歌手デビューしました。
2008年のドラマ『セレブと貧乏太郎』で主演を務めた上地雄輔さんは、2009年以降にソロ歌手として活動もスタートさせました。
同年には第60回NHK紅白歌合戦にも出場して話題になりました。
2010年にはメンズブランド「U-SUKE」と子供向けブランド「U-SUKe KIDS」を発表。
現在も上地雄輔さんは幅広いフィールドで活躍し続けています。
目次
上地雄輔と嫁の馴れ初めは?いつ結婚した?
上地雄輔さんは、2015年8月22日に一般人女性と結婚したことを発表しました。
その女性は、高校1年生の時に知り合った地元の同級生。2人は出会った後に交際がスタートし、何度も別れと復縁を繰り返してきたそうです。結婚するまでその女性は田舎でOLをしていたみたいですよ。
上地雄輔さんは出会って20年以上経った女性に対し、「あ、俺こいつと結婚しよう」と思ってプロポーズしたことを自身のコンサートでファンに報告しました。
実は高校生の時から上地雄輔さんは、現在の嫁と結婚を意識していたそうで、高校生の時に初めて彼女が貰った給与明細に「絶対お前と結婚する」と書いたらしいですよ。
上地雄輔さんの嫁は一般人であり、「表に出るのが苦手な子」であるため、顔写真や名前など公開されていません。ネット上には結婚式の写真が出回っていますが、嫁の顔は隠されています。
上地雄輔と嫁の結婚式が豪華と話題?
上地雄輔さんの結婚式がかなり豪華だったと話題になったことがあります。
2015年12月12日、上地雄輔さんは結婚式披露宴を行い、名だたる芸能人が参列しました。
上地雄輔の結婚式に参加した芸能人
藤原紀香(ふじわらのりか)さん、観月ありさ(みづきありさ)さん、久本雅美(ひさもとまさみ)さん、クリスタル・ケイさん、宮根誠司(みやねせいじ)さん、水川あさみ(みずかわあさみ)さん、斎藤工(さいとうたくみ)さん、生田斗真(いくたとうま)さん、綾野剛(あやのごう)さん、松坂大輔(まつざかだいすけ)さん、明石家さんま(あかしやさんま)さん、マツコデラックスさん
など、この他にも『クイズ!ヘキサゴンII』のメンバーやお笑い芸人などが参列したと言われています。
結婚式では数年ぶりに「羞恥心」が復活し、真っ白な衣装で自分達の楽曲を熱唱して会場を沸かせたみたいです。
また、業界人や共演者、友人などが多くいる中、上地雄輔さんの父親が息子の曲を歌った1幕もあったようです。
上地雄輔と嫁の間に子供は何人いる?
上地雄輔さんは昔インタビューなどで「将来的に子供は9人欲しい」と発言したことがあります。小さい頃から野球少年だった上地雄輔さんは、子供だけで野球チームを作りたいと考えているそうです。
果たして現在、上地雄輔さんに何人の子供がいるのでしょうか。
上地雄輔さんと嫁の間には、2017年1月7日に生まれた第1子、2019年5月1日に生まれた第2子がいます。
2人目の子供は3000gで生まれた身長50cmの子で、胎盤は500gだったそうです。
きりのいい数字から縁起の良さが伝わってきますね。
上地雄輔さんは子供のプライベートもあり、名前や性別など非公開としています。
上地雄輔さんは子供が大好きなようなので、息子か娘をとても大事にしていることでしょう。
この先、第3子、第4子と子供が増えていくのかにも注目したいですね。
上地雄輔は甲子園に出場したことがある?
上地雄輔さんは6歳の時に野球を始め、小学校・中学校時代に日本代表に選ばれたことがあります。
注目度が高かった上地雄輔さんは、高校野球部監督にスカウトされる日々が続き、高校進学するタイミングで38校から野球推薦のオファーが届いたそうです。
そして、上地雄輔さんは憧れの先輩がいる横浜高等学校の野球特待生になり、硬式野球部に所属しました。
横浜高校時代、上地雄輔さんは捕手を務め、プロ野球選手の松坂大輔さんとバッテリーを組んだこともありました。
高校1年生の春から練習試合に出場し、憧れの先輩だった丹波慎也(たんばしんや)さんとバッテリーを組んだこともあったそうです。
しかし、高校2年生の時に怪我をしてしまい、長い間リハビリの日々が続いたと言います。
そのこともあったのか、上地雄輔さんは甲子園出場を果たせなかったみたいです。
その後、上地雄輔さんは複数の大学から推薦入学のオファーが来るも、断って芸能界の道に歩むことにしました。
上地雄輔さんは今でも野球が好きで、よくキャッチボールをしているそうです。
インスタグラムには頻繁にキャッチボールコーデをアップしているので、チェックしてみてください。
上地雄輔の実家はどこ?家族構成は?
上地雄輔さんは父親・母親・弟の4人家族の長男です。実家は神奈川県横須賀市にあります。
上地雄輔さんの父親は横須賀市長で知られていますが、どんな家族の元で育ったのでしょうか。家族のプロフィールを1人ずつ見てみましょう。
上地雄輔の家族構成【1】父親:上地克明
上地雄輔さんの父親は、上地克明(かみじかつあき)さんです。
神奈川県横須賀市で生まれ、大学卒業後に株式会社ニトリチュウに就職しました。
しかし、わずか1年で退職し、政治家秘書に転職しました。
1983年に当時最年少で神奈川県議会議員選挙に立候補するも落選。1987年も再び落選してしまいます。
2003年、上地克明さんは横須賀市議会議員選挙に立候補して初当選します。その後も4期連続で当選しました。
2017年6月、上地克明さんは、息子の幼馴染で地元選出の小泉進次郎(こいずみしんじろう)さんの支援と自民・民進・公明3党の推薦を得て無所属で横須賀市長選に出馬して見事当選を果たしました。
現在も横須賀市長として活躍している上地克明さんは、趣味でバンド活動もしており、「上地克明 with GOLD」というグループを組んでいるそうです。このグループは、上地雄輔さんの結婚式で演奏したこともあるみたいですよ。
上地雄輔の家族構成【2】母親:上地嗣奈江
上地雄輔さんの母親は、嗣奈江(しなえ)さんと言います。
かつて航空会社に勤務しており、CAとして働いていたそうです。
上地雄輔さんが野球少年だった際、母親は息子のために毎日弁当を作り、練習試合や地方試合、海外遠征する息子をサポートし続けました。
中学1年生の時、上地雄輔さんは反抗期で、お小遣いを使って校則違反の制服を購入したことがありました。
その際、母親は「こんなために働いているんじゃないよ」と叱って制服を取り上げようとしたのですが、上地雄輔さんは母親を突き飛ばして「働いてくれなんて言ってねーよ。嫌だったら野球を辞めて新聞配達でもやるよ」と言い返したそうです。
この時、母親は泣いてしまったらしく、今でも上地雄輔さんは後悔して反省していると言います。
上地雄輔の家族構成【3】弟:上地亮輔
上地雄輔さんには、1歳年下の弟・上地亮輔(かみじりょうすけ)さんがいます。
弟はしっかり者で、兄とは正反対の人物だったそうです。
例えば、子供の時に兄弟で同じ服を着た際、上地雄輔さんはズボンからトップスを出して着崩し、顔は擦り傷だらけで、阪神タイガースのキャップを横にして被っていたみたいです。
それに対して弟は、ズボンをきちんと履き、綺麗な顔立ちで、巨人のキャップを前向きにして被っていたと言われています。
ちなみに、弟の上地亮輔さんも野球をしていたそうです。
関東学院高校に進学した際は、同じ高校に進学した小泉進次郎さんと野球に青春を捧げていたみたいですよ。
上地雄輔の幼馴染とは?
上地雄輔さんは、俳優の小泉孝太郎(こいずみこうたろう)さん、政治家の小泉進次郎(こいずみしんじろう)さんと幼馴染で知られています。
出会いのきっかけは、お互いの両親が関係しています。
小さい頃、上地雄輔さんの父親である上地克明さんの選挙事務所に、小泉孝太郎さんと父親の小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)さんが訪れたことがあったそうです。
上地雄輔さんと小泉孝太郎さんは同い年であったこともあり、すぐに意気投合して仲良くなったみたいです。
3歳の時から一緒のスイミングスクールに通い、一緒に野球をしていたこともあったのだとか。
また、上地雄輔さんの弟や小泉進次郎さんも含めて家族ぐるみで仲が良かったみたいですよ。
後に上地雄輔さんが俳優として活動することになった際、最初の数年全く売れなかったのですが、幼馴染の小泉孝太郎さんがすでに俳優として活動していたので、少しずつ芸能界に知り合いが増えていったそうです。
2019年、幼馴染の小泉進次郎さんがフリーアナウンサーの滝川クリステル(たきがわクリステル)さんと結婚した際には、「幼い頃から青春時代まで一緒に駆け抜け、弟みたいだったあなたが、スーツを着て、政治家としてマジメな顔をしているのを見るのは、正直何年経っても慣れない、くすぐったい気持ちでした」というコメントを送ってます。
上地雄輔さんは、幼馴染の小泉兄弟ととても仲良しだったことが伺えますね。
上地雄輔の自宅はまさに高級ホテル?
今年初め自身のインスタグラムを更新し自宅リビング写真を披露しました。
上地は「わたす、年を越した感覚が(ナスの絵文字)」というコメントとともに、リビングのソファに寝転ぶオフショットをアップ。
「#ただ居間」とユーモアたっぷりのハッシュタグをつけ、広々とした部屋を公開しました。
この投稿にモデルのアンミカが「リビング広っ!!」とコメントすると、上地は「ぃややや笑!」と返信。ファンも「ひっろいおうち~」「部屋めっちゃ広い」「広すぎる!!!」、「高級ホテルかと思ったー!!」「のんびりしてる感じが素敵」と反応を寄せていました!
広いのもそうですが、オシャレなご自宅ですね。
俳優で歌手の上地雄輔さんについてご紹介しました。
学生時代は甲子園出場を夢見て野球に情熱を注いだ上地雄輔さん。高校1年生の時に出会った彼女と別れと復縁を繰り返し、2015年に結婚しました。
かつて「9人の子供が欲しい」と発言していた上地雄輔さんには、現在2人の子供がいます。いつか子供達が大きくなったら一緒にキャッチボールをして親子の時間を楽しむのでしょう。
今後、上地雄輔さんと嫁の間に子供が誕生するのかにも注目していきたいですね。
上地雄輔の実家は金持ちらしい!
上地雄輔さんの父親は、上地克明さんといいます。横須賀市市長や市議会議員をしており、政治家として地元で支持されてきた方です。
政治家の家庭であれば、一般的な庶民の家庭よりも裕福に暮らしているのは間違いなさそうです。
上地雄輔さんの実家はお金持ちだといわれるのも、仕方ないでしょう。
上地雄輔の実家の住所は神奈川県横須賀市
上地雄輔さんのご実家は、神奈川県横須賀市にあります。上地雄輔さんは幼少期からずっと地元・横須賀で育ってきました。
こちらが横須賀にある上地雄輔さんのご実家と噂されている家の外観画像です。
あくまでネット上の噂なので、これが本当に上地雄輔さんの実家の画像なのか、信ぴょう性については不明なのでご注意ください。
上地家のご先祖様は、元々宮古島の士族だったそうです。
本来は「かみじ」ではなく「うえち」と読むのですが、宮古島出身者や沖縄人であることで差別されることを恐れて、「かみじ」と名乗っていたようです。
「うえち」は特殊な読み方で、沖縄出身だとバレてしまうためです。
上地雄輔さんがテレビで見せる穏やかさや明るさを考えると、宮古島出身と言われて腑に落ちる気がします。
小学校 横須賀市立逸見小学校
中学校 横須賀市立桜台中学校
高校 横浜高等学校
上地雄輔さんは小学校へ入る前から野球にのめり込み、野球選手を目指して頑張っていました。
学級委員を務めて学校の行事にも積極的に参加しながら、全日本選抜チームに選ばれるくらい、練習に真剣に取り組んでいました。世界大会にも出場したこともあるとか。
中学校に進むと、横須賀スターズというチームに加入します。
全日本の選抜チームに選ばれているということは、かなりの野球実力者です。実際、高校進学の際には上地雄輔さんに対して推薦の申し出が40校ほどあったそうです。
当初は、常総学院高校(甲子園の常連校)に進学予定でしたが、横浜高校の練習見学に行ったことをきっかけに心惹かれ、横浜高校へ進学することを決めます。
上地雄輔さんはこうして横須賀でずっと野球にのめり込んできました。
高校野球の名門校・横浜高校へ進学すると、入学当初からかなり期待をされていた上地雄輔さんは、1年生にも関わらずレギュラーを獲得。試合に出場していました。
横浜高校では、あの松坂大輔さんとバッテリーを組んでおり、このまま順調にいけばプロ野球選手になっていたかもしれません。
しかし、上地雄輔さんは右肘の腱を怪我で損傷してしまいます。この故障が決定打となり、プロ野球選手の道を諦めています。
上地雄輔さんは野球つながりで、小泉進次郎さんらと幼馴なじみです。
上地雄輔さんと小泉孝太郎さんは、横須賀の同じスイミングスクールに通っていました。
当時は小泉孝太郎さんのことを「こうちん」と呼び、水泳でいつも対決。
中学生に上がると、今度は野球で対決するようになりました。
さらに上地雄輔さんの弟と小泉進次郎さんが仲良しで、上地雄輔さんに野球を習いに来ることもあったそうです。
そういった幼い頃からの長い付き合い・ご縁もあってか、上地雄輔さんの父親・上地克明さんが横須賀市長に出馬した際は、小泉進次郎さんが選挙支援をしてくれています。
横須賀の地元では、家族ぐるみで色んな方々と関係性を持っていることが分かりますね。
上地雄輔の実家の家族構成
上地雄輔さんの家族構成は、父親・母親・上地雄輔さん・弟の4人家族です。
上地雄輔の父親は政治家の上地克明さん
父親の上地克明さんは自民党に所属する政治家で、神奈川県の横須賀市長を務めています。初当選は2003年、それから地元で長く支持されてきました。
1977年 株式会社ニチリョウ入社
ー 新自由クラブ神奈川県連の広報副委員長と田川誠一衆議院議員の秘書を歴任
1983年 神奈川県議会議員選挙に立候補(落選)
1987年 神奈川県議会議員選挙に再度立候補(落選)
2003年 横須賀市議会議員選挙に立候補(当選)
ー その後も4期連続で当選
2017年 横須賀市長選挙
小泉進次郎さんの支援を受け、自民・民進・公明の推薦を貰って立候補(当選)
2021年 横須賀市長選挙に再選出
上地克明さんは、2020年4月には自分の夏のボーナスを全額カットし、副市長2人もそれに続きました。市の政治の為に、身銭を切って頑張っているのですね。
また、上地克明さんは音楽が大好きで、「上地克明 with GOLD」バンドを組んでいるそうです。ボーカルを務めて楽しんでいるようですよ
上地雄輔の母親は元CAの上地嗣奈江さん
上地雄輔さんの母親は、上地嗣奈江(かみじしなえ)さんといいます。元CAで航空会社で働いていました。
政治家と結婚するくらいですから、やはり奥さんもステータスのある職業をされていました。
現在の職業については情報はありませんが、旦那さんが政治家をやっているなら、その支えとして事務作業をやったり、何かと手伝いが発生するはずなので、専業主婦だと思われます。
上地雄輔には関東学院出身の弟が1人
上地雄輔さんには1歳年下の弟が1人います。上地亮輔さんというお名前で、高校進学の際に野球で有名な関東学院高校に進学しています。
学生時代は兄の上地雄輔さんと同じように、野球に情熱を注いで頑張っていたようです。
上地雄輔さんは阪神タイガースが好きで、弟の上地亮輔さんは巨人が好きだったとか。
上地雄輔の実家の両親からの育てられ方
上地雄輔さんは家族想いの母親と立派な父親との間で大切に育てられてきたのでしょう。
幼少期から野球を思う存分にやらせてもらっていますし、親の都合の押し付けなどは一切せずに、本人がやりたい好きなことをやらせる教育方針だったのではないでしょうか。
父親は政治家ですが、無理に自分の仕事や野望を継がせようとしたことは無さそうです。
母親も、息子にいわゆる世間的に良いとされる仕事を強要したりすることなく、子供の気持ちを尊重して子育てをしてきたのではないでしょうか。
「プロ野球選手」は、限られた人しかなることが出来ず、仮になれたとしても活躍するには、さらに才能が求められる職業です。
もし、子供の将来に口を出すタイプのご両親であれば、「プロ野球選手なんてほとんどの人が慣れないから目指しても時間と労力がもったいない、勉強して良い大学に入る方が将来安定する」といった考えで、子供をコントロールすることもあり得ます。
そういったことは上地雄輔さんには一切なかったようなので、ご両親は本人の気持ちを大切にしながら、育ててきたのでしょう。素敵なご家庭ですね。
上地雄輔の芸能界入りに対する実家の両親の反応
元々、プロを目指して野球一筋でやってきた息子が、いきなり芸能界で俳優を目指すと言い始めたら、ご両親はとても驚いたことでしょう。
横浜高校へ進学して野球部で日々練習に励んでいた高校1年生の頃、何の撮影かは分かりませんが、明石家さんまさんが、横浜高校野球部へやってきたことがありました。
その際、部員の皆さんにジュースを差し入れてくれたそうです。
差し入れを貰った部員はありがたく頂戴し、そのまま練習へ戻ります。
しかし、上地雄輔さんはその後色んな大人の目をかいくぐって明石家さんまさんの所まで行き、直接お礼を言いに行ったそうです。
お礼を言いに行ったのは、上地雄輔さんたった一人だけでした。顔を合わせた上地雄輔さんと明石家さんまさんは、ずっと喋っていたとか。
やり取りの中で明石家さんまさんは「おまえ面白いし、顔もええから芸能界入りぃな」と冗談半分で上地雄輔さんに伝えたそうです。
上地雄輔さんは冗談半分で言われたとインタビューで答えていますが、明石家さんまさんは本当に冗談半分だったのかは分かりません。
大御所の大スターで芸能界の前線で戦ってきた方ですから、冗談であっても、むやみに一般人に芸能界を薦めるとは考えにくいです。
上地雄輔さんに何か光る才能を感じ取ったからこそ、ついぽろっと「芸能界入りぃな」と言ってしまったのかもしれません。
明石家さんまさんの言葉が一つのきっかけとなり、上地雄輔さんは芸能界へ入りました。
高校2年生の時に致命傷となる故障をしてしまい、プロ野球への道は閉ざされます。
元々、上地雄輔さんはご両親に対して高校ではお金をかけさせないと啖呵を切って野球をしていたそうですが、故障の治療費や入院費用、リハビリでお金が掛かってしまいました。
そんな時期、野球観戦に向かっている途中に、表参道で芸能事務所からスカウトを受けます。
治療でお金が掛かってしまったのは仕方ないことかと思いますが、上地雄輔さんは親に対して申し訳なく思っており、少しでも家計の足しになればとスカウトを受け、芸能の仕事を始めました。
最初はバイトのつもりで軽い気持ちで入ったものの、ドラマオーディションを受けてみたらあっさり合格。以後、俳優として徐々に活躍の幅を広げていきます。
俳優として活躍し始めて数年、バラエティ番組「ヘキサゴン」のレギュラーに抜擢、以降は良く知られている通り「羞恥心」でブレイクして、現在にまでつながります。
野球で故障した時は、ご両親も心配していたはずです。
体の心配はもちろんですが、それ以上に、今まで野球一筋でやってきたのにそれを丸ごと失ってしまった上地雄輔さんの心が壊れてしまわないか、気が気ではなかったのではないでしょうか。
ご両親はまさか息子が芸能界に入ってしまうなんて考えたことすらなかったと思いますが、バイトだったらまあいいかと許していたら、あれよあれよという間に活躍し出して、ご両親としては芸能界入りに反対する間もなかったのかもしれません。
なし崩し的にとりあえずやっていて、気づいたら俳優として食べていけるようになってしまったのですから、これも上地雄輔さんの才能です。
上地雄輔さんはちょこちょこ実家に帰ることもあるようなので、親子仲は現在も良好なようです。
上地雄輔が実家にいた頃の幼少期家族エピソード
母親の上地嗣奈江さんは、毎日手作り弁当を作ったり、泥だらけのユニフォームを洗濯したりと、息子の野球生活を全力でサポートしてくれていました。
度々ある練習試合や合宿、遠征などにも協力して諸々の準備をしてくれていたようです。
しかしながら、上地雄輔さんが思春期に入ると反抗期が始まります。お小遣いを変な使い方して、少し悪そうな服を買ったことがあったそうです。
それを見た母親は、「こんなことのために働いているんじゃないよ」と上地雄輔さんに伝えたところ、上地雄輔さんは母親を突き飛ばして暴言を吐いてしまいました。「働いて欲しいと頼んだわけじゃない。嫌なら野球を辞めて新聞配達でもする」と。
母親は涙を流してしまい、悲しむ姿を見た上地雄輔さんは反省します。心に深く残って、今でもこのことを深く後悔していると語っています。
親とはいえ人間なのですから、反抗期の子供の発言とはいえ、ひどいことを言われたら当然傷つきますし、涙も出ます。
自分のことを後回しにして、常に家族のことを考えてきたのに、こんなことを言われてしまっては辛いですよね。
上地雄輔さんは、こういった経験を通して親も単なる一人の人間であることを理解し、大人になっていったのかもしれません。
上地雄輔の愛車はベンツ
上地雄輔さんは、メルセデス・ベンツが愛車です。ベンツの洗車の様子をYouTube「上地雄輔の遊tube」に公開しています。
外装をペインティングされており、見た目がマットな質感でカッコいい車ですね。
特殊加工をしている為、洗車の仕方が分からずに同級生の専門の方に教わりながら洗浄していました。
動画では、合間にキャッチボールする姿も撮られています。上地雄輔さんが人から愛されて、多くの方に囲まれている様子が分かります。
こんなカッコいい愛車を持っていて、仲間に囲まれて、とても幸せそうでした。