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【兄弟と仲が悪い?】半沢直樹の上司役・北大路欣也の父は市川右太衛門!

きたおうじ

北大路欣也さんは門脇麦さん主演の「厨房のありす」(2024年1月21日-3月24日)五條道隆役で出演しています。

また、北大路欣也さんは堺雅人さんが演じた半沢直樹の上司である東京中央銀行の頭取をしている中野渡謙役で好演していました。

北大路欣也さんの兄がどんな人なのか、父親は何をしていたのか気になりますよね。

今回は北大路欣也さんの兄と父親を中心に家族構成について解説します!

北大路欣也の父・市川右太衛門はどんな人?


画像引用元:暗闇の中に世界がある

北大路欣也さんの父親は映画俳優であり、時代劇のスターとして活躍した市川右太衛門(いちかわうたえもん)さんは大阪市立九条東小学校卒業後、上方歌舞伎の第一人者・2代目市川右團次の弟子となり、市川右一(いちかわういち)の名をもらい歌舞伎役者として活動しました。

後に中村扇雀(2代目鴈治郎)さんが座頭の関西青年歌舞伎の一員となり、座員はほかに市川百々之助さん、林長丸(長谷川一夫)さん、嵐徳太郎(嵐寛寿郎)さんらが在籍、屋号は「高島屋」で、市川右太衛門さんは主役を張って人気を集めました。

1925年12月25日に公開された「黒髪地獄」(沼田紅緑監督)の主演で映画デビュー、翌1926年にかけて、沼田監督の「快傑夜叉王」、「孔雀の光」などに主演を果たしました。

「古畑任三郎」で現在も有名な田村正和さんの父・阪東妻三郎さんに次ぐ人気俳優となり、月形龍之介さんと合わせて「マキノ・プロダクションを担う両星」と謳われました。

1927年2月、市川右太衛門プロダクション(通称:右太プロ)を設立して独立、1930年(昭和5年)、「旗本退屈男」で初めて早乙女主水之介役を演じ、右太プロ内で7本の続編を製作、後にこのシリーズは30数年に及ぶ人気シリーズとなり、次男の北大路欣也さんも主演を演じることになりました。

市川右太衛門さんは時代劇のスターになり、1937年、新興キネマ京都太秦撮影所に移籍、看板俳優として「国姓爺合戦」「大村益次郎」などの大作に主演したほか、同社でも「旗本退屈男」シリーズの一本「宝の山に入る退屈男」に主演しました。

この作品で一旦「旗本退屈男」シリーズが打ち止めとなるトラブルに見舞われましたが、次男の北大路欣也さんが子役デビューして転機が訪れます。

北大路欣也の幼少期

北大路欣也さんは1956年に父親の市川右太衛門さんが主演の「父子鷹」で勝海舟の少年時代役として子役デビューしました。

北大路欣也さんは当時、「父が主役の時に、子役がなかなか見つからなくて
、光雄さんが父のところにいってちょうどいいのがいるじゃないか、出したらいいじゃないかと。」急なオファーのようでした。

また、「うちはダメだと父は断ったんですが、直接会いたいってことで、うちにいらして、いきなり僕の目の前に台本が来て、麟太郎役は親子の役で、年齢もぴったりなんだから君がやりなさいって言われたんですよ。」と突然だったオファーを振り返りました。

そして、「いや、まったく経験ありませんから、なれるなんて思ってもいなかった。」といい、「両親を見たら黙っているんです。光雄さんは君がやるながら、ちゃんと準備を整えて、しっかりとフォローするからって一生懸命おっしゃってくださる。父を見たら自分で決めなさいって言ったんですよ。まだ12歳ですからね。」と苦笑をしていました。

最後に、「どうするかって少し時間をいただいて、ある日、父の前に行って、やらせてくださいって言ったんです。父はやるのか、本当にやるのかって。間違った返事したのかなと思ったけどやりますと返した。今日からスタッフの皆さんに君を預ける頑張れって。」と、父も背中を押してくれたといい、「それでスタートしたんです。」と回顧しました。

北大路欣也と父・市川右太衛門の関係は良好だった

北大路欣也さんは1956年に父親の市川右太衛門さんが東映の役員も兼務していたため、順調にキャリアを重ねていき、1958年に映画「少年三国志」で15歳にして映画初主演を果たしました。

1963年に映画「海軍」で千葉真一さんの配役と入れ換えを求め、現代劇初主演を果たしました。

父親の市川右太衛門さんと同じく時代劇俳優として有名になった北大路欣也さんは、デビュー作も時代劇であるなど、時代劇への出演が多く、父親の市川右太衛門が主演の「旗本退屈男」に多数出演、東映時代の主演代表作は、「花笠ふたり若衆」、「葵の暴れん坊」、「源九郎義経」、「徳川家康」など時代劇が中心であり同時に親子の関係を築いていきました。

その後は、大河ドラマの「竜馬がゆく」で主演するなど、テレビ時代劇にも進出しました。

北大路欣也は兄と姉の関係が悪かった?

北大路欣也さんは1999年に父親の市川右太衛門さんが亡くなった時の
「お別れ会」に北大路欣也さん夫婦は参加していましたが、北大路欣也さんさんの兄夫婦と姉夫婦が参加していませんでした。

2000年にも父親の市川右太衛門さんの「お別れ会」があり逆に北大路欣也さん夫婦は参加せず、北大路欣也さんさんの兄夫婦と姉夫婦が参加していました。

この正反対の行動を取ったことから北大路欣也さんと北大路欣也さんの兄と姉は仲が悪いと言う報道がありました。

実際、兄弟の仲が良いか悪いかについての具体的な情報はありませんでしたが、2001年に北大路欣也さんの母であり、市川右太衛門さんの妻が亡くなったことに関して市川右太衛門さんが亡くなる前に介護施設に入居させていました。

そのことについて、北大路欣也さんは「両親は都心のマンションで2人暮らしをしていたが、ガスの取り扱いや電気製品の扱いが難しくなり、10年以上説得して介護施設の入居を勧めた。」と語っていました。

北大路欣也さんの父親の市川右太衛門さん東映を退社後は京都の事務所を引き払い、東京一番町のマンションに生活の拠点を置きながら舞台を中心に活躍したため、80歳を過ぎてもなお主役を張り続けていました。

そのため、介護施設の入居をためらいましたが、次男の北大路欣也さんの必死の説得で介護施設の入居を決めたそうです。

北大路欣也の家系図

北大路欣也さんの家族は両親と兄と姉の5人家族です。

北大路欣也さんの父親は歌舞伎役者・映画俳優・事務所を経営していた市川右太衛門さんです。

市川右太衛門さんの妻であり、北大路欣也さんの母親は浅井スヱノさんで一般人です。

北大路欣也さんの兄と姉も一般人で詳細はありませんが、北大路欣也さんが早稲田大学に進学した理由が、兄が理工学部に通っていたことから雰囲気の良さを感じ入学を決めたそうです。

北大路欣也さんは早稲田大学第二文学部演劇科に入学しました。

甲本雅裕さんが北大路欣也さんの息子を演じた理由は剣道の経験があるから

画像引用元:芸能人の子供まとめ

北大路欣也さんは剣道3段の腕前で、時代劇の剣を振りかざす演技にも活かされているようです。

時代劇の剣を振りかざす演技の他に泉谷しげるさん、志賀廣太郎さんと共演した「三匹のおっさん」では悪い相手を竹刀で倒していた演技にも剣道3段の経験が活かされていました。

また、北大路欣也さんの息子役で剣道をやるシーンを演じた甲本雅裕さんは、「私の剣道人生は、現京都府警・高橋英明先輩抜きには語れません。高校・大学の先輩ですが、心の師匠は今でも高橋英明先輩です。本当の意味での強さを感じました。優しさからくる強さが滲み出ている方です。」と語り、社会に出るにあたり、一番大切だったのは剣道の経験と語っていました。

甲本雅裕さんは、「THE・BLUE・HEARTS」の甲本ヒロトさんは実の兄であり、2004年に出演したポッカの「キレートレモン」のCMではザ・ハイロウズがCMソングを担当し、初めての兄弟共演を果たしました。

2005年の映画「リンダ・リンダ・リンダ」ではTHE BLUE HEARTSの急造カバーを目指すガールズバンドが所属する軽音楽部顧問として出演しました。

甲本雅裕さんは1998年ごろ岡山県出身の一般女性と結婚、長女が1999年に生まれましたが、息子が俳優の金井勇太さんという噂があり、甲本雅裕さんは金井勇太さんに似ていると言われましたが、親子ではないようです。

甲本雅裕さんは1998年ごろ岡山県出身の一般女性と結婚、長女が1999年に生まれましたが、息子が俳優の金井勇太さんという噂があり、金井勇太さんに似ていると言われましたが、親子ではないようです。

甲本ヒロトさんは2000年に岡山操山高校の同級生「ゆみ」さんと結婚、甲本ヒロトさんは死亡説が出ましたが、2009年に亡くなられた忌野清志郎さん(いまわの)の告別式に甲本さんが出席し、素晴らしい弔辞を披露したことが原因で、なぜが甲本ヒロトさんが亡くなったという情報となってしまいました。

北大路欣也と「水戸黄門」里美浩太郎は兄弟だった?

画像引用元:こいもうさぎのブログ

北大路欣也さんと里美浩太郎さんは共に兄弟という噂がありました。

北大路欣也さんと里美浩太郎さん共に若かりし頃、東映で人気になり1959年「忠臣蔵」で共演しました。

そのため、北大路欣也さんと里美浩太郎さんが兄弟と言う説がありましたが、共に兄がいるため兄弟ではないようです。

北大路欣也と兄弟の噂があった里美浩太郎はどんな人?

1971年5月にナショナル劇場「水戸黄門第3部」(放送は同年11月29日)で杉良太郎さんに代わり、2代目佐々木助三郎に就任しました。

1982年7月8日の初代水戸光圀役の東野英治郎さんの降板発表を受け自身も降板を考えましたが、逸見稔さんの強い希望で残留しました。

1987年11月26日の第17部収録終了(最終話は1988年2月22日に放送)をもって降板、足かけ16年半、457回にわたる活躍でした。

2002年10月14日より放送開始したナショナル劇場「水戸黄門第31部」に、降板した石坂浩二さんに代わる水戸黄門(第31部-第43部(2002年-2011年)主演・水戸光圀役を演じました。

現代劇でも新しい役柄に扮し、映画出演した初の松竹作品「およう」(2002年)では、洋画家・藤島武二を演じました。

ドラマでは、刑事部長・警察署長(テレビ東京系「信濃のコロンボ」シリーズ他)などの役柄が多く、京都で一日署長を務めたこともあり、主演シリーズの終了後から、俳優としてのスタンスも徐々に「存在感のある脇役」へとシフトし、 2012年のドラマ「リーガル・ハイ」の服部役では、当時の小学生世代にまで知名度を広げました。

1966年3月に一般女性と最初の結婚、1967年10月には長男・佐野圭亮さんが生まれましたが、テレビの仕事が順調に進む中、多忙によるすれちがいが原因で1974年に離婚しました。

1976年10月に元レスリング選手・風間栄一(ベルリンオリンピック日本代表)さんの娘でパンアメリカン航空に勤務(客室乗務員を経て結婚時は地上勤務)していた現在の妻と再婚しました。

長男・佐野圭亮さんは俳優として活動、2006年に女優のおおたにまいこさんと結婚しました。

北大路欣也と平幹二郎は兄弟だった?

画像引用元:こいもうさぎのブログ

北大路欣也と平幹二郎さんが兄弟の噂がありました。

北大路欣也と平幹二郎さんは1970年に大河ドラマ「樅ノ木は残った」で共演、同じ時代を共にしたことから兄弟では?と噂になりましたが、平幹二郎さんに兄弟がいないことが明らかになり北大路欣也さんと兄弟ではないことが明らかになりました。

北大路欣也と兄弟の噂があった平幹二郎はどんな人?

平幹二朗さんは「アンドロマック」の出演を機に劇団四季に客員し1968年、浅利慶太さん演出の「ハムレット」で主役を演じ、各界から高い評価を受け、「狂気と天才」などの演技も高く評価され、日本を代表する舞台俳優の一人となりました。

1988年の「武田信玄」では、中井貴一さん演じる主人公・武田信玄の父である武田信虎を演じ、1992年放送の「信長・KING・OF・ZIPANGU」では織田家を惑わす架空の祈祷師で物語の裏の主人公である加納随天を演じました。

演出家としての顔も持ち、勝新太郎さんの妻・中村玉緒さん主演の舞台等の演出も手がけました。

平幹二朗(ひらみきじろう)さんは1968年、ドラマ「お吟さま」で共演した佐久間良子さんと結婚したのは、NHK大河ドラマ「樅の木は残った」に主演した36歳の時でした。

1970年4月16日、佐久間良子さんと霊南坂教会で挙式を行い、1974年7月27日に双子の一男一女が生まれましたが、1984年5月に離婚しました。

子供達は佐久間のもとへ渡り、長男の平岳大(ひらたけひろ)さんは、当初、俳優になることに抵抗を持っており、アメリカに渡った後、一般企業に就職していました。

しかし、考えを改めて俳優になることを決めたとき、両親は喜んで賛成したと言います。

俳優になってからは父親である平幹二朗さんのことを先輩・演技の師・父として濃密な時間を過ごすことができたと語っていました。

平岳大さんは2016年7月12日に一般女性と結婚、のちに娘が誕生し、妻は妹の朋子さんと小学校から幼なじみで親友だと「徹子の部屋」で語っていました。

2020年、国外で活動するために妻子と共にハワイへ移住、2024年に「SHOGUN・将軍」(2月27日-)石堂和成役で出演しています。

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