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【再婚していない】宮崎美子には結婚歴あり!相手は上川伸廣で子供はおらず離婚理由がヤバい

今回は、女優の宮崎美子さんについてご紹介します。

若い頃と変わらず美貌を維持し続けている宮崎美子さんには結婚歴がありました。

結婚相手は上川伸廣さんという方だそうですが、どんな人物だったのでしょうか。また、子供がいたのかどうか、離婚理由は何だったのかについて深堀りするとともに、今後再婚する可能性についても考察してみました。

宮崎美子さんには結婚歴があります。お相手はテレビ番組制作会社に勤務していたエリートサラリーマンで、名前は上川伸廣さんです。

上川伸廣さんが勤務していたテレビ制作会社はイースト・エンタテインメントで、1979年に入社して以降、ドラマやバラエティCMなど、会社を代表する有名作品の数々を手掛けてきた敏腕プロデューサーでした。

2005年にイースト・エンタテインメントを退社して以降は、フリーランスのマルチクリエイターとして活動しています。

宮崎美子の結婚相手上川伸廣の敏腕ぶりが凄い

上川伸廣さんは2005年にイースト・エンタテインメントを退社し、現在はフリーランスのクリエーターとして活躍しています。

競争が激しいテレビ制作業界において、組織に属さずにフリーランスで15年以上クリエイターとして仕事をし続けることができるのは、ごく少数の限られた人だけです。上川伸廣さんが60代に突入した今でもテレビ業界で重宝される原因は何なのでしょうか。

調べてみると、上川伸廣さんの職域の広さが起因していることが分かりました。

クリエイターと言えば、ドラマ専門クリエイター、音楽専門クリエーター、CM専門クリエーターといったように、何か1つのジャンルのみを専門とするケースが大半ですが、上川伸廣さんの場合は、ドラマやバラエティに加えて、ドキュメンタリーや音楽にCM、さらにはその他多くのジャンルを手掛けることができる、日本でも数少ないクリエーターです。

FNS27時間テレビの初代演出家

1992年から4年連続でフジテレビ系で放送された『FNSの日27(25)時間テレビ』の総合演出を担当したのですが、テレビ局の演出家ではなく外部の演出家が当番組を担当したのは、上川伸廣さんが初めてでした。

報道カメラアシスタントとしての経験もある上川伸廣さんは、映像制作でも定評があり、映像の美しさは業界内でも群を抜いているそうです。

また、映像だけではなく編集に関する腕も折り紙付きで、字幕スーパーなどの編集も(Adobe Premiere Pro、Photoshop、AVID、FinalCut Proなどのソフトを使って)全部自分で手掛けてしまうようです。

また一方で、上川伸廣さんは音楽制作にも精通しています。作曲家として数多くのアーティストへの楽曲提供をしたり、『たけしの万物創世紀』(テレビ朝日系)や『共犯者』(日本テレビ系)ではサウンドトラックを作曲編曲した経験もあります。

これまで上川伸廣さんが手掛けてきた作品は、テレビ番組だけでも100作品以上で、自然科学系番組では、『わくわく動物ランド』(TBS系)や『たけしの万物創世紀』(TBS系)『奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス』(テレビ朝日系)などの制作を通じて、芸能人だけではなく、自然科学系の学者や研究者とも繋がりがあります。

バラエティ番組制作を通じて知り合ったビートたけしさんやタモリさん、故逸見政孝さんからは絶大な信頼を得ています。

正解はCMの後での考案者

クイズ番組の定番スタイルとなっている、正解発表をCMの後にするスタイルであるいわゆる”正解はCMの後で”を考案したのは上川伸廣さんだと言われています。

発案理由は、CMの間に視聴者にクイズの答えを考えてもらうためだったのですが、現在では視聴者にクイズの答えを考えてもらうことも目的のうちの1つですが、視聴者を繋ぎ止める意味合いの方が強くなっていますので、上川伸廣さんが発案した頃とはかなり意図が変わってきてはいますが、上川伸廣さんの案がクイズ番組に息吹を与えたと言っても過言ではありません。

宮崎美子と結婚相手上川伸廣の馴れ初めは仕事

宮崎美子さんと上川伸廣さんが出会ったのは1981年3月のことでした。当時、宮崎美子さんが出演していた学園ドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)のアシスタントディレクターをしていたのが上川伸廣さんでした。

ただ、1981年3月に交際がスタートしたというわけではなく、初めのうちは友達として美術館に行ったり食事をしたりしていたそうです。

当時の共演者やスタッフを前にして、2年B組仙八先生の打ち上げパーティーの席上で、上川伸廣さんがギターを弾き、宮崎美子さんが自身の持ち歌(後に発売される新曲)を披露するなど、ただの友達とは思えないような親密ぶりを披露していたそうです。

ですが、ドラマが終了してからは会うことはもちろん、連絡を取り合うこともなくなったそうです。

そんな宮崎美子さんと上川伸廣さんが思いがけない再会を果たしたのは、1985年10月16日のことでした。阪神タイガースが優勝を決めた神宮球場で、熱狂的な阪神ファンである宮崎美子さんが、事務所の社長と一緒に阪神タイガースの熱戦ぶりを観戦していた際に、宮崎美子さんの2、3列先に上川伸廣さんが座って観戦していたのです。

この思いがけない再会をきっかけにして連絡を取り合うようになった宮崎美子さんと上川伸廣さんでしたが、お互いに多忙な日々を過ごすうちに徐々に連絡の頻度が落ちていき、いつの間にか連絡が途絶えてしまいました。

しかし、その3年後の1988年夏に、今度はスキューバダイビングスクールで2人が偶然の再会を果たします。

偶然の再会が2度も続いたことで、宮崎美子さんの心の中にあった上川伸廣さんに対する好意が恋愛感情に変化していきました。一方の上川伸廣さんも同じ感情を抱いていたのか、これまでとは打って変わって、宮崎美子さんに対する猛アプローチをしかけていきました。

当時の上川伸廣さんは、『わくわく動物ランド』の制作スタッフとして海外ロケに随行していたため、1年の3分の2は海外にいるという生活が続いていました。会いたくても会えないもどかしさを感じつつも、1988年12月に重大な決断を下しました。

上川伸廣さんがインドへ番組ロケに行った際に、宮崎美子さんの誕生石(1958年12月11日生まれ)であるトルコ石を買って帰り、プレゼントしたのです。

誕生石を渡す際に上川伸廣さんが宮崎美子さんにかけた言葉は何と無言。

後にも先にも「結婚しよう」というプロポーズの言葉はなかったそうですが、その後、宮崎美子さん、上川伸廣さんの両親を含めた両家の親族が集う食事会が1989年8月31日に都内のホテルで開催され、翌9月1日にめでたく入籍することとなりました。

入籍当時の宮崎美子さんの年齢は30歳、上川伸廣さんの年齢も30歳でした。

入籍後は、東京都内ではなく神奈川県逗子市に新居を構えて、夫婦2人の生活をスタートさせました。

婚約指輪や結婚指輪といったものは一切なく、自然が大好きな2人の共通の趣味とするために、北海道斜星町に8000円で原野を買いました。

宮崎美子さんは上川伸廣さんについて、以下のように語っていました。

真っ白い歯で何でもおいしそうに食べてくれるんです。それにいつも機嫌が良くて、自然をとっても愛していて、色んなことを良く考える人です。それから何でもできる人なんで、一緒にいてとても便利です。

一緒にいてとても便利ですとまで語っていた宮崎美子さんでしたが、結婚生活は長くは続かず、結婚してから1年4カ月後の1992年1月に離婚してしましました。

宮崎美子と結婚相手上川伸廣に子供はいない

先ほどもお伝えした通り、宮崎美子さんは上川伸廣さんと結婚した後、1年4カ月でスピード離婚していますので、子供はいません。

インターネット上では、”宮崎美子 娘”というキーワードが出てくるのですが、こちらは完全なデマで、宮崎美子さんではなく宮崎香蓮さんと勘違いしたインターネットユーザーが多数いたようです。

宮崎美子さんと宮崎香蓮さんは血縁関係でも何でもなく、仕事での共演もありません。

また、Twitterではこんな呟きもありました。

確かに似てはいますが、宮崎美子さんと上白石萌音さんも血縁関係にはありません。

宮崎美子と結婚相手上川伸廣が離婚した時期や離婚原因

3度目の出会いで結婚し、お互いの趣味も合致していた宮崎美子さんと上川伸廣さんが短期間で離婚した原因は何だったのでしょうか。

調べてみると、原因の大半は宮崎美子さんにあったようです。具体的には、良き妻でありたいという気持ちが強い宮崎美子さんと、そこまで(良妻っぷりを)求めない上川伸廣さんとの間に気持ちの温度差が生じてしまったということのようです。

宮崎美子さんの気持ちが空回りしてしまい、何で私だけがこんなにも大変で頑張らなくてはならないのか?というふうに自分自身を追い込んでしまい、その思いが鬱積して爆発し、離婚に至ったということでした。

宮崎美子は現在結婚していない

宮崎美子さんの結婚歴を調べてみましたが、1989年に結婚し1年4カ月で別れた上川伸廣さん以外に結婚歴はありませんでした。

ドラマやバラエティ番組に度々出演している姿を見ると、その役柄に関係なくとても若々しくて美しい宮崎美子さん。

宮崎美子さんのことを良く思う男性はかなりたくさんいるはずですし、言い寄ってくる人もいるかと思うのですが、浮いた噂は全くと言ってよいほど見当たりません。

宮崎美子が今後結婚(再婚)する可能性

宮崎美子さんほどのキャリアと年齢になると、マスコミもそう簡単にはプライベートのことを聞き出すことができなくなります。バラエティ番組等でベテランの司会者がプライベートに関して切り込むものの、上手くかわしている様子も伺い知れますので、もしかすると意中の方がいるのかもしれませんが、現在のところ、交際しているお相手も特にいないようですので、今後も結婚(再婚)せずに、独り身のままでいる可能性が高いです。

宮崎美子の結婚相手はディレクターの上川伸廣

宮崎美子さんのお相手は、敏腕ディレクターの上川伸廣(うえかわのぶひろ)さん。

テレビ制作会社の”イースト・エンタテインメント”に26年間所属していました。

その後フリーになって、マルチクリエーターとして活躍中の人。

ドラマ、CM、ドキュメンタリー、バラエティーなど、広いジャンルでのクリエーターとして信頼の厚い人。

二人の出会いは1981年。

『2年B組仙八先生』という学園ドラマに、出演者とアシスタントディレクターとして、知り合います。

お付き合い、というより、友達として、食事に行ったりしていたとか。

美術館なんかにも一緒に行っていた、というから、やはり気が合った同士だったのでしょうね。

特に、決定的な進展もなく、忙しさに連絡もとぎれていたところ…。

1985年、阪神タイガースが優勝した年のこと。

タイガースの大ファンの宮崎美子さんが観戦していたところ、近くに上川伸廣さんがいたのです!

そんな再会で又、連絡しあうようになって…でもお互い多忙で進展もなく…。

しかし!1988年に、スキューバダイビングのスクールで、二人はまた再会するんです。

申し合わせもせずに、2度も偶然に顔を合わせるとなると、何だか運命を感じずにはいられません

それは、お互いにそう感じていたようで、多忙ながらも上川伸廣さんは、動きます

海外ロケ先で、宮崎美子さんの誕生石を購入し、プレゼント。

ただ、プロポーズの言葉はなかったようですが

宮崎美子、離婚理由は?子どもはいる?

二人は、都内のホテルで、両家の親族を招いて食事会をします。

そしてその次の日、1989年9月1日に結婚、入籍しました。

式や披露宴はなく、婚約指輪、結婚指輪もなかったようですよ。

こういうのは、形として女性は欲しがるものですが。

宮崎美子さんはそういうモノに執着がなかったのですね。

その代わり、になるのでしょうか。

北海道斜里町に、原野を買ったとのこと。

自然が好きな二人だったのです。

この時、二人は30歳。

いつも機嫌が良く、何でもおいしそうに食べてくれる。

また、何でもできて、一緒にいてとても便利、と言う宮崎美子さん。

“とても便利”って、面白い表現ですね。

家の中で、Gとか、イヤな虫がいたとき、排除してくれるのは、ありがたい、とよく思いますが…。

しかし、1992年に、二人は離婚するのです。

結婚生活は、1年4ヶ月。

離婚理由は…真面目で頑張り過ぎる宮崎美子さん。

完璧であろうとする宮崎美子さんに対して、それほど求めることの少ない上川伸廣さんとの温度差?

何で、自分ばかりが大変なんだろう、と思う宮崎美子さんは夫婦でいることを解消します。

近しい芸能関係者いわく、”誰かと一緒に住むのは向いていない、と悟ったようだ”と。

そして、上川伸廣さんとは、憎しみ合って別れた訳ではないので、一緒に旅行に行ったりすることもあるのだとか。

それに、上川伸廣さんの担当する番組にゲスト出演することもあって、良好な関係が続いているそうです。

子どもさんはいません。

宮崎美子の若い頃、上白石萌音によく似ている

そうそう、本当に良く似ていますね。

朝ドラ「カムカムエブリバディ」の時、若い頃の安子を演じていた、上白石萌音さん。

時は流れて、孫世代の時代になった昭和に、安子が登場する、ということになった時。

誰が演じるんだろう、と話題になりましたね。

私も、宮崎美子さんなら、説得力が強いよねー、と考えていましたが…。

やはり、同じことを考えている人がたくさんいるようでした。

実際は、森山良子さんが、安子おばあちゃんで登場しましたね。

若い頃の宮崎美子さんの画像と、今の上白石萌音を並べてみると、本当にそっくりです!

丸顔で、ほっぺがふっくら!

笑うと、ちょっと垂れ目がとっても可愛

でも、激似だけど、親戚でもなんでもないそうですね。

20代の宮崎美子さんは、「クイズダービー」の回答者を2年間つとめました。

アイドルみたいに可愛くて、回答者席に座っているだけで、華がありました。

でも、宮崎美子さんは、正解確率が高くて、可愛く、賢いイメージが定着しました。

歌も出していました。

デビュー曲は、「NO RETURN」。

大学は、仕事をしながら5年間頑張って卒業しています。

さすがの頑張り屋さんです。

宮崎美子の年齢・大学・本名・出身・身長・血液型・父親

年齢:1958年12月11日生まれ 65歳

大学:熊本大学法学部法律学科

本名:宮﨑美子 (”崎”ではなく”﨑”)

出身:熊本県熊本市

身長:156㎝

血液型:A型

父親:銀行員で、宮崎美子さんが生まれた時には熊本に住んでいました。

その後、小学校の時には、大阪府豊中市~大阪市、その後大分県へ転勤。

宮崎美子さんが高校生の頃は、熊本に戻ってきました。

学生の間に、4回の転勤で引っ越しを経験していますね。

又、宮崎美子さんはドラマなどで、母親役を多く演じています。

でも、当の宮崎美子さんのお母さんの情報は見つけられませんでした。

しかし、転勤が多かったけれど、一家で引っ越しをしているようですね。

なので、お母さんは専業主婦だったのでは?ということです。

そして、兄弟は、弟さんが一人います。

宮崎美子、ミノルタのCMで人気に!

宮崎美子さんは、1980年、22歳の時に、あの篠山紀信さんからオファーがあったのです。

それは、グラビアアイドルとしての視点でのオファーでした。

でも、当の本人は、水着はイヤ(家族にみられるのが)で、断るのです。

その後、ミノルタカメラのCMで、篠山紀信さん本人からのオファーがありました。

サイパンで撮る、というのが魅力だったのでしょうね。

ちょうど大学も春休みだったことが功を奏するのです。

海に入るのに、そっと木陰でGパンとTシャツを、恥ずかしそうに脱ぐシーン。

「今のキミはピカピカに光って」という歌がまたピッタリ

このCMはたちまち大人気に!

あの可愛い娘、誰?という感じです。

宮崎美子さんが、細めではなく、ふっくらした感じも良かったと思うのです。

バストも童顔には似合わぬふくよかだったのも!

この萌えるシチュエーションの二番煎じ、というのを他の女性で撮ったこともあるそうですが。

あの22歳の宮崎美子さんの美しさを越えることはなくて、お蔵入りになったようです。

 

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