今回は、吉本新喜劇の座員である未知やすえさんについてご紹介します。
吉本新喜劇の伝説のマドンナである未知やすえさんの若い頃が綺麗だと話題になっています。きっかけは最近激やせして吉本坂46に応募するほどの美ボディを披露したことなのですが、若い頃から現在にかけての未知やすえさんの変遷に迫りつつ、可愛いから綺麗に激変していった経緯を詳しく見てみましょう。
未知やすえさんと言えばキレ芸が有名で、その芸風に魅了されるファンが非常に多いです。そんな未知やすえさんは、芸風だけではなく見た目にも愛され続ける理由がありました。
未知やすえさんは、高校(大阪府立布施北高等学校)在学中に、花月・ポケットミュージカルスにダンサーとして出演し、その後吉本興業に入りました。
今でこそ喜劇女優として活動していますが、当初は歌手志望だった未知やすえさん。東大阪市立楠根中学校に通っていた頃から数々のオーディションに挑戦していましたがいずれも落選し続けていた時に、吉本興業が芸人ではなくモデルや歌手部門の募集をしていることを知って、吉本興業のオーディションを受け、見事に合格しました。
高校時代には、間寛平さんや池乃めだかさん、明石家さんまさんが歌を歌っているときにバックダンサーとして出演するなど、お笑い要素は一切ない場面で活躍していました。
ダンスメンバーは未知やすえさんを含めて4人組だったのですが、4人のうちの2人が卒業することになり、残された2人でダンサー活動を継続していくのは不可能だと吉本興業に判断されてしまいます。
そこで吉本興業から下された決断は、残された2人で漫才師として活躍するという道でした。
コンビ名は『やすえ・やすよ』で、歌手志望だった未知やすえさんにとっては苦渋の決断でしたが、これまでの路線を変更して新しい分野に挑戦することになりました。
上の画像の左側の女性が若い頃の未知やすえさんなのですが、八重歯が特徴的で可愛いですね。
ちょうどこの頃は、プロの漫才師としてではなく素人として活動していましたが、実力は折り紙付きで、素人名人会では名人賞を受賞するほどでした。
その後も素人漫才師としてテレビ出演などを続けていき、高校卒業と同時にプロの漫才師としてデビューしたのですが、以前の素人時代のようにブレイクすることがなく、あまりウケなかったため人生初のスランプに陥ってしまいます。悪いことは重なるもので、相方が漫才師を辞める決断をしたため、漫才コンビやすえ・やすよは解散することになりました。
相方が吉本興業を辞めてしまい、1人ぼっちになった未知やすえさんが吉本興業から伝えられたのは、新喜劇への誘いでした。正確には誘いではなく半強制的入団でした。
明日、吉本新喜劇の舞台稽古があるから来るように伝えられ、あれよあれよという間にレギュラーメンバーとして新喜劇に出演するようになります。
漫才師として活躍していた頃と比べると痩せてスリムになっていることが分かります。以前のような可愛い女性から綺麗な女性に変貌を遂げています。
吉本新喜劇の舞台に出演し始めた頃は三枚目の役だったのですが、気付けばマドンナ役として吉本新喜劇に欠かすことができない存在になっていました。そんな未知やすえさんに対して吉本興業から告げられたのは、座長就任のオファーでした。
吉本新喜劇の座長と言えば、その世界では誰もが目標とする最高峰ですので、とても名誉なことなのですが、当時の未知やすえさんは出産後だったため、育児や家事の時間を優先し、座長就任のオファーは断りました。
目次
未知やすえが若い頃のように激やせして吉本坂46に応募
吉本新喜劇の舞台中に未知やすえさんは「白ブタ!」といじられるほどぽっちゃり体系だった未知やすえさんですが、最近では激やせしたと話題になっていました。
その真相に迫ってみると、2013年頃からチアリーディングのイベントのためにダイエットをして痩せたことが分かりました。
2013年という年は未知やすえさんの50歳の誕生日(1963年8月7日生まれ)があった年で、チアリーディングに挑戦することを決断した理由を聞かれると、何でも挑戦することが好きで、50歳という節目の年にチアリーディングの他にも、大型バイクの免許や船の免許を取得したいと語っていました。
また、未知やすえさんはアラフィフながらも吉本坂46のオーディションに応募したこともありました。色白の水着姿を披露したのですが、年齢を感じさせない若々しくて美しい水着姿でした。
ちなみに、吉本坂46のオーディションは4次審査まで進み、結果は17位でしたが、惜しくも最終メンバーには選ばれませんでした。
未知やすえが現在の美ボディを手に入れるためにした努力とは
未知やすえさんが激やせしたことにより、インターネットユーザーの間では驚きの声が上がっていました。この年齢であのぽっちゃり体型からスリム体型に変化した背景には、相当な努力や辛いトレーニングがあったのでは?と勘繰る声も少なからず上がっていました。
実際に、未知やすえさんが当時行ったことは、厳しいトレーニングや食事制限ではなく、ただ単に夜の就寝前に食べていたお菓子をやめたことだけでした。
未知やすえさんと言えば、知る人ぞ知る百貨店好きで、特にデパ地下が大好きです。当然、デパ地下には数々の美味しいものが並んでいますが、美味しいものはカロリーが高いのも必然。未知やすえさんはダイエット中、大好きなデパ地下の利用を控えたのかと思いきや、一切そんなことはなく、1日3食はしっかりと摂取し、それ以外の間食を極力控えた結果、健康的なダイエットに成功したというわけです。まさに理想的なダイエットですね。
未知やすえは若い頃に旦那内場勝則と結婚し1人娘を出産
未知やすえさんの旦那さんは、同じ吉本新喜劇座員の内場勝則さんです。結婚したのは、内場勝則さんが吉本新喜劇の座長に就任する7年前の1992年でした。当時の未知やすえさんの年齢は29歳、内場勝則さんの年齢は32歳でした。
馴れ初めは、内場勝則さんが体調不良のため入院した際に、未知やすえさんが忙しい合間を縫って病院にお見舞いに来てくれた上に、「大丈夫?」と優しい声をかけてくれたことがきっかけで結婚を決意しました。
未知やすえさんの優しさに惚れ込んで結婚した内場勝則さんでしたが、結婚後は仕事が終わって帰宅するとすぐに読書にふけり、深酒をする日々で、夫婦の会話を楽しもうという姿勢は一切ありませんでした。
結婚前はこんなはずではなかったと、半ば裏切られた気持ちに苛まれた未知やすえさんは、精神的に追い詰められて、ついには家を出てこっそり実家に帰省しました。
言葉数が少ない上に大酒飲みであることから、自分の考えていることを未知やすえさんに伝えることがほとんどなかったため、夫婦間でのコミュニケーションがほとんどなく、離婚危機の状態にまで陥っていました。
仕事(劇場)で顔を合わせた際にも、未知やすえさんは一切口を聞こうとしなかったのですが、一方の内場勝則さんはと言うと、まるで未知やすえの家出がなかったかのように平然としていました。
その態度を見て愛想をつかした未知やすえさんは、いよいよ離婚を決意します。
未知やすえさんと内場勝則さんの別居生活が107日目となった夜に、未知やすえさんは私物を運び出すためにこっそりと家に戻ったのですが、内場勝則さんが帰宅していなかったため、少しだけ部屋のベッドで仮眠をとることにしました。
そしてそこに内場勝則さんが帰宅してきます。ベッドで仮眠をとっている妻の姿を見て、普通であれば驚いた様子を見せるはずですが、内場勝則さんは一切動揺せずに、ただ何事もなかったかのように未知やすえさんが寝ているベッドに入ってきて眠りに落ちました。
まさに驚くべき行動ですが、その日の翌朝に、自宅を阪神淡路大震災による激震が襲いました。未知やすえさんは、自分のことよりも何よりも優先して未知やすえさんの身の安全を確認してくれた内場勝則さんに惚れ直し、離婚の意思を撤回しました。
その後、1998年5月に未知やすえさんは長女の早香さんを出産しました。未知やすえさんと内場勝則さんの子供は早香さん一人だけですが、現在は大学を卒業して社会人となっています。
一部では、AKB48のメンバーとして活動しているとの噂が上がったこともありますが、それはデマのようです。
未知やすえが若い頃のようにダイエットしたことに対する旦那内場勝則の反応が意外
内場勝則さんの好みの女性は太めの体型だそうです。結婚当時、未知やすえさんはまさしく内場勝則さんの好みの体型だったため、完璧なドストライクだったのですが、それ以降、未知やすえさんがダイエットしたことで、周囲には「もう少し太い方が良かった」とぼやいていたそうです。