こいかわ

野田洋次郎と吉高由里子の交際史。結婚目前に喧嘩?歌曲”五月の蝿”の噂

RADWIMPSのボーカル・野田洋次郎さんといえば、過去に相当たる女性と恋仲の噂が流れました。

交際がハッキリと確認された女性の中で、最も有名なのは女優・吉高由里子さんです。

天才肌同士のお似合いカップルだったということで、当時は両ファンから応援される素敵なカップルでした。

破局後も復縁を期待されたり、当時の交際が度々蒸し返されたりと、2人の交際史はファンにとっても特別です。

今日は野田洋次郎さんと吉高由里子さんの馴れ初めと交際、そして破局までの報道をまとめてみたいと思います。

また、別れた理由や、RADWIMPSの非道な名曲「五月の蝿」と吉高さんとの関連性についても書いてみたいと思います。

激しすぎる?野田洋次郎と吉高由里子の熱愛の歴史
野田洋次郎さんと吉高由里子さんは、2012年の秋に交際を開始、途中に破局と復縁を挟み、2015年1月まで約3年交際しました。

交際の歴史を時系列で並べてみました↓

2012年秋 交際開始
2013年2月 熱愛報道
2013年9月 路上で喧嘩し破局
2014年中旬 復縁と半同棲
2015年1月 破局
週刊誌に手繋ぎデートを報じられる
2013年2月発売の「週刊女性」にて野田洋次郎さんと吉高由里子さんの熱愛が報じられました。

 

週刊誌では2人は昨年(2012年)に友人の紹介で知り合い、同年の秋には交際をスタートと書かれていました。

2013年2月7日に発売された「女性セブン」では、吉高さんが野田さんの自宅に3連泊したことや、タイ料理屋でデートしたことが伝えられました。

 

二人の報道はテレビでも大きく取り上げられ、両ファンにとっても嬉しい報道でした。

交際がスタートした2012年の秋といえば、野田洋次郎さんがソロプロジェクト「illion」が動き出した時期で、公私共に大きな変化があった時期でした。

路上で喧嘩と破局が報じられる。熱愛報道の7ヶ月後・・・
交際発覚の報道が出てからすぐの2013年9月、週刊誌「フライデー」にて、2人の大喧嘩が報じれました。

 

2人で渋谷区にあるバーが出てきた後、しばらくは手を繋いで歩いていたそう。

 

しかし、突然止まって口喧嘩がスタート。

 

散々言い争いをした後、二人は別々に歩き始め、吉高さんはタクシーを捕まえて1人で帰宅したそうです。

 

ここまで一部始終が収められるのは珍しいですね。

別の日には、

野田さんが深夜3時にタクシーで帰宅

吉高さんが部屋から出て料金を払うも野田さんが無視して部屋に向かう

吉高さんが追いかけるように部屋に向かう

部屋から男性の怒鳴り声や物が壁にぶつかる音が聞こえる

↑このような事もあったそうで、日頃から喧嘩が絶えなかったことが伺えます。

その他の報道でも、デート中に吉高さんが拗ねて動かない一幕が載せられていました。

 

この報道の他、一部メディアでは二人の破局が伝えられました。

喧嘩が激増した理由については、吉高さんが仕事のプレッシャーから気持ちが荒れやすくなっていたのではないか?と見られています。

この2013年秋、吉高由里子さんはNHKの連続ドラマ「花子のアン」のヒロインに抜擢され、プレッシャーの掛かる大変な時期だったのです。

復縁と半同棲が報じられる。「ラリルレ論」にて「私と別れたら誰とも結婚できないよ」
2013年の秋頃に破局が伝えられた2人ですが、1年後の2014年5月29日には復縁報道が出ました。

 

元々、別れていたというよりも、吉高さんのNHKドラマのクランアップまで距離を置いていただけでは?と解釈してる人もいます。

復縁報道が出た時期の2014年2月〜7月の日記を書籍化した野田洋次郎さんの「ラリルレ論」では、当時の彼女に「私と別れたら誰とも結婚できないよ」と言われたことを綴られていました。

続けて「最初はふざけんなよと思った。でも、そのうち本気でそう思った。」と綴っており、当時の吉高さんとの喧嘩は、野田さんにも非があったことが連想できます。

復縁報道が出た同年2014年の10月3日には女性セブンから代官町でのデートがスクープされました。

 

この時点で二人の復縁は確実となり、さらに半同棲をしていることが明らかになり、以前よりもラブラブになったと思われました。

半同棲するも結局は破局したことが報じられる。吉高は公私共にボロボロ
復縁後、ファンに応援されるカップルになっていた2人。

半同棲をするなど、結婚秒読みだと思われていました。

しかし、2015年4月14日に「Flash」より破局したことが報じられました。

2015年の年明けには同棲を解消し、春までには別れていたそうです。

破局報道が出た8日後の4月22日、吉高由里子さんはSNSに「軽蔑するよ」の言葉と共に、怖い顔の写真を投稿しました。

 

当初、別れたばかりの野田洋次郎さんに対するメッセージだと思われました。

しかし、2015年5月17日の「アサ芸」によると、2014年年末に長く姉妹のように仲が良かった女性マネージャーが事務所を辞め、精神的支えがなくなり荒れていたことが明かされました。

野田洋次郎さんとの同棲が解消されたのは、マネージャーが辞めた翌月だったということで、2人が別れるまでにどうしようもない問題があったと想像できます。

吉高さんの「軽蔑するよ」の投稿は、事務所の人や、仕事に関わる誰かである可能性もあるのです。

RADの恐ろしい名曲「五月の蝿」のモデルは吉高由里子?”可愛いと言われ慣れた”彼女への憎しみ
女性ファンの多いRADWIMPSですが、楽曲の中には女性ファンに不評な曲もあります。

その代表格が、2013年10月にリリースした「五月の蝿(はえ)」です。

この曲はイントロからしてミステリーサスペンスのような殺風景な雰囲気があり、歌詞の内容も散々です。

別れたある憎い女性に対する恨み辛みを書き殴ったような歌詞で、曲で使われる表現も怖くて生々しいのです。

歌詞には「君が主演の映画」など、モデルが女優であることを連想さす歌詞も含まれ、過去に交際していた吉高由里子さんに対する曲では?という都市伝説が生まれたのです。

 

野田さん本人は、同曲が交際していた女性に対する当てつけではないと発言されており、基本的には否定されています。

「五月の蝿」と吉高由里子の関連性。時系列だと違和感あり
野田洋次郎さんと吉高由里子さんが出会ったのは2012年です。

そして交際がスタートしたのは出会った同年2012年の秋頃です。

大喧嘩と破局が伝えられたのが2013年9月で、「五月の蝿」がリリースされたのは破局報道から1ヶ月後の2013年10月です。

2012年秋 交際スタート
2013年9月 路上で喧嘩&破局報道
2013年10月 「五月の蝿」リリース
2014年 復縁&半同棲
2015年上旬 破局
時系列で見てみると、曲がリリースされたのは別れて1ヶ月後で、そんなに早く作詞作曲&レコーディングできるのか?という疑問点があります。

また、曲がリリースされた翌年には復縁し、半同棲までしています。

もし、自分に対する酷い曲を作っていたとして、そんな男と復縁して半同棲までするでしょうか?

常識的に考えると”「五月の蝿」のモデル・吉高説”は無理があると思います。

今後、何度も蒸し返される都市伝説ですが、基本的にはガセネタだと認識するべきです。

 

ただ、二人が日頃から喧嘩ばかりしていた背景を考えると、週刊誌が把握していない戦国時代も存在し、交際期間中にコツコツと作り上げていた可能性もあり、大喧嘩し破局した2014年秋に「よし出してやろう!」とスッとリリースできたことも考えられます。

また、吉高さんの性格的に、自分に対する怒りの曲をむしろ気に入って、逆に愛情が盛り上がったパターンも無きもせずあらずで、その後の復縁も問題なかった考察もできるのです。

吉高さんがモデルだと”見ようと思えば見れる”という面白味が同曲をより魅力的に見せているのです。

野田洋次郎の友人・佐藤健(俳優)がイライラ→スッキリの名曲と紹介
俳優業などもこなす野田洋次郎さんは、交友関係も広いです。

俳優繋がりの友達には、「トイレのピエタ」で共演した佐藤健さんもいます。

 

その友人の佐藤健さんですが、2023年9月に自身のYouTubeで、「イライラした時に聞く曲」として、RADWIMPSの問題作「五月の蝿」を挙げました。

イライラした時のストレス解消法に「歌う」と答え、代表的なスッキリソングに同曲を挙げたのです。

佐藤健さんは「五月の蝿」について、

「検索してみてください。この世の言葉史上最も殺傷能力の高い歌詞になってます」

と答えています。

この曲が話題になる度に起きる現象といえば、五月の蝿について検索→吉高由里子の都市伝説が蒸し返されるということです。

逆に2024年に吉高由里子さんに一般人の彼氏が出来た後も、過去の野田さんとの交際が蒸し返され、その末「五月の蝿」の都市伝説が再び話題になるということもありました。

「五月の蝿」が話題→過去の交際と都市伝説が蒸し返される

昔の2人の交際が話題→「五月の蝿」の存在と都市伝説が蒸し返される

このインパクト抜群の曲(五月の蝿)がある限り、野田さんと吉高さんの交際は今後も蒸し返され続けることでしょう。

ちなみに、「五月の蝿」は女性には不評ですが、男性ファンには大人気という微妙な立ち位置の曲です。

現在も復縁が期待される。「楽しかったよね」発言にファン歓喜
2015年の1月には別れてしまった2人ですが、その後にSNSを通じて復縁が匂ったことがあります。

破局から2年後の2017年2月15日の午前に、吉高さんは「心に足が生えたような感覚で 生きていきたい 身体を追い越してっちゃうような 心で動きたい なっ」とツイート。

この”心に足が生えたような”というワードは、RADWIMPSの「会心の一撃」の歌詞”心に足が生えてたら今日の行き先は違ってたかな”の部分に掛けています。

 

この投稿があった同じ日の夜には、

「冬晴れの中の春の匂い 時間は常に動いてる 今日が1回しかないのなんて 当たり前なのにね なんだか5、6年前にぴゅいんと戻れそうな気持ちになるのは なんなんだろうね 戻れるわけないのにね ひしひしと感じております さっ❤︎10時から 今日も あなたの1時間私にください」

と、同日の22時から放送の自身が出演する「タラレバ娘」の宣伝を兼ねたツイートをしました。

翌日の2017年2月15日には、野田洋次郎さんがTwitterで「ロールキャベツって素敵 あらゆる角度から素敵」と投稿。

 

このツイートで書かれる”ロールキャベツ”とは、吉高さんが前日に宣伝した「タラレバ娘」で食べていたロールキャベツ風の食べ物のことを指し、前日のツイートに対して間接的にアンサーしたことになります。

 

これには、野田洋次郎さんの”Twitter見たよ”の意味が含まれていると思われ、現在もお互いに陰ながら好意的に意識してることが伺えます。

当時、二人の間接的なやり取りを知ったファンは、「もしかしてお互いに未練あるの?」「このまま復縁もあり得る?」と歓喜しました。

その後に復縁報道はないが「楽しかったよね」と投稿
2017年2月のTwitter上のやり取りがあってから、2人の復縁に期待するファンが増えました。

野田洋次郎さんはTwitterでファンの質問に対してフランクにアンサーをすることがありますが、その質問の中には吉高由里子さんに纏わる質問も多くありました。

2人が復縁するような報道はありませんでしたが、ある時に吉高さんに関するやり取りの中で野田さんが「楽しかったよね」と回想し、ファンをほっこりさせたことがありました。

長く独身が続く2人だけに、今後も復縁は期待され続けることでしょう。

野田洋次郎と兄は桐蔭学園高校出身。慶應で父は一橋大学。実家は世田谷の金持ち
2024年4月27日
7分3秒
野田洋次郎と兄は桐蔭学園高校出身。慶應で父は一橋大学。実家は世田谷の金持ち

RADWIMPSのボーカルとして人気の野田洋次郎さん。

人気映画「君の名は。」の主題歌の作詞を手掛け、その才能が再認識されています。

RADWIMPSといえば神奈川出身のバンドで、インディーズ時代は横浜を中心に活動していたことで知られます。

メンバーの多くが神奈川出身だと認識されていますが、ボーカルの野田洋次郎さんに関しては、純粋な神奈川人ではないのです。

確かに、冷静に考えてみると、野田洋次郎さんの感性って、どう考えても都会的というか、フィーリング的に神奈川っぽくはないとなと思いますが。

野田洋次郎の家系はエリート。家族全員がクラシック楽器+高学歴で英語堪能
野田洋次郎さんは生まれこそは東京都でありますが、幼稚園を卒園する3ヶ月前にアメリカのテネシー州ナッシュビルに引っ越してます。

家族全員でアメリカに引っ越し何年も生活したということで、家族全員が英語堪能であります。

その後に日本に帰りますが、帰国子女ということで周囲に馴染めずにいじめれたそうです。

日本に帰ってからは洋次郎という珍しい名前をからかわれたり、「英語話せよ、アメリカ帰り」と茶化ちゃかされたり、いびられたり。

ランドセルも持たない僕は日本に帰っても、やはり異物だった。アメリカでも日本でも、大体そういう嫌な経験があると僕は下を向いていた。

その「いやな時」が過ぎるのをただじっと待った。下を向いて。

野田洋次郎さんは慶應義塾大学に進学されていますが、実は兄も父も高学歴です。

父は欧州日産でお偉いの立場にいた方で、海外のページに詳細が載っていますが、父は一橋大学を卒業してます。

さらに洋次郎さんと兄の林太郎さんはピアノの講師をしていた母の影響でピアノが上手ですが、なんとお父さんもピアノが上手なのです。

 

つまりは、家族全員がピアノが上手ということです。

野田洋次郎の実家は世田谷の地上2階地下1階の大豪邸!
実は野田洋次郎さんの生まれた場所は、神奈川ではなくて東京都です。

小学校の頃にはアメリカでの生活も経験しており、実家の親の仕事の影響で、変わった境遇で少年時代を過ごしてます。

 

小学生のうちに日本に戻った野田洋次郎さんですが、その時には世田谷の桜丘小学校に通っています。

帰国してすぐに通った小学校が世田谷ということで、野田洋次郎さんの実家は同じく世田谷にあります。

野田洋次郎さんの実家に関しては、以前に週刊誌に場所と建物の特徴が書かれたことがありました。

世田谷区の高級住宅街に実家はあり、地上2階地下1階で、大きなガレージには高級車が2台も停まっているそうです。

土地単価は150万以上する場所で、200平米もあるとかなので、値段にしたら凄まじい額になります。

子供の頃はお父さんが嫌いだった?敬語ルールに体罰は当たり前
お金持ちのエリート一家に生まれた野田洋次郎さんですが、実は学生の頃から自分の家が好きじゃなかったそうです。

厳格な父親だったため、家でも敬語、怒ると殴られるが基本だったようで、お父さんが仕事に行ってる時間にホッとしていたそうです。

 

大人になってから、「僕はあなたの子供に生まれてきたのがずっと嫌だった」と伝え、父は「俺もいきなり親になって、どうしていいかわからなかった」と理解し、和解したようです。

お金持ちで豪邸に住んでいるからといって、そこの子供が必ずしも幸せというわけではないということですね。

野田洋次郎の出身中学と高校・大学。名門私立出身の御坊ちゃま
野田洋次郎さんの実家がお坊っちゃまだと言われるもう一つの理由に、出身中学が桐蔭学園中学であることが言えます。

兄の林太郎さんと共に兄弟揃って桐蔭学園中学なのです。

桐蔭学園中学は神奈川の私立中学の中でも、学費が高いことで知られているので、余裕のある家庭の子供でなければ厳しいので。

作詞で才能を魅せる文章力も、学生時代からの勉強の恩恵だと思えば、名門の桐蔭中学に通った意味があります。

そして高校もそのまま桐蔭学園に進んでいるので、やくみつるさんなど、個性的な感性を持った著名人と同じ経歴を持つことになります。

 

桐蔭学園は日本を代表するマンモス校なので、友人関係などは、普通の高校生よりも変わった雰囲気になることも多いでしょう。

また、桐蔭は共学と言っても、男子と女子で分かれるので、実質は男子校みたいなものなので、野田洋次郎さんの女性に対する純粋な作詞の根元になっているかもしれません。

ちなみに野田洋次郎さんは桐蔭学園を卒業した後は、慶應義塾大学の環境情報学部へ進学してます。

勉強とバンドの両立を目指していたが退学?
桐蔭からの慶應という経歴を見てると、水島ヒロさんや高橋由伸さんと同じですね。華やかな人ばかりです。

野田洋次郎さんは高校時代はバンドや部活に熱中し、部活を辞めてバンドに集中してた頃は勉強をまったくしてなかったそうです。

高校1年までは成績が良かったが、バスケ部をやめた高2くらいから徐々に学校に行かなくなった。進学校でクラスは能力別。高3になると誰が大学の指定校推薦をとるとか、誰の成績がヤバいだとか、蹴落とし合いも始まった。仲の良かった同士でギスギスしたり。プライドばかり高い人たちも多く、そういうものを冷めた眼めで見ていた。

徐々に授業をサボって、電車に揺られそのまま江ノ島の方まで行ったり、逆に新宿まで出向いたり。

さすがに勉強しないと大学に行けなさそうだった野田洋次郎さんは、高校3年生になって受験を控えた時期に、RADWIMPSは一旦活動休止させ、受験勉強に集中していました。

その結果、見事に慶應義塾大学に合格したのです。

高3の秋頃、バンドを一時中断していよいよ切羽詰まり、勉強をはじめた。高卒で無目的に社会に乗り込む勇気もなく。大学に奇跡的に合格し、いざ入学式の日、駅を出てサークルや多種多様の企業勧誘、何千人と溢あふれかえる人の群れに気圧おされ、門の前で引き返した。19歳でデビューが決まり、大学は中退した。

大学進学後も、学校とバンドの両立を目指していたようですが、なかなか難しかったようで1年留年したりした結果、退学してます。

野田洋次郎さんは、アルバム作成してるときは歌詞画面と勉強内容を切り替えての作業できつかったと話してます。

大学に通いながらリリースしたアルバムたちはどれも良作でありますが、野田洋次郎さん的には苦しい思い出の方が多いことでしょう。

野田洋次郎のプロフィール
【プロフィール】
野田洋次郎
生年月日:1985年7月5日
出身地:東京都
身長:180cm
体重:75kg
血液型:A型
所属:有限会社ボクチン
学歴:慶應義塾大学環境情報学部中退

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