牧秀悟の【家族】~同級生妻との間に子供は?実家は美容院…父と母と兄について

横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手、牧秀悟さん。

パーちん(東リベ)と呼ばれてます!

今回は、そんな牧さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:牧秀悟(まき・しゅうご)
生年月日:1998年〈平成10年〉4月21日
身長体重:178cm/93kg
血液型 :O型
家族構成:
①実 家…父親、母親、兄
②独立後…妻
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◆実家は美容院
牧秀悟さんは、長野県中野市の出身。

実家は美容院「coco」を経営しています。

髪型はお任せです!

小学校は、中野市立中野小学校へ通いました。

小1の時に地元のキングアニマルズに入団し、野球を始めています。

そもそもキングアニマルズは小学3年生以上のチームでしたが、監督にお願いして入団し、2年生の秋からは4番を任されました。

中学校は、中野市立南宮中学校へ進学。

野球は、若穂リトルシニアに所属しました。

立ち上げたばかりのチームでしたが中学2年、3年の時に、全国大会に出場しています。

高校は、シニア監督の勧めもあり、松本第一高等学校へ進学。

2学年上には、元横浜DeNAの百瀬大騎(ももせ・ひろき)さんがいました。

牧さんは、

まだ甲子園に出ていない学校から、自分たちの代で甲子園に行く!

と意気込み、1年春から中軸を任され、3年春の県大会では優勝に輝きます✨

しかし、2年夏と3年夏はいずれも県大会の初戦で敗退し、甲子園出場はなりませんでした。

高校卒業後は、中央大学へ進学。

硬式野球部の同期には、五十幡亮汰(いそばた・りょうた)さんがいました。

牧さんは1年から遊撃手のレギュラーを獲得し、3年からは二塁手へコンバートされました。

大学通算成績は打率.285、82安打、5本塁打、50打点で、ベストナインに4回選出(遊撃1、二塁3)。

2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから2巡目で指名を受けています。
◆父親:伸幸さん
牧秀悟さんの父親の名前は、伸幸さん。[1]

1966年〈昭和41年〉頃の生まれになります。

父・伸幸さんは、秀悟さんについて、

とにかく練習が好きで、暇さえあればボールに触っていた

と、話しています。

◆母親:牧寿奈美さん
牧秀悟さんの母親の名前は、寿奈美さん。[1]

1967年〈昭和42年〉頃の生まれになります。

母・寿奈美さんの職業は美容師で、実家の美容院「coco」を経営しています。

(母・寿奈美さん↓)

◆兄:牧智也さん
牧秀悟さんにはお兄さんがいて、名前は智也さん。[1]

年齢は、秀悟さんより3歳年上になります。

秀悟さんが野球を始めたのは、兄・智也さんの影響。

1歳半から新聞紙を丸めてボールを作り、兄と一緒に野球ごっこで遊びました。

一足先に、智也さんがキングアニマルズへ入ると、

ぼくもやりたい!

と懇願し、飛び級で入団したのでした。

智也さんは秀悟さんについて、

大学に入り、筋肉を付けてどんどん体が大きくなっていった。ものすごい努力をしてきたはず

と、話しています。

◆祖父:佐藤要造さん
牧秀悟さんの母方の祖父は、佐藤要造さん。[1]

1938年〈昭和13年〉頃の生まれになります。

母・寿奈美さんの実家は農家で、幼少期は家も近くにありました。

秀悟さんの幼少期はよく従兄弟達が集まり、祖父の家の庭で野球をしていたそうです。

祖父・要造さんは孫たちのために、庭にバッティング練習用のネットを張ってくれました。

秀悟さんはそこで毎日バッティング練習を行い、強打者への礎を作ったのでした。

秀悟さんが大学2年のとき、チームは春秋連続で最下位に沈み、秀悟さん自身も打率が1割台になってしまいました。

秀悟さんは祖父に電話をかけ、

どうしたら打てるようになるんだろう?

と、悩みを打ち明けたそうです。

祖父・要造さんは、

思い切り、フルスイングでいけ!

と、アドバイス。

この言葉でスランプを脱出した秀悟さんは、大学3年の時、

春季リーグ戦で首位打者
秋季リーグでMVP
日米大学野球選手権大会の日本代表に選出
という偉業を達成しています。

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