【400勝投手金田正一とは血縁関係ではない】金田明夫の父親は金田龍之介ではない!母親は息子の大ファンで妻と子供が最高の理解者

今回は、俳優の金田明夫さんについてご紹介します。

名バイプレイヤーの筆頭といっても過言ではない金田明夫さんの父親は、同じく俳優の金田龍之介さんではないかと言われていますが、この情報は完全なデマです。母親が息子の大ファンで、妻と子供が金田明夫さんの最高の理解者であるという家族関係についてまとめてみました。

金田明夫さんをめぐっては、同じ金田姓で俳優の金田龍之介さんが父親なのではないかとのうわさが出回っています。金田明夫さんは1954年10月13日生まれで、金田龍之介さんは1928年6月15日生まれということで、2人の年の差は26歳。親子と言われても何ら不思議ではないのですが、実際には金田龍之介さんは父親ではなく、2人の間に血縁関係はありません。

同じ苗字で2人とも俳優ということで、金田明夫さんが2世俳優なのではないかと思われていたようですが、金田龍之介さんの息子さんは金田拓三さんです。金田龍之介さんの三男に当たる方で、1960年生まれ、25歳の頃に俳優としてデビューしましたが、25年後の50歳という節目の年に俳優業を辞め、現在は介護福祉士として働いています。

金田龍之介さんは2009年3月26日に、足の爪を切った時に深づめをしてしまったことでそこから雑菌が入り化膿し、歩行困難になったために入院しました。

入院した当初の段階では元気だったのですが、容態が急変し、入院して4日後の2009年3月31日に腎不全のため80歳で亡くなりました。

金田明夫の父親が俳優の道へ誘ってくれた

 

金田明夫さんが俳優の道を志すようになったのは、父親の影響が少なからずあるのではないかと言われています。裕福な家庭ではなかったものの、子供の頃から映画や舞台など様々な作品に触れることができる環境を準備してくれていたのが父親だったそうです。

金田明夫さんが子供の頃と言えば、家父長制(家の中で父親の発言力が強く、父親の言うことは絶対という考え方)が大宗を占めていた頃ですので、そんな中にあって映画や舞台などの作品に触れ合える環境を準備されたお父様はとても先見の明があるなと感じます。

 

金田明夫の母親は息子の大ファン

 

金田明夫さんは2013年7月12日にテレビ朝日系で放送された『徹子の部屋』に出演し、自身の母親について以下のように語っていました。

(2013年当時の年齢が)88歳という高齢ながらも、金田明夫さんが出演する芝居や舞台は全て観ているということでした。会うたびに、次の公演予定を聞いては自分の予定を立てていくのが楽しみのようで、サイン会にも積極的に参加するなど、かなりコアなファンだということが伝わってきました。

離れて暮らしてはいましたが、常に金田明夫さんの体調や身の回りのことを気遣い、見守ってくれている母親の存在は、金田明夫さんにとってとても大切な存在です。現在ご存命なのかどうかまでは明らかにされていませんが、お母様の生き方や金田明夫さんとの接し方が、後々の俳優業に与えた影響はとても大きいことは間違いありません。

ちなみに、金田明夫さんは子供の頃は鍵っ子だったと語っていますので、金田明夫さんのご両親は共働きだったようです。

 

金田明夫と嫁の馴れ初めはアルバイト時代

金田明夫さんは1982年に結婚しました。結婚したときの金田明夫さんの年齢は28歳。俳優さんの中にはとても若くして結婚している人と、歳を重ねてから結婚する人の2タイプが多いように感じますが、金田明夫さんの結婚年齢はちょうど平均値といったところでしょうか。

 

奥さんは一般人ですので、名前や画像や年齢、職業などは一切公表されていません。

出会ったのは金田明夫さんが劇団雲附属研究所である円・演劇研究所に所属していた頃でした。出会った当時の詳細な年齢までは明らかにされていませんが、20代前半の頃だったことは間違いありません。都内にあるプールで監視員のアルバイトをしていたときの同僚で、その当時、奥さんは大学生でした。

金田明夫さんは出会った当初から明るく前向きな奥さんの性格に惹かれていて、すぐにでも結婚したいという気持ちでいっぱいでした。しかし、俳優としても一人の人間としてもまだまだ不充分だと思っていたため、結婚に踏み切る勇気がなかったそうです。一方の奥さんはと言うと、将来に対する不安はあまりなく、貧しい生活でも気にしていなかったそうで、そんな懐の深いと言いましょうか、どっしりとした心持ちの奥さんのおかげで結婚に至ることができました。

結婚した当時は俳優業だけでは食べていくことができず、俳優業とアルバイトの両立をしていました。当然奥さんも結婚する前は普通に働いていたのですが、昔から金田明夫さんは結婚したら奥さんには専業主婦になってもらいたいという強い思いがありました。それは、子供の頃にご自身が鍵っ子で寂しい思いをした原体験からくるものでした。そんな金田明夫さんの強い思いを受け入れて、結婚後は奥さんは専業主婦になりました。

 

金田明夫の嫁と子供が最高の理解者で家庭円満

 

金田明夫さんと奥さんの間には子供が3人います。長男と長女と次女の3人なのですが、いずれも一般人ということで、年齢や職業、画像等は一切公開されていません。

長女か次女のどちらかがアメリカ人男性と結婚して子供が2人(ハルちゃんとフミちゃんという名前ですが、カタカナ表記なのかひらがな表記なのか、あるいは漢字表記なのかは不明)います。つまり金田明夫さんにとっては孫がいて、日本で生活しています。

父親がアメリカ人ということで、英語と日本語の両方を話せるバイリンガルなのですが、そんなかわいい孫と会うのが金田明夫さんの楽しみの1つで、コロナ前は頻繁に金田明夫さんの家に遊びに来ていました。新型コロナウイルスが蔓延してしばらくは会えない日々が続いていましたが、2022年に入ってからは少しずつ会う機会も増えてきたそうで、夫婦2人の静かな日々に良い刺激を与えてくれる存在となっています。

また、その他のお子さんも結婚し子供がいて、現在金田明夫さんのお孫さんは7人いるそうです。

先ほどもお伝えした通り、奥さんは結婚してすぐに専業主婦となったのですが、その当時は俳優として充分な収入を得ていたわけではなく、『3年B組金八先生』に出演していた頃もアルバイトを続けていました。『3年B組金八先生』の放送がスタートしたのは1995年ですので、少なくとも結婚して13年間は俳優業とアルバイトの掛け持ちをしていたことになります。

アルバイトを続けていたというよりも続けざるを得なかったという方が正しいのですが、奥さんは今でも金田明夫さんに対して、まだブレイク前だと叱咤激励されているそうです。お互いに学生時代からの付き合いですので、金田明夫さんのモチベーションを下げてしまわないように適度な強度と頻度でサポートしてくれているそうです。

俳優さんと言えば、ゴルフやお酒など派手な趣味をもつ人が多い印象ですが、金田明夫さんは特にこれといった趣味はなく、時間があれば芝居のことを考えるか、奥さんと一緒に過ごすかのどちらかだそうです。

 

金田明夫と家族が暮らす自宅は杉並にあり愛車はBMW

金田明夫さんは、東京都杉並区浜田山に住んでいます。一戸建てかマンションかまでは分かりませんが、家の近くには善福寺川緑地があり、犬の散歩に適していることから引っ越しをしたそうです。

先ほど、金田明夫さんにはこれといった趣味がないとお伝えしましたが、唯一の趣味が車です。画像にもある通り、愛車はBMWのセダンタイプで車種はX1です。

運転免許を取得したのは19歳の頃ですが、初めて車を買ったのは47歳のときでした。お子さん3人が皆独立した今は、夫婦2人でドライブに出かけるのが至福の時だそうです。

金田明夫の子供は娘2人に息子1人で孫も
都立北野高校を卒業後、現代演劇協会の研究員を経て、22歳で演劇集団・円の劇団員になった金田明夫さん。

円は渡辺謙さんや岸田今日子さんら多くの役者を輩出してきた劇団で、2023年現在の代表は橋爪功さんです。

円ではレパートリーの『リチャード三世』『マクベス』ほか多くの舞台に主演。
80年代に入るとドラマや映画にも活躍の場を広げ、『お葬式』『そろばんずく』などの端役を経て、1993年の『月はどっちに出ている』で、道に迷ってばかりいるタクシー運転手を好演。

お茶の間に広く知られるようになったのは、1995年からレギュラー出演した『3年B組金八先生』でしょう。

ここでは金八先生に口うるさく注意する社会科の北先生を演じており、二人のやりとりは作中のお約束になりました。

演じる役柄のせいで嫌味な人間と思われがちと語る金田明夫さんですが、それは北先生のイメージによるところが大きいかもしれません。

日本の典型的な中間管理職を演じたら見事にはまる役者ですが、そうした役柄が増えたのも北先生が原点になっていると思います。

 

愛妻家で知られる金田明夫さん。

長い間俳優業だけでは生活できず、アルバイトをしていました。

プールの監視員のアルバイト先で出会ったのが、のちに妻となる女性です。

当時、彼女は大学生。

夢しか持っていない、低収入の自分とよく結婚してくれたものだと振り返っています。

子供は息子1人に娘が2人。

自身が鍵っ子だった経験から、母親には家にいて欲しかったという金田さんはアルバイトをかけもちして一家の大黒柱に。

なんと『3年B組金八先生』の放送開始以降もしばらくアルバイトを続けていたといいますから驚きです。

3人の子供たちは全員一般人とのことで、芸能人ではありませんでした。

過去に娘がトーク番組に出演したことがあり、その際にアメリカ人男性と結婚して子供がいることを明らかにしています。

金田明夫さんには少なくとも孫が1人いることになります。

 

金田明夫と金田龍之介に親子説が浮上
金田明夫さんとの親子説が噂されているのが2009年に他界した俳優の金田龍之介さんです。

どちらも本名であり、金田明夫さんは1954年生まれ、金田龍之介さんは1928年生まれの26歳差。

名バイプレイヤーという点も共通しています。

ですが二人は親子ではありません。

龍之介さんの三男がかつて俳優だったことから浮上した噂でしょう。

三男・金田拓三さんはブログのプロフィールによると1960年生まれで、25歳から50歳頃まで俳優業をしていたとのこと。

2023年現在は介護福祉士だそうです。

父親の龍之介さんはドラマ、映画、ミュージカル、スーパー歌舞伎と、あらゆるジャンルで存在感を示した名優。

ことに『子連れ狼』で演じた阿部頼母のキャラクターは時代劇史上最高の悪役として語り継がれています。

テレビドラマの『子連れ狼』は高橋英樹版や北大路欣也版もありますが、金田龍之介さんが登場したのは萬屋錦之介版。

 

金田明夫は長年続く人気シリーズの常連

『3年B組金八先生』『科捜研の女』『警視庁・捜査一課長』など息の長いシリーズの顔でもある金田昭夫さん。
とりわけ単発の2時間ドラマとしてスタートした『警視庁・捜査一課長』が好評を受けてレギュラードラマ化された時の意気込みは並大抵ではありませんでした。

内藤剛志さん演じる大岩捜査一課長の右腕ともいうべき小山田管理官役の金田さん。

内藤さんとは20代の頃からの役者仲間で、演技論をたたかわせ、「お互いに食える俳優になろう」と誓い合った仲でした。

そんな友人の連ドラ初主演となる作品とあって、絶対に成功させたいと気合いが入ったそうです。

二人は今でも電話などで芝居の話になってしまうことがあり、気づくと3時間話し込んでいることも。

「バカみたいだよな、俺たち」と言いながらも、演じることが楽しくてしかたがないのでしょう。

舞台で培った表現力と硬軟合わせた芸域の広さから、声優としても高く評価されている金田明夫さん。

ドラマ同様、アニメ『スター・ウォーズ』シリーズのクローン・トルーパー役も長年担当しています。

ひとつの役に長く関わることは、役とともに自分を成長させていくおもしろさがあるのだそう。

これは俳優としては得難い経験といえそうです。

「あなたはまだブレイク前」と奥さんに励まされるという金田昭夫さん。
ゴルフも麻雀もまったく興味はなく、時間があれば芝居のことを考えるか、女房と過ごすかのどちらかと言いきるところがカッコいいです。

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