工藤 雅子は工藤公康の再婚の相手?嫁は誰?病気・脳梗塞?馴れ初め?若い頃?自宅は福岡?横浜?出身・家族写真?画像
工藤 公康(くどう きみやす、1963年5月5日 – )は、愛知県名古屋市天白区(旧:昭和区)生まれ(愛知県豊明市出身とする文献もある。
出身地については後述)の元プロ野球選手(投手)選手時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験しています。
西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス・読売ジャイアンツ(巨人)の3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれています。
日本シリーズ通算最多奪三振(102奪三振)記録を保持。また最高勝率もNPB最多タイ記録となる4回獲得しています。
そんな好成績を残した工藤監督のプライベートに迫ってみました。
項目 内容
国籍 日本
出身地 愛知県名古屋市天白区
生年月日 1963年5月5日
身長 176 cm
体重 80 kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト6位
初出場 1982年4月10日
最終出場 2010年8月25日
所属球団 西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ、埼玉西武ライオンズ
監督歴 福岡ソフトバンクホークス
野球殿堂 2016年選出
目次
工藤 雅子は工藤公康の再婚の相手?
再婚が嘘ネタでした。。大切な奥さんがいます。なぜそのような原因が調べてみたのですが不明でした。元ソフトバンクの秋山監督の奥さんが影響している可能性もあります。
工藤公康の若い頃の工藤雅子さんは美人です。名前は、工藤雅子さん。
結婚のお名前は、喬木(きょうぼく)雅子さん。
その雅子さんは、若い頃、ミス水戸梅の大使に選ばたそうです。ということは出身は茨城ですね。
工藤 雅子は工藤公康の若い頃?結婚はいつ
プロ8年目の26歳の時に、まだ若かった工藤公康監督は毎晩飲み歩いていたそうです。
ただ、工藤公康は、1989年に栄養士の資格を持つ雅子さんと結婚しました。
雅子さんは元ミス水戸で、清原和博さんの紹介で知り合ったそうです。結婚式は1991年のシーズンオフに行われました
年齢を重ねた頃の写真しかありませんでしたが、優しくてしっかりしたお母さんという印象ですね。 そんな優しくてしっかりした見た目の奥さんですが、中身も行動もしっかりされている方でした
むしろ、この奥さんがいなければ、工藤公康さんは野球エリートの道を歩くことも、素敵なお子さんに恵まれることもなかったでしょう。
脳梗塞は奥さん工藤 雅子ではなく工藤公康?
というのも、現役時代、タバコにお酒、暴飲暴食を繰り返していた工藤公康さん。
その結果、肝臓が肋骨の間からはみ出すほどに腫れ、医師からこのままでは死ぬといわれるほどの肝数値だったそうです。しかし、命の危機に陥るほど飲むというのには驚きです。
医者からは「このままだと死ぬ」と言われ、野球を辞めようとしたこともあるようです。
そんなとき、献身的に支えてくれたのが、嫁の雅子さんでした。雅子さんは、美しいだけでなく、「栄養士」という資格保持者です。
栄養士の資格を活かして食事を作り、リハビリにも献身的に支えたそうです。
その原動力は「もう一度野球をやらせて、野球で喜ぶ夫の姿が見たい」という一心だったとのこと。
また、脳梗塞は否定されています。
まず工藤公康さんの子供に調査してみると、驚くことに男女合わせて5人も授かっていました。
工藤公康さんが授かった子供の構成は息子2人(阿須加さん・拓也さん)と、娘3人(遥加さん・阿弥香さん・阿偉さん)で少し珍しい漢字を使った名前になっています。
息子 は俳優
工藤阿須加さんは長男として1991年8月1日に生まれましたが、出身地は現在の実家がある横浜市ではなく当時在籍していた西武の本拠地・埼玉県所沢市になっています。
お父さんが工藤公康さんなのにも関わらず、一切野球をしてこなかった特殊な方です笑。
筆者が実の息子なら、絶対に野球やりたいですけどね。(野球のDNAがほしい。。。切実に。。。)
ただ、運動神経は親譲りであり、学生時代やっていたテニスはプロ級の腕前とのこと。
小さい頃からテニスに打ち込んでいてプロに行けるぐらいの腕前でしたが、高校時代に肩を故障したことによってテニスを諦めて俳優の道を目指すことになりました。
2012年の日本テレビ系ドラマ「理想の息子」で俳優デビューを果たし、2013年に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」に出演して注目の若手俳優として知られる存在になりました。
2014年4月から出演したTBS系ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」で投手の役を演じたことが縁となり、5月24日の西武対ヤクルト戦(西武ドーム)で始球式に参加していました。
娘はプロゴルファーの工藤遥加さんです。
妹がその道を歩んでおられます。
お父さんの血筋は、娘さんが受け継いでいるという感じでしょうか笑。
ただ、プロゴルファーとして活躍中の工藤遥加さんですが、まだまだ発展途中の選手です。
まだ、安定して成績を出せていませんので、これからに期待ですね。
住まい自宅は福岡?横浜のどこ
西武ライオンズ、読売ジャイアンツ、ダイエーホークス、DeNAベースターズで投手として活躍しました。引退後はソフトバンクの監督も務めています。
住んでいるところがどこかきになりますが、工藤公康さんは神奈川県横浜市に自宅があります。福岡説もありますがちがうようです。
工藤公康さんは、2023年現在、再婚していません。
工藤さんは、1988年に工藤雅子さんと結婚し、5人の子供をもうけています。工藤公康さんは、1988年に工藤雅子さんと結婚し、現在も夫婦で暮らしています
工藤公康は、粗食を基本とした食生活を送っています。
粗食とは、精製された食品や加工食品を避け、野菜や魚介類などの自然食品を多く摂取する食生活です。
工藤公康は、粗食を始めたことで、体調が良くなり、パフォーマンスが向上したと語っています。
野球選手は、体力と持久力が必要であり、健康的な体を作ることが重要です。工藤公康の食生活は、野球選手にとって健康的な体を作るのに役立つ食生活と言えます。
工藤公康の娘は、工藤遥加です。工藤遥加は、2001年1月17日生まれで、現在22歳です。工藤遥加は、工藤公康と工藤静香の長女です。
工藤遥加は、2019年に慶應義塾大学に進学し、現在は在学中です。工藤遥加は、学生時代には、チアリーディング部に所属していました。
生まれ育った実家はどこ?
工藤監督は1963年、愛知県豊明(とよあけ)市出身。
豊明市といえば織田信長と今川義元との合戦「桶狭間の戦い」が行われた地であることでも有名ですね。
工藤監督はこの豊明市で市のバス運転手をしていたお父様のもと、工藤家の三男として生を受けました。
お父様は熱狂的な巨人ファンで、趣味も草野球だったとのこと。
自身が草野球で捕手を務めていたこともあり、工藤監督や監督のご兄弟達とキャッチボールをよくやっていた様です。
幼少期から工藤監督は、ご兄弟の中でもずば抜けた野球センスを見せていたようです。
今考えればこのキャッチボールが名投手「工藤公康」の原点なのかも知れませんね。
ちなみに、工藤監督が2歳の時にご両親は離婚…
その後お父様は自身が再婚されるまでの間、男手一つで監督とお兄様達を育てています。
父母との関係は?
上述の通り、工藤監督が2歳の時にご両親は離婚されています。
その後お父様が再婚されるまでの間、お一人で工藤監督含め3人の子どもたちを育てていたとの事ですが、生活はあまり裕福ではなかったようです。
お父様は工藤監督がまだ幼い頃に再婚。
再婚相手の方にも連れ子がおり、更にその後お父様との間に一子が誕生しているとのことでした。
工藤監督は7人の大家族の中で育ったということですね。
また、お父様はかなり躾に厳しい方だった様で、工藤監督もあまり幼少時やご両親の事を語るシーンは少ないみたいです。
工藤監督のお父様は、監督がプロ入りしてからは名古屋に転居。
晩年はご自身の出生地である宮崎県の延岡に移住し、今から数年前に亡くなられています。
こうした家庭環境の為か、お母様とのエピソードがメディアで紹介された様子もありませんでした。
工藤監督の兄弟は?
工藤監督は工藤家の三男として誕生。
監督のご兄弟も野球をやっていたらしいですが、お父様が野球に対してかなり厳しい指導をされる方だったという事もあり、ご兄弟は皆さん途中で野球の道を諦められています。
ご兄弟が野球を辞めていく中、工藤監督は厳しい指導にもめげず野球を続け、200勝を達成する大投手にまで成長します。
まとめ
選手として200勝、監督としても2度のリーグ優勝を成し遂げた工藤監督。
工藤監督が育った環境は決して恵まれていたとは言えないようですが、それでもこの環境が後に名投手・名監督となる工藤監督の礎を作ったようですね。
奥さんの指導もあり、すっかり健康オタクとなった工藤公康監督。
現在は酵素のサプリメントを愛用しているそうです。