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【かつては杏の義理の姉役を演じていた】キムラ緑子と旦那マキノノゾミの結婚と離婚と復縁理由が衝撃!子供はいるのか

今回は、女優のキムラ緑子さんについてご紹介します。

キムラ緑子さんと旦那であるマキノノゾミさんは、結婚した後に一度離婚をしています。そしてまた再婚しているのですが、その理由が衝撃的でした。結婚と離婚を繰り返した背景、子供はいるのかどうか、現在の夫婦仲や自宅が独特である件について詳しく調査してみました。

キムラ緑子さんは1992年に結婚しました。結婚相手は、劇作家で脚本家で演出家でもあるマキノノゾミさんです。

キムラ緑子さんは1961年10月15日生まれで63歳(2024年時点)、一方のマキノノゾミさんは1959年9月29日生まれで65歳(2024年時点)ということで、マキノノゾミさんはキムラ緑子さんの2歳年上です。

結婚した当時の年齢は、キムラ緑子さんが31歳、マキノノゾミさんが33歳でした。

キムラ緑子さんがマキノノゾミさんと初めて出会ったのは、キムラ緑子さんが同志社女子大学2年生の時のことで、キムラ緑子さんが友人に誘われて観た舞台(マキノノゾミさんが演出を手掛ける舞台)でした。

当時同志社大学4年生だったマキノノゾミさんは、演劇サークル『第三劇場』を引っ張る中心人物として大活躍中でした。そんなマキノノゾミさんを見て、キムラ緑子さんは一瞬で一目ぼれしてしまいました。

キムラ緑子さんにとっては人生で初めての舞台ということで、あまりに感動してすぐにマキノノゾミさんに会いに行ったそうです。

そして、マキノノゾミさんをきっかけにして演劇の魅力に取りつかれたキムラ緑子さんは、マキノノゾミさんが所属している同志社大学の演劇サークル『第三劇場』に入部しました。

その後、演劇の世界とマキノノゾミさんの魅力に引き込まれていったキムラ緑子さんは、大学卒業後の1984年に、マキノノゾミさんが立ち上げた劇団である『M.O.P.』の旗揚げに参加し、自らも俳優として演劇の舞台に立ちました。

ただし、劇団俳優として生きていくことをキムラ緑子さんの両親が許してくれなかったため、実家からはほぼ勘当同然の状態でした。

駆け出しのキムラ緑子さんは、カレー店などの飲食店やその他様々なアルバイトを掛け持ちしながら生計を立て、徐々に劇団員として生活できるようになっていきました。

仕事では主催者と劇団員の関係でしたが、プライベートでも親交が深まっていき、いつしか交際に発展。1992年に結婚しました。

キムラ緑子と旦那マキノノゾミが離婚!原因は妬みだった

1992年にマキノノゾミさんと結婚したキムラ緑子さんですが、結婚してから13年目の2005年に離婚しています。

離婚を切り出したのはキムラ緑子さんからで、離婚することで何か凄いことが起きるかもしれないと考えたからだそうです。

というのも、結婚して以降、キムラ緑子さんの周囲では、旦那が演出家だからコンスタントに良い仕事が来るんだと陰口をたたかれることがしばしばありました。

完全に実力主義の環境下で、自分1人の力で女優活動がしたい!という強い思いをマキノノゾミさんにぶつけたところ、離婚してからも毎日必ず連絡を取り合うという約束で離婚に合意してくれました。

離婚後のキムラ緑子さんは、地方公演だけではなくドラマや映画にも出演するなど、女優として精力的に活動していました。

マキノノゾミさんとの離婚理由が”自分1人の力で女優活動をするため”だったキムラ緑子さん。名実ともに、演出家の名前を借りなくても仕事でができる女優に成長した点は、流石だなと感心します。

女優業が軌道に乗り始めたキムラ緑子さんでしたが、離婚してから5年後に、とある出来事がきっかけで、キムラ緑子さんはマキノノゾミさんとまた一緒に暮らすようになります。

キムラ緑子と旦那マキノノゾミが復縁し再婚

マキノノゾミさんと離婚した後、キムラ緑子さんはしばらく地方公演などで家を空けがちになる生活が続いていたため、飼っていた愛猫をマキノノゾミさんに預けたままの状態が続いていました。

マキノノゾミさんとも面識(?)があった愛猫ですので、マキノノゾミさんに預けられた後は飼い主がマキノノゾミさんに代わったと認識したのでしょうか、かなり懐いてしまったようです。

そんな状況に耐えかねて、キムラ緑子さんは愛猫と一緒に暮らすために、マキノノゾミさんと一緒に暮らすことを選択し、また同居生活が再スタートしました。

同居するからには籍を入れた方が良いのではないかということから、離婚してから5年後の2010年に再婚することになりました。

キムラ緑子さんは再婚後のインタビューで、1人でいるのがしんどくなったとも語っていて、何だかんだ言いながら、マキノノゾミさんのことが大好きで、キムラ緑子さんにとってマキノノゾミさんはなくてはならない存在ということなのでしょう。

キムラ緑子と旦那マキノノゾミに子供はいない

一度は結婚していたものの離婚し、再度結婚したキムラ緑子と旦那・マキノノゾミさんに子供はいません。

2人が最初の結婚をしたとき、キムラ緑子さんは31歳でしのたので、出産しようと思えばできた年齢ですが、その当時は劇団の立ち上げに奔走していた時期ですので、結婚したとはいえ、ろくに夫婦の時間を取ることができない状態でした。

劇団立ち上げ後も、立て続けに舞台の仕事が入っていたため、子供を作る時間がなかったというのが正しいと思われます。

また、結婚後は愛猫と一緒に暮らしていたため、夫婦2人で子供がいない寂しさを感じることもなかったのではないでしょうか。

キムラ緑子と旦那マキノノゾミの現在の夫婦仲

2010年に再婚して以降、これまで以上に忙しい日々を送るキムラ緑子さんとマキノノゾミさんですが、2人の夫婦関係はどうなっているのでしょうか。

今でもマキノノゾミさんが演出を手掛ける舞台に、キムラ緑子さんは女優として出演しているようで、夫婦二人三脚の状態が続いています。

また、家庭内でも特にこれといった問題点やもめごとは一切ないそうで、いよいよ熟年夫婦の域に達してきた様子です。

一度離婚という形で距離をとったことも功を奏しているようで、今ではお互いにお互いを思いやりあいながら、キムラ緑子さん、マキノノゾミさんなりの夫婦のあり方を模索している最中のようです。

いつまでも仲良く過ごしていただきたいですね。

キムラ緑子と旦那マキノノゾミの現在の自宅が独特

キムラ緑子さんとマキノノゾミさんの自宅は、東京都杉並区にあるようです。一軒家なのですが、いつ購入したのかまではわかりませんでした。

2018年1月13日に日本テレビ系で放送された『メレンゲの気持ち』で、キムラ緑子さんの自宅が公開されていたのですが、室内には所狭しと植物が置かれていたのが印章的でした。

画像からもわかる通り、キムラ緑子さんは観葉植物にハマっているようで、相当なサイズ感の観葉植物が室内に配置されています。

また、自称石マニアだそうで、普段使用しない和室からは小さな庭が見え、大小様々な石が配置されており、京都のお寺を彷彿とさせるような造りでした。遅咲きの桜の木もあり、癒し効果は抜群なんだろうなと羨ましく思えました。

そんな癒し効果抜群の自宅で、毎朝キムラ緑子さんは朝食に、フルーツ入りのヨーグルトと甘酒、そして酵素を飲んでいるそうです。

また、酵素玄米と卵入りのお味噌汁でタンパク質を摂取するなど、毎日のハードな舞台練習に備えた体作りには余念がありません。

アラカン世代のキムラ緑子さんですが、毎日の健康朝食のおかげで、肌艶の良さは芸能界でも5本の指に入ると言っても過言ではないのではないでしょうか。

このままいつまでも健康で美しく、そして人々を引き込むような演技で視聴者を魅了し続けていただきたいと思います。

キムラ緑子の出身地と実家の家族構成

キムラ緑子さんは、1961年10月15日、兵庫県洲本市大野にて誕生しました。

洲本市と言えば、瀬戸内海に浮かぶ淡路島にある町。

キムラさんは、そんなのどかな淡路島出身なんですね。

実家の家族構成は、両親に弟が1人の4人家族。

キムラさんは、2人姉弟の長女です。

淡路島の自然豊かな地で生まれ育ったキムラさんは、とても自由奔放で活発な少女時代を過ごします。

近くの用水路の水を「美味しそうやな。」と思い、実際に飲んでしまったり、道端の草の葉っぱを食べてみたりと、かなり活発で自由な女の子だったようです。

さらに、山登りに出かけては野生のキノコを採ってきて食べていたそうですので、その好奇心と行動力に驚かされます。

そのため、幼少時は周りから「山猿」と呼ばれていたそうです。

幼い頃から歌が大好きだったキムラさん。

この頃の将来の夢は、歌手になることだったそうです。

キムラ緑子の出身小学校・中学校

キムラ緑子さんの出身小学校は、洲本市立加茂小学校です。

小学校時代のキムラさんは、幼少期同様に活発でワイルドな女の子。

とても明るく、よく笑うため、ニックネームは「ゲラリ子」だったそうです。

そんなキムラさんは、小学校卒業後には洲本市立青雲中学校に進学をします。

中学校では、テニス部に所属。

しかし、この頃から少しずつ体重が増えてきます。

キムラさんの祖母は、お菓子屋を経営しており、そこでお菓子が食べ放題だったそうです。

そのため、お菓子の食べ過ぎで太ってしまったそうな。

一重まぶた、二重アゴ、三段腹のため、「一二三(ひふみ)ちゃん」と呼ばれていたそうです。

幼い頃から歌手に憧れていたキムラさんは、中学生時代にオーディション番組「スター誕生」に応募をしたことがあります。

中島みゆきの「時代」を歌い、最後の5人くらいまで残りましたが、結局落選。

そのショックに泣きながら帰宅したそうです。

キムラ緑子の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ

キムラ緑子さんは、洲本高校出身です。

同校は、淡路島にある公立高校で、偏差値は55です。

高校時代は、剣道部に所属。

中学校時代にもテニス部に所属していたので、意外にも体育系出身のようですね。

中学生の時にはぽっちゃりとしていたキムラさんですが、高校1年生の時に3か月で15kgも痩せるという過激なダイエットを決行。

その結果、随分と痩せ、すっきりとした美人へと変貌を遂げています。

そして、そんな美人になったキムラさんは男子にモテまくります。

高校を卒業したキムラさんは、同志社女子大学・学芸学部 文芸学科に進学をします。

同大学は、関西では難関女子大学の1つと言われており、キムラさん在籍時の偏差値は60です。

大学時代のキムラさんは、まさにモテ期真っ盛り。

かなりのナンパをされていたようで、ナンパされた数を友人と競っていたようです。

そんなキムラさんは、演劇などには全く興味もなく、縁のない生活を送っていましたが、友人に誘われてたまたま観に行った、マキノノゾミ氏演出の舞台で衝撃を受けます。

おして、姉妹校である同志社大学の演劇サークル「第三劇場」へ入部。

大学卒業後は、一旦就職のために地元に戻ったキムラさんでしたが、演劇への情熱を忘れられず、23歳の時に上京します。

そして、演劇熱へのキッカケを与えてくれたマキノノゾミ氏が旗揚げした劇団「M.O.P」へ参加。

以後は、同劇団の看板女優として、劇団が解散する2010年まで活躍をします。

1994年頃から、テレビドラマにも出演をするようになり、1996年には映画「極道の妻たち」で主演を演じます。

以降も様々なドラマや映画に出演し、カメレオンと異名をとるほど、役によって変わる変貌ぶりが人気となっています。

私生活では、1992年にマキノノゾミ氏と結婚。

その後は2005年に円満離婚となっていますが、2010年には復縁をして再婚をされています。

キムラさんが女優になるキッカケとなったのがマキノノゾミさんですので、まさに二人は運命的な出会いと言えますよね。

まとめ

圧倒的な存在感と演技力で、様々な作品に出演しているキムラ緑子さん。

女優以外にも、定期的にジャズコンサートを開いたり、バラエティ番組に出演したりと、幅広い活躍をされています。

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