大人気お笑いタレントの宮川大輔さん。
最近ではバラエティのみならず、映画にも出演の幅を広げているマルチっぷりです。
そんな宮川大輔さんですが、実家が自営業を営んでいたという情報がありますね。
”営んでいた”ということは今はもうやってないのでしょうか??
色々気になったので、宮川大輔さんの実家の情報について調べていきます!
宮川大輔さんの実家は小物店??
宮川大輔さんの出生地は京都府であり、小学2年生からは滋賀県大津市で育ったということです。
実家の所在地が京都から滋賀へ移っているということで、親の仕事の都合で転勤になったのかなと思いましたが、
実はそうではなく、どうやら宮川大輔さんの父親の事業が傾いてしまったためなんだそうですよ。
元々、宮川大輔さん一家が滋賀県に移る前、京都在住だった頃は、
宮川大輔さんの父親の宮川雅次さんが実家で小物店を営んでいたそうなのですが、
ある日、小物店の従業員が店の辺りで焚火をしていたところ店舗に引火し、なんと全焼してしまったんだそうです・・・。
昔ながらの木造建築でしょうから、消火活動も虚しく全焼してしまったんでしょうね。
小学2年生から滋賀県に移っているのは、この実家が燃えてしまったということが原因のようですね。
一旦は店が全焼し、品物などもすべて失ってしまった雅次さんですが、
その後は何とか頑張って小物店の再起を図ったそうです。
またそれと同時進行で、喫茶店事業にも挑戦していたそうです。
恐らくは、小物店がもう一度うまくいくかどうかはわからず、
小物店一本に絞っては危険だということで、ビジネスの多角化を狙ったのではないでしょうか。
ですが、再起を図った小物店も、新しく始めた喫茶店も、
残念ながらどちらも軌道に乗ることはなく借金ばかりが膨らんでしまい、
最終的には廃業に追い込まれてしまったということです。
小物店は今までのノウハウを活かしつつ、新たに喫茶店に挑戦してビジネスの拡大を図る
という方針だったことと思いますが、やはり現実は甘くはないということなんですね。
ましてや京都ですから、小物店やお茶屋さんなんかはそれはそれは歴史ある老舗が軒を連ねているでしょうから、
同じ土俵で戦うとなると相当難しいものがあったと思います。
宮川大輔さんの祖父が事業で成功していた??
前述の通り、雅次さんが経営していた小物店は全焼してしまったわけですが、
元はというとこの小物店を立ち上げたのは雅次さんの父親で、
宮川大輔さんの祖父にあたる芳太郎さんなんだそうで、
京都という当時の日本の中心地に店を構えられたこと、
そして、それまでほとんど出回っていなかったような新しい品物や希少価値の高い素材を多く取り扱っていたことも相まって大成功を収め、
わずか一代にして小物ビジネスを形にすることができたそうなんですね。
やはり新しいものというのはいつの時代もチャンスがありますよね。
ところが、事業が軌道に乗ったのもつかの間、芳太郎さんは59歳の時に脳卒中を患ってしまい、
経営ができるような状態ではなくなってしまったんだそうです。
このため、息子の雅次さんが小物店を継ぐことになったということなんですね。
父親がたったの一代で立ち上げて形にした小物店ですから、
それを自分の代で全焼させてしまった際のショックは我々が想像もつかないほどのものがあったに違いありません。
そして、何とか再起を図ったのも、このまま終われるかという強い思いの現れだったのかも知れませんね。
宮川大輔さんの父親のその後の職業は??
不運にも小物店を失い、新規参入の喫茶店も思い描いたような成功は掴めなかった父、雅次さんですが、
その後はMKタクシーに就職し、
タクシードライバーとして生計を立てることを選択したそうです。
普通なら腑抜けになってしまってもおかしくはないところですが、
家族のために腐らずに頑張ったんでしょうね。
本当に素晴らしいことです。
そしてMKタクシーを退職後は、
「宮川タクシー」という個人タクシーを立ち上げ、2016年まで現役でドライバーをしていたということです。
観光や修学旅行で行くとわかるのですが、
京都のタクシードライバーさんって本当にトークスキルが高いです。
話題が次から次へと溢れてきて、
気が付いたら目的地に着いている感じです。
宮川大輔さんの父、雅次さんもまた、
観光客や修学旅行生相手に話に花を咲かせていたのではないでしょうか。
おわりに
今回は宮川大輔さんの実家についてチェックしてみましたが、
宮川大輔さん、特に父親の宮川雅次さんは相当大変な経験をされていたんですね。
従業員が焚火さえしていなければ・・・なんて思ってしまうところですね。
芸能界でブレイクした宮川大輔さん。
今後は存分に親孝行していただきたいと思います。
宮川大輔の嫁の画像は?
宮川大輔の嫁について調べてみました。外国人との噂がありましたが本当のところはどうなんでしょうか。
最近の画像ではありませんが、嫁の画像がありました。
左側にいるこちらの女性が宮川大輔の嫁と言われています。童顔でかなりお綺麗な方ですね。
宮川大輔の嫁の名前はマーコ?外国人?年齢は?
宮川大輔の嫁の名前を調べてみました。
結婚相手は「マーコ」さんだそうで、
宮川大輔さんと1997年に結婚しています。
写真で見ると綺麗な方ですね!
相手は一般人で「真木子」さん。
思いきり日本の名前ですね。
ニックネームで「マーコ」と呼ばれています。
真木子からマーコと愛称で呼んでいるようですね。外国人では?という噂もマーコという名前から来ているのかもしれませんね。
マーコさんの年齢については、2010年ごろに38歳だったとの情報がありました。
単純計算で現在47歳ぐらいでしょうね。
宮川大輔の嫁との馴れ初めは?
宮川大輔と嫁のマーコさんの馴れ初めについて調べてみました。
元々、真木子さんはクラブで働いていたそうで、そのお客さんが宮川大輔さんだったそう。
しばらくはそこで仲の良い友達の関係だったそうですが…
東京から大阪への新幹線でたまたま会い、「大阪で一緒に買い物付き合ってくれない?」と宮川さんからお誘いしたことから2人は一緒に居ることが多くなります。
3年間、交際は無かったようですが、二人で海外旅行へも
行くようになり…(付き合ってるよね?)旅行先でマーコさんは宮川さんが寝ているときにキスをしたそうでこのことを彼女自身がビデオに収めていたのが宮川さんに発覚し、それが交際のきっかけになったようです。
クラブで知り合い、そのあと偶然再会したことから仲良くなったようです。
意外にもマーコさんからアプローチを仕掛けていたようですね。
顔よりも面白い性格に惹かれたのではないでしょうか。
売れない芸人時代から支えてくれていたマーコさんに今でも宮川さんは大変感謝しているようで、休みの日になると必ず家族サービスに出かけています。
TV番組イッテQのスタッフとの熱愛疑惑もありましたがネット上でのガセネタでした。
苦労時代を支えてくれた女性を売れたら捨てる芸能人も沢山いますが、宮川さんだけは感謝の心をずっと持ち続けていってほしいですね。
宮川大輔に子供は何人いる?
宮川大輔とマーコさんの間には子供は何人いるのか調べてみました。
子供は2010年に授かったようで、長男です。
結婚してから13年目。式を行ってから翌年に生まれたようですね。
結婚を機に、「子供が欲しい」という気持ちが出始めて
嫁も子供を作るための準備をしていたようです。
芸人はブレイクするまでは、生活面で苦しいことも多く
ブレイクしてから、式や子供を産む、ということをしっかり考えていたようですね。
名前は「ケンタ」くんだそう。
子供は長男のケンタくん一人のようです。
宮川大輔の子供の学校は?幼稚園と小学校の入学先は?
宮川大輔の子供の通っている幼稚園と小学校について調べてみました。
健太くんの幼稚園や小学校は和光学園なのではないかと言われているようです。
通っている幼稚園、小学校の確かな情報はありませんでしたが、芸能人の子供がよく通っている和光学園ではないかと言われているようです。
宮川大輔の姉の画像はある?
宮川大輔の姉について調べてみましたが、画像はありませんでした。
ただ、宮川大輔曰く姉の特徴が以下の通りのようです。
・弟似で顎がしゃくれている
・顎の矯正をしたことがある
・弟の宮川大輔さんと仲良し
・バスガイドの仕事をしている(?)
特徴的に宮川大輔にかなり似ているようですね。
仲が良いようなのでテレビの企画で今後顔出しする可能性もありそうです。
宮川大輔とすべらない話との関係は?
宮川大輔といえばバラエティ番組「人志松本のすべらない話」で大活躍されている方です。
数多くのトークで笑いをとってきましたが、自身の姉について語った話について調べてみました。
宮川さんのお姉さんネタはいくつもあるのですが、その中の一つがお風呂の話。
なんでも、お姉さんがお風呂に入っているところを盗撮しようと頑張っていた時期があったようです。
隠し撮りをしてビデオを確認すると、希望した映像は撮れていなかったようで…。
そこで諦めれば良いのに、頑張る宮川さんは再チャレンジ!!…しようとしたらお姉さんがお風呂からあがってきたから慌てて自室に戻ったそうです。
すると、自室にお姉さんが来て一言『お風呂あがったよ』と声を掛けてたのだとか。
宮川さんは心臓がバクバクしているのを隠しつつ、返事をしたそうです。バレてなかったんですね!
お風呂に入っている姉を盗撮したことがあるようです。
結構お姉さんのことが好きみたいですね。
他にもこんなすべらない話もありました。
宮川大輔さんが思春期だった時、女性の胸を触ってみたくなり夜中にお姉ちゃんの部屋に侵入。
音を立てないようにベッドに近づき、お姉ちゃんの呼吸に合わせて自然と胸が当たるようにスタンバイ。
お姉ちゃんが息を吸って胸が膨らんだ時に手が触れるようにしたんです。
何度かしていると、お姉ちゃんが目覚めたので何も言わずに部屋を出ました。
翌朝、怒られるんじゃないかとビクビクしているとお姉ちゃんは「昨日、お化けが出た!」と大騒ぎしたそうです。
姉の胸を触るという謎行動をしていたようです。
芸人らしい衝動的な行動力です。
宮川大輔は元相方ほっしゃんと仲が悪い?
宮川大輔はほっしゃんと仲が悪い?噂について調べてみました。
宮川さんとほっしゃんはコンビを組んでいたんですね。コンビ名は『チュッパチャップス』。
今でも番組で共演などをしているので仲が悪いわけではないようです。では、気になる解散理由とは何だったのでしょうか。
コンビを組んだ2人はデビューをしてすぐに『天然素材』という当時大人気だったお笑いグループに入っていて、一時期はアイドル並みの声援を受けていました。
ところが、その人気は長続きせずに仕事がなくなってしまったそうです。宮川さんはこの状態に力尽きてしまったのだとか…。
2人でネタを作って、お笑いでもう一度のし上がろうという気力が湧かなかったそうです。
コンビの解散を告げたのは宮川さんでした。『役者になりたい』とほっしゃんに伝えたのだそうです。
解散後、役者の道を進むはずが吉本新喜劇への出演を誘われ、芸人としてまた活動を始めたそうです。宮川さんには笑いの神様が貼りついていて、お笑いから離れなかったのではないでしょうか!?
宮川大輔とほっしゃんは元コンビだったのは意外ですね。
現在は解散していますが、番組での共演も多いことから、特に不仲ということはないようです。
宮川大輔の自宅住所はどこ?
宮川大輔の自宅住所について調べてみましたが、当然ながら情報はありませんでした。
お金持ちなので芸能人御用達の場所でしょうね。
宮川大輔の実家はお金持ち?
宮川大輔の実家について調べてみました。
祖父の芳太郎さんは金沢の人でしたが、京都へ出て丁稚奉公として小物屋で働きました。
28歳で独立し、京都市の中心部・烏丸通沿いで小物店を経営。当時珍しかったナイロンなどの新素材を積極的に取り扱い、商売は大成功を収めました。
しかし、祖父・芳太郎さんが59歳の時、脳卒中で倒れます。後に亡くなった祖父に代わり、宮川さんの父親が店を継ぐことになりました。
祖父の店を継いだ雅次さんでしたが、1973年、従業員の焚き火が原因で大火事に見舞われます。店舗も従業員も失ってしまいましたが、父・雅次さんは焼け残った商品を縁日で売り歩き、再起を図りました。
もともと裕福だったようですが、火事が原因で一転して貧乏になったようで宮川大輔もその影響で貧困生活を強いられていたようです。
京都で喫茶店を経営?
宮川大輔の実家は京都で喫茶店を経営している?噂について調べてみました。
また、多角化を狙って喫茶店もオープン。
しかし、両方の商売は上手くいかず、雅次さんは商売を辞めることを決断します。
一家は自宅を売り払い、郊外に転居。
宮川さんが小学校2年から滋賀県大津市で育っているのは、このためなのでしょう。
父・雅次さんは借金返済のため、MKタクシーの運転手に転身しました。
無事故の優良運転で個人タクシーに転じると、『大輔宮川のすべらない話を掘り起こす旅』などで親子共演を果たしています。
会社が火事にあった後、喫茶店をオープンしたようですがそちらはうまくいかず早々に畳んだようです。
その後、宮川大輔の父はタクシー運転手になって一家を支えたようですね。
以上、宮川大輔についての紹介でした!