松下奈緒さんは、女優とピアニストの両方で活躍していますが、その背景には両親の影響があります。
今回は、松下奈緒さんの家族について解説します!
目次
女優とピアニストで活躍を続ける松下奈緒の家族構成
松下奈緒さんの両親は、メガバンク関連の会社の社長である父親とピアノ講師をしていた母親がいます。
その両親は一体誰でしょうか?
松下奈緒の父は三井住友関連会社の社長・松下隆史
画像引用元:芸能パンダ
松下奈緒さんの父親は三井住友アセットマネジメントの社長をされています。
社長に就任するまでの経歴や、出身大学、三井住友アセットマネジメントとはどんな企業か?
松下奈緒さんのお父さんのスゴイところをまとめましたので紹介します。
松下奈緒さんのお父さんが社長に就任したことは、ネットのニュースでも話題になりました。
三井住友アセットマネジメントの社長人事が、思わぬ方面で注目を集めている――。
同社は、27日付でSMBCベンチャーキャピタル副社長の松下隆史氏を新社長に迎えましたが、実は同氏は女優の松下奈緒さんの父親でした。
「松下氏は大阪大学法学部を卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。同行の執行役員を経て、2014年からSMBCベンチャーキャピタルの副社長に就いています。いつもストライプのスーツをビシッと着こなし、いかにもエリート然とした紳士です」など、報道されています。
松下隆史さんは、大阪大学法学部を卒業し、その後住友銀行(現在の三井住友銀行)に入社しました。
銀行員として勤務するも数々の業績が認められ、2011年には執行役員に抜擢!
2014年にはSMBCベンチャーキャピタルの副社長に就任しました。
そしてさらに、格上の三井住友アセットマネジメントの社長兼CEOに就任するというまさに出世街道まっしぐらなお方です。
仕事ぶりも若い頃から同僚に高く評価され、仕事熱心だと言われています。
また、執行役員や副社長などに就任してからもとても仕事熱心でこんな評価があるようです。
現在も厳しい中でも優しいと仕事で関係がある人たちからの評価が高く、とても仕事熱心な方として知られています。
ミスをして失敗した部下などに対しても、見捨てることなく最後の最後まで指導をするなど、部下からも大変信頼されています。
飲み会の席で酔っ払っていても、娘である松下奈緒さんの自慢話をすることは一切ない、とてもスマートな方だそうです。
秀才でスマートで部下も大切にしている、まさに理想の上司って感じですね。
こんなお父さんだから、娘の松下奈緒さんも素晴らしい女優になったのかも知れません。
三井住友アセットマネジメントってどんな会社?
三井住友アセットマネジメントのシニアファンドマネジャー木村忠央さんのミニセミナーが始まりました!ファンドマネジャーに聞く「会社四季報」の読み方木村さん、四季報を読むのが趣味でもあるそうです!
松下隆史さんが社長を務める三井住友アセットマネジメントとはどんな会社なのでしょうか。
三井住友アセットマネジメント株式会社は、三井住友ファイナンシャルグループの傘下企業です。
主に投資運用・金融商品取引などを行う会社となっています。
その沿革はこのようになっています。
2002年12月1日 三井生命保険相互会社(現・三井生命保険株式会社)の資産運用子会社だった三井生命グローバルアセットマネジメント株式会社を存続会社として、住友ライフ・インベストメント株式会社、スミセイグローバル投信株式会社(2社は住友生命保険相互会社の資産運用子会社)、三井住友海上アセットマネジメント株式会社(三井住友海上火災保険株式会社の資産運用子会社)、さくら投信投資顧問株式会社(株式会社三井住友銀行の資産運用子会社)を合併し、三井住友アセットマネジメント株式会社を設立。
また、2019年の4月1日に三井住友アセットマネジメントと大和住銀投信投資顧問が合併し、商号を三井住友DSアセットマネジメントに変更したようです。
松下奈緒は父親と共同出資で豪邸を手に入れていた?
松下奈緒さんと松下奈緒さんの父親は共同出資で都内に自宅を新築しました。
松下奈緒さんは自宅を購入した2011年に既に女優として活躍しており、金額は2億円と言われています。
実際の画像が存在していなかったため、公開できませんでした。
松下奈緒の母親は元ピアノ講師
松下奈緒さんの母親はピアノ講師で、松下奈緒さんは母親の影響でピアノを習い始め、後に女優とともにピアニストとして活躍することになりました。
母親の経歴については、詳細が明らかにされていませんでした。
松下奈緒の妹・松下美緒さんはどんな人?
松下奈緒さんの4歳下の妹は松下美緒さんです。
松下美緒さんも170cmを超える長身で、松下奈緒さんとは正反対のカジュアルでファンキーな性格のようです。
松下美緒さんによると松下奈緒さんは松下美緒さんに褒められたから夕食にずっとペペノンチーノと台湾風焼きそばを毎日作っていたそうです。
それでも、姉妹で服の貸し借りをするなど姉妹の仲は良いそうです。
松下奈緒の祖父は阪神ファン
画像引用元:ターボ乗りのターボ坊
松下奈緒さんは祖父母の実家が甲子園球場から近く、祖父が特に阪神ファンだったため、負けると怒る性格のようでした。
JAバンクイメージキャラクターの松下奈緒さんは2018年6月12日に阪神の本拠地ではなく、日本ハムの本拠地である日本ハム対阪神戦の試合前にマウンドに上がり、名前にちなんで背番号「70」のユニホームを着た松下さんは全力投球、右打席後方へ大きく外れたものの、174センチの長身から投じられたワンバウンド投球にマウンド後方で見守っていた先発の日本ハム・斎藤佑樹さんは拍手、三塁ベンチの日本ハムの栗山監督も笑顔で拍手を送る投球となりました。
この試合、阪神は12安打10得点を挙げて10-5で大勝、日本ハムは先発のメッセンジャーを打ち崩せず、4連敗を、松下奈緒さんは阪神の“勝利の女神”となったようです。
松下奈緒はイチローとCMで共演していた!
画像引用元:美竹姫のひとりごと
令和5年1月に佐藤製薬株式会社(本社:東京都港区、社長:佐藤誠一さん)では、ミニドリンク剤「ユンケルプレミアムシリーズ」(第2類医薬品)の新TVCM『先輩の教え』篇を1月23日(月)より、全国一斉にオンエア、松下奈緒さんのアクティブさにイチローさんも感心し、TVCMは、ユンケルの顔であるイチローさん、そしてユンケルプレミアムのアンバサダーとして3年目となる松下奈緒さんのお二人の掛け合いを通し、アクティブに生きる人に向けてユンケルプレミアムを訴求しています。
青空が広がる気持ちのいいテラスでくつろぐ二人、イチローさんが「調子よさそうだね」と松下さんに尋ねると、「これ続けているので」とユンケルの先輩であるイチローさんの教えの通り、ユンケルプレミアムを続けていることを明かします。
すると、急に松下さんが「あ、行かなきゃ!行きます!」と用事を思い出し、アクティブに駆け出していきます。
しかし、ちょっと慌てすぎて逆方向に。そのまま方向転換して走り去る様子に、イチローさんも「アクティブだなぁ」と思わず感心、最後は、「アクティブに生きる人へ。ユンケルプレミアム」の決め台詞で、アクティブに活動をするすべての人をサポートするドリンクとして、ユンケルプレミアムを訴求しています。
当社では、新TVCMの放映にあわせて、TVCMと連動したポスター・POP等の各種販促ツールを活用した店頭プロモーションの強化も図ることで、アクティブに過ごしたい時には青のパッケージの「ユンケルプレミアム」、疲れた時には金のパッケージの「ベーシックユンケル」を提案してまいります。
撮影エピソードによると、TVCM撮影は、神戸市街を一望できる高台の某ハウススタジオで行われました。イチローさんと松下さんが共演するユンケルプレミアムのTVCMは今年で第3弾となり、お二人の息の合ったコンビネーションもさらにパワーアップ。撮影も和やかなムードで順調に進行しました。
また、今回のTVCMでも、松下さん自ら制作いただいた曲を使用しています。
TVCMの世界観にぴったりの軽やかな音楽に耳を傾けながら、お二人のコミカルな演技と息のあった掛け合いがありまいた。
イチローと松下奈緒は交際していたのか?
松下奈緒さんはイチローさんと交際していたのか?
実際は、イチローさんは既婚者のため、松下奈緒さんとの交際はありませんでした。
イチローさんは、1995年の暮れから数回にわたってTBSラジオで放送された『イチローの気持ちはいつもフルスイング』にて、元NHKアナウンサーの福島弓子と出会い、福島さんはアシスタントを務め、パーソナリティは当時オリックス・ブルーウェーブの選手だったイチローさんであり、この仕事でイチローさんとの交際のきっかけとなりました。
以降、テレビでも対談したほか、TBSがインタビューを行うときは、イチローさんは必ず福島弓子さんを指名するようになり、1997年の8月からは、取材する側とされる側の垣根を越えて個人的な交際が始まり、1999年1月にイチローさんが福島さんにプロポーズ、福島弓子さんは同年3月にTBSを退社後、メディアへの露出はないそうです。
12月3日(現地時間)、福島弓子さんとイチローさんはアメリカ・サンタモニカ近郊にあるチャペルで、16名の親族が立ち会う中、挙式を行い、帰国後の会見では、新郎・イチローさんは新婦・弓子さんについて「話すリズムとか価値観とか同じ空間にいて心地よく感じた」と語れば、新婦も新郎について「信頼感のある方と思った」と返し、時折顔を見合わせながら記者の質問に答えていました。
福島弓子さん以後、フリーアナウンサー転身等はせず、しばらくは専業主婦として生活しているそうです。
イチローさんは、2019年4月30日にはマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターへの就任が発表され現在も活動しています。
同じイチローでも松下一郎というプロ野球がいた!
画像引用元:ケチャップ茶屋
偶然ですが、松下奈緒さんとイチローさん合わせて松下一郎という野球選手がいます。
松下一郎さんは、兵庫県神戸市東灘区で出生した直後に、父の仕事の都合でロンドンに移住、6歳まで過ごし、帰国後の神戸市立御影小学校3年時に野球を開始、神戸市立六甲アイランド高等学校への進学後は、硬式野球部の主将を務め、3年夏の県大会では3回戦敗退、強豪・報徳学園と対戦、2点リードで9回を迎えたが惜しくもサヨナラ負け、「文武両道でやりたい」とスポーツ推薦の誘いを断り、一般入試で関西外国語大学短期大学部に進学、阪神学生野球リーグに1年秋から出場しました。
その後、関西外大外国語学部英米語学科に3年次編入学、3年春から正捕手になり、主将になった4年春には打率.341をマーク、初の打撃10傑入りを果たし、秋は主に5番を任され、リーグ通算打率.243、44安打、1本塁打、同期の西原圭大さんとバッテリーを組んでいました。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズの育成1位指名を受け、11月6日に支度金200万円、年俸300万円で契約、2013年10月3日に球団より戦力外通告を受け、通告後は、10月31日の自由契約公示を経て、2014年から同球団のブルペン捕手に転身、2016年まで務め同年オフに退団、2017年1月から外資系IT企業に勤めています。
松下奈緒のもう1人の父は大杉漣?
画像引用元:ブロスジャパン社長のブログ
松下奈緒さんはインタビューで松下さん自身にとってのTHE CHANGEと言われて思い浮かぶ瞬間はなんでしょうかとの質問に対し「やっぱり朝ドラですね。『ゲゲゲの女房』。そこが自分の意識としても、周囲の環境としても一番大きく変わった瞬間だと思います。今まで経験したことのない大勢の方たちから自分を認識していただけるということで、大きな変化がありました。いまだに役名で呼ばれることもありますから。そういうことはほかにありません」と語っていました。
また、松下さん自身の意識の変化としては「いろんな先輩の役者さん方がいるなかで、いつもヒロインとして立っていなければいけないという自覚や、自分のことだけではなく、周りの人たちのことも考える気持ちが強くなりました。ひとりでお芝居してるわけではなく、現場の雰囲気は必ず作品に出ます。あの現場を経験して、ちゃんと人の話を聞ける自分になったり、どんな大変な時であっても“おはようございます”“ありがとうございました”“ごめんなさい”と言えるようにと意識するようになりました。シンプルなことですけど、追い詰められると、意外とそういうことってできなくなったり、自分しか見えなくなってしまうなってしまう瞬間ってありますから」とも語っていました。
そして、そういった向き合い方は、どなたかからの影響を受けたのかについて「先輩の役者さんたちが、みなさんそうした雰囲気で接してくださるんです。大杉漣さんや、松坂慶子さん。そうした先輩方と毎日会ってお話をしているなかで、こういう人になりたいなと感じる瞬間がすごくありました。お芝居のことを教えていただいたのはもちろんですけど、人としてこの世界でやっていくには、どういう自分でいればいいんだろうと。そういったことを、いろんな方が言葉で言うのではなく、見せて教えてくださいました」と語り、受け取る側にもちゃんと意識を持っていないと、こぼれてしまうかもしれにないそうで、「今後、私が女優さんとしてこの世界でやっていきたいのなら大事にしなきゃいけないことだと感じました。それをたくさん教えてもらった作品でもあります。だから私にとってのチェンジは、そのときです」と語っていました。
俳優さん方のお話を伺っていると、影響を受けた先輩として、いまでも大杉漣さんの名前がよく出てくるそうで「“こうしたほうがいいよ、ああしたほうがいいよ”なんてことは、絶対におっしゃらなかったんです。でも漣さんがそこにいてくださるだけで、現場が華やかになるし、とにかくすごく優しくてあったかいんです。不思議になるくらい落ち着くんですよね。そうした安心感を、キャストにもスタッフのみなさんにも、分け隔てなく与えてくださった。それも意識してという感じではなくて、ナチュラルにすごくあったかいんです。父と娘として、毎日一緒にお話ししているだけで、私にとって財産でした。そうした先輩が現場にいてくださるだけで、自分も安心して落ち着いてお芝居ができていたと思います。なおかつ、自分が安心できたことだけで終わらすのではなく、自分自身もそういった存在になりたいなとまで思わせてくださるんです。それは大杉さん、松坂さんをはじめとしたみなさんとの共演が大きかったと思います」と語っていました。
公開中の新作映画『風の奏の君へ』しかり、いまは座長を務めることも多く「意識してやることでもないと思うんです。意識してやっていちゃダメなんだというか。真ん中に立ってやらなければいけないことはもちろんありますけど、計算してできることでもないので。ただ現場の空気感は座長の度量で左右すると思っています」と語り、意識してやっていてはダメとのことですが、それでもあえて大切にしていることを挙げるなら何になるか「嫌なこととか大変なことって、日々誰しもありますよね。作品とは関係のないところで。それをカメラの前に持ち込まない。そこは意識してやっていることですね。当たり前のことですけど。社会人として、みんなそうですよね。同時に、なかなか難しいことでもあります。“今日、なにかちょっと違うね”と変に気を遣われないように。それだけでも現場ってすごく清々しくなるし、作品にも出ると感じています」と語り、映画やドラマは作品ごとにチームとなり、また解散していくが、大切な先輩たちとの出会いで育まれたものは、つながっていく。いまは座長として立つことも多い松下さんからも、いろんなことを受け取っている後輩もいるに違いないそうです。
松下奈緒が語る大杉漣はどんな人?
松下奈緒さんが父と語っていた大杉漣さんは1951年9月27日、徳島県小松島市にて、教育者の家庭で育つ。4人兄弟の末っ子で母は京都の銀閣寺の傍らにあった下宿屋の娘で、父より3歳年上の姉さん女房、父は京都大学に在学中に、その下宿屋で生活しており、その際に仲良くなり結ばれ、父は38歳で小松島市立小松島中学校の校長に抜擢され、徳島県立小松島西高等学校、徳島県立富岡東高等学校、徳島県立城東高等学校の校長を歴任、父が小松島中学校の校長をしていた縁で小松島中学校が2016年に創立70周年を迎えた際には記念講演を行ったこともあり、12歳の時に父が徳島県立富岡東高校に転任し、同じ敷地の茶道部と女子寄宿舎の間にあった校長官舎に引っ越す、4年間そこで暮らしていました。
したがって、小学校5年生までは小松島市立千代小学校に在籍し、小学6年生は富岡小学校、中学生時代は富岡中学校に在籍していたことになり、16歳のときに父が徳島県立城東高校に転任が決まり、一家で城東高校の官舎に引っ越す、自身も徳島県立城北高等学校へ進学し、卒業しました。
劇団活動との出会いは1970年代に人気を呼んでいた蜷川幸雄さん、寺山修司さん、唐十郎さんらの演劇に通い、1973年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用され、応募するにあたり、明治大学は中退、同年6月、22歳で別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たし、1974年、23歳の時に太田省吾創設の転形劇場に入り、台詞なしに静かに舞台を歩んで演じる「沈黙劇」を原点として、舞台俳優としての本格的な活動を始め、転形劇場での活動に打ち込む、同劇場の演目『小町風伝』は岸田戯曲賞を受賞しています。
下積時代は1980年に新東宝映画のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画俳優としてデビュー、日活ロマン○○ノや新東宝映画などのピンク映画に積極的に出演するようになり、1983年、滝田洋二郎監督の『連続暴姦』では演技力が評価され、同年の「ZOOM-UP映画祭」・ピンクリボン賞主演男優賞を受賞、翌1984年、周防正行監督の小津映画リスペクト作品『変態家族 兄貴の嫁さん』では、当時33歳の大杉が60歳超の老人役を演じ、静けさの中にも狂気をたたえた演技や風かおるとの独特の掛合いなどが評価され、その後も多数のピンク映画に出演したが、1988年の片岡修二監督の『地下鉄連続レイプ・愛人狩り』を最後にピンク映画への出演を控え、転形劇場における活動に専念、転形劇場は1988年に解散、大杉さんは37歳で活動基盤を失ったが、宮沢章夫作品や太田省吾作品への出演、岩松了作品における竹中直人さんとのコラボレーションなど、演劇界で活動を続けました。
俳優としての転機については、1989年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演して収入を確保する生活が続き、40歳代に入り、種々のステップアップを図る一環として北野武監督による『ソナチネ』(1993年)のオーディションを受け、遅刻したにもかかわらず合格、とはいえ当初与えられたのは単なるやくざ事務所の電話番という、台本に台詞のない端役だったが、ビートたけしさんの「全部アドリブでやって」という指示に対し、大杉さんが演じたヤミ金の取り立ての演技にたけしさんが「うめえな、この人」と感心、脚本を書き換えて役を大きくしたところ、「最後までうまくやっちゃった」という、この作品での演技が転機となり、映画界において演技派の一人として知名度を得ていきました。
SABU監督の『弾丸ランナー』出演の翌1997年には、同監督の『ポストマン・ブルース』でおおさか映画祭・報知映画賞を受賞。、1998年には北野武監督の『HANA-BI』で、下半身〇随の元刑事役という難役を演じ、作品はヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞し、自身もブルーリボン賞をはじめとする1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞、映画以外にもテレビドラマへの主役・主要キャストとしての出演が増加すると、その名は広く一般に認知されるようになりました。
その後は、偉人群像から社会の底辺に生きる人物、公安刑事から体制破壊主義者、堅実なサラリーマンからホームレス、学校長からヤ〇ザ、好人物から偏狭な人物、誠実な父親・夫から退廃的な不良中年、精神異常を思わせるサイコ色の強い異常人格から変〇・〇ロ系の人物まで、様々な役柄を演じ、「300の顔を持つ男」「カメレオン」などの異名を得る。以後は、高橋伴明さん、中村幻児さん、周防正行さん、滝田洋二郎さん、黒沢清さん、井筒和幸さん、廣木隆一さん等のピンク映画系出身の諸監督から、北野武さん、SABUさん、鈴木俊之さん、磯村一路さん、小松隆志さん、三池崇史さん、落合正幸さんなど、日本映画界の多くの監督作品に出演しました。
若い映画製作者への協力もして、当時は新潟の一高校生にすぎなかった田卷源太監督による企画提案を受け、アマチュア自主製作短編映画『黒いカナリア』の主役として少ない報酬で出演したり、早稲田大学と慶應義塾大学の学生が中心となった自主制作映画『Mogera Wogura』へも出演、映画からNHK大河ドラマ、NHK連続テレビ小説、2時間ドラマ、Vシネマ、インディーズ、ドキュメンタリーのナレーション、バラエティー番組をはじめ、アジア圏の外国映画や内外合作映画にまで、各ジャンルに出演、その本数も多く、バイプレイヤーの代表格として極めて精力的な活動を行っていました。
2013年4月13日より、BSフジにて自身初の冠番組となる旅番組『大杉漣の漣ぽっ』が放送開始、第1回は大杉さんの地元である徳島県を散策した回を放送、以後2018年に急逝するまで、約5年、60回(地上波で放送されたスペシャル版1回を含む)に亘って放送されました。
2017年1月2日に日本テレビ系で放送された『新春ぐるナイ!ゴチ新メンバー超大物2名発表SP!』にて、人気コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります!18」にレギュラー出演することが発表され、地上波バラエティ番組における初レギュラーが決定、2017年8月24日放送回では自身初 のピタリ賞100万円を獲得し、同年9月7日放送分でもピタリ賞で1位、ゴチ史上初の2週連続ピタリ賞獲得の偉業を成し遂げ、「ゴチ」メンバーに同時加入した渡辺直美さんからは「れんれん」と呼ばれていました。
ところが、2018年2月20日深夜、主演ドラマ『バイプレイヤーズ〜もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら〜』のロケのために滞在していた千葉県富津市内のホテルで体調不良を訴え、番組関係者に付き添われてタクシーで千葉市内の救急病院へ搬送される、病院到着時にはすでに重体となっており亡くなってしまいました。
家族構成について大杉漣さんは、1982年に奥様と結婚、奥様とは、大杉漣さんが若手時代に所属していた劇団で出会ったそうで、その当時の奥様は、劇団の研究生として所属していたそうです。
交際期間などは判明していませんが、結婚に至ったきっかけはできちゃった結婚だったとのことです。
誠実な印象がある大杉漣さんですが、できちゃった結婚とは少々意外でした。
大杉漣さんの娘も、奥様同様一般女性であるため、素顔は公表されておらず、大杉漣さんがトークバラエティー番組にゲスト出演した際、娘に関して発言したことがありました。
それによると、大杉漣さんの娘は、2016年ごろにパティシエを目指して、渋谷の幡ヶ谷にあるレストラン「Fritto(フリット)」に勤務しているそうです。
2018年現在の状況は判明していませんが、見事夢を叶えて、パティシエとして独立しているかもしれませんね!
また、愛猫家でもあり、人柄の良さも魅力的な俳優だった大杉漣さん、愛猫家としても知られており、大杉漣さんのブログでは、度々、飼っていた猫が登場していました。
大杉漣さんが買っている猫は、「大杉トラ」と名付けられ、この猫は、大杉漣さんがプライベートで購入したわけではなく、出演作の撮影のために用意された猫でした。
撮影が終わった後、大杉漣さんが引き取って飼い始めたそうです。
長男は写真家の大杉隼平さんは、日本写真芸術専門学校を中退後東南アジアへ、2004年からロンドン芸術大学で写真とアートを学び、帰国後、アシスタントを経て、2008年からザッコに所属、現在、雑誌、テレビ、広告、CDジャケット、宣材写真、カタログなどで活動中で、東日本大震災後、「Leaves Work」を立ち上げ、全国で写真展を開催、震災から半年後、1年後の空を集め1つにしたものを岩手県、宮城県、福島県、茨城県に寄贈しました。
BSフジの番組『ミ・ラ・イII』では、2004年に大地震と津波を経験したスマトラ島やマオリ島を訪れレポーター役を務め、毎年写真展を開催、CP +主催のThe Editors Photo Award ZOOMS JAPAN2020ではパブリックで最多得票を得てパブリック賞を受賞しました。
松下奈緒は1億3000万円の高級マンションを購入していた!
2024年7月期ドラマ「スカイキャッスル」(テレビ朝日系)で主演を務める松下奈緒さんに注目が集まっています。
同ドラマは、韓国の人気ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」のリメーク版で高級住宅街を舞台に高校受験を迎えるセレブ家族たちの泥沼劇となり松下奈緒さんは医大付属高校合格を目指す娘の母親・浅見紗英を演じています。
「韓国ドラマをそのままリメイクしたドラマなので、『勤務医なのに豪邸住まい』だったり『有名医大付属高校がある日本の高級住宅街ってどこ?』など、第1回放送直後からSNSにはツッコミで溢れています。
ただ、共演の比嘉愛未さん、木村文乃さん、そして小雪さんや高橋メアリージュンさんなど演技力のある女優陣もセレブらしいゴージャスな雰囲気を出していて、迫力はあります。
その中でも、やはり注目を集めているのが主演の松下奈緒さんです。
「松下さんといえば、2010年にNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で漫画家・水木しげるさんをモデルとした主人公の妻役を演じ、その年のNHK紅白歌合戦の紅組司会者にも選ばれ一躍国民的女優の地位を確立しました。その後も、東京音大ピアノ科卒の経歴を生かし、ピアニストとしても活躍。上品な顔立ちと聡明な雰囲気で、特に高齢層に人気があります」 そうは言っても、ここ数年はバラエティ番組のゲストやドラマの脇役で見かけることはあっても、強く印象に残るものはなかったそうです。
「彼女は本物の”お嬢様”。俳優としての才能はすごくあるのに、自分を強くアピールしない性格も影響しているのかもしれません」そう語るのは芸能事務所関係者で、「松下さんは大学進学とともに兵庫から東京に両親とともに引っ越してきました。父親はメガバンク執行役員、関連会社の社長・会長を務めた人物で、『ゲゲゲの女房』でブレイクする前は家族で社宅に住んでいました。松下さんは近所で『とんでもない美人のお嬢さん』として評判だったそうです。一人暮らしをした時期もあるようですが、しばらくして実家に戻りました」、その松下奈緒さんが1億3000万円する高級マンションを購入し、“遂に一人暮らし?”と1日発売の「週刊○○」が報じ、同誌によると結局それも仕事部屋で、今も松下は両親と一緒に暮らしているとのこと、それでもプライベートはまだほとんど知られておらず、現在も独身を貫いています。
「松下さんはトーク番組で『彼氏に一緒に住もうと言われたら?』と聞かれて『(実家を)出る』と答えたり、料理や手作り衣装を披露したりと家庭的な雰囲気も見せるようになってきました。ようやく、松下奈緒という女優がどういう人なのか、少しずつお茶の間にも見えてきた感じです。演技にも、そういった彼女の個性が見えてきた感じがします」今回のドラマはセレブな雰囲気をまとった松下にとってはまり役、これから再ブレークもありそうです。
[…] 松下奈緒さんと塚本高史さんは土曜ドラマ「監査法人」で共演、日本経済がバブル崩壊の後遺症を引きずる2002年(平成14年)、公認会計士・若杉健司が勤めるジャパン監査法人では、企業を救うためには多少の粉飾は見逃そうという「なれあい監査」派と、いかなる不正も認めない「厳格監査」派による二つの大きな意見対立があり、若杉は大手企業の粉飾を発見。やがてそれが財界、金融界を巻き込んだスキャンダルに発展し、若杉たちも巨大なうねりに飲み込まれていくドラマでした。 […]