お笑いコンビ「爆笑問題」として、さらに執筆家や映画監督などマルチに活動している太田光さんですが、両親はどんな人なのでしょうか。
実家はどこにあり、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、太田光さんの出身学校や実家、家族について調べてみました。
太田光(爆笑問題)の実家はお金持ち?
太田光さんは、埼玉県入間郡福岡町(現・ふじみ野市)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていませんが、両親がなくなる前まではふじみ野市内にあったようです。
売れっ子芸人になった太田光さんですが、幼少期はそこまでお金持ちではなく、一般的な家庭で育ちました。
太田光(爆笑問題)の生い立ち
1965年5月13日に誕生した太田光さんは、ガキ大将ではあるものの、集団と交じり合うことを拒絶するような冷めた視線を持つ少年だったそうです。
お笑いをやるようになったのは、お父さんに対しての憧れがあったからではないかと明かしていました。
大学時代までは本や演劇の世界に惹かれていた太田光さん出下が、大学で相方の田中裕二さんと出会い、「爆笑問題」を結成しました。
太田光(爆笑問題)の父親
太田光さんのお父さんは、太田三郎さんと言います。
お父さんは建築士で、書道も嗜んでおり文学やお笑いにも興味を持り、落語家を目指していた時期もありました。
焼肉店「叙々苑」のロゴは、そんなお父さんが手掛けたものだったそうです。
太田光さんの名もお父さんが命名、本当は正しい「right」と明るい「light」という意味を掛けて「ライト」と名付けたかったものの、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと同じになることを避け、光り輝くようにという意味も込めて「光」になりました。
とても明るいお父さんでしたが、2012年3月に亡くなりました。
太田光さんは、「おやじからは人を楽しませることを学んだ」と明かしています。
太田光(爆笑問題)の母親
太田光さんのお母さんは、太田瑠智子さんと言います。
お母さんは女優志望で、俳優養成所に所属していたことがありました。
太田光さんは子供の頃からお母さんに連れられ、舞台を観に行っていました。
お母さんについては「弱音をいわない、かっこよくて強いおふくろでした。子供のころ本を読んでもらうのが楽しみで、物語や小説に興味を持つきっかけをくれた」と語っています。
そんなお母さんも、2016年11月に天国へと旅立ちました。
太田光(爆笑問題)の兄弟や姉妹
太田光さんは、ひとりっ子です。
そのため兄弟はいません。
太田光(爆笑問題)の学歴
太田光さんが通っていた学校について調べてみました。
太田光(爆笑問題)の出身小学校
太田光さんは、上福岡市立第二小学校(現・ふじみ野市立上野台小学校)に進学しました。
その後、上福岡市立第六小学校(現・ふじみ野市立元福小学校)に転校しています。
小学生の頃は、エレクトーンや習字などを習っていたそうです。
太田光(爆笑問題)の出身中学
小学校卒業後は、上岡市立第二中学校(現・ふじみ野市立葦原中学校)に進学しました。
中学では軟式テニス部に在籍していたものの、幽霊部員でした。
太田光(爆笑問題)の出身高校
中学校卒業後は、大東文化大学第一高等学校に進学しました。
偏差値は、51~60です。
高校時代は、友達が出来ず、3年間同級生とほぼ会話をしていませんでした。
自分から周囲に声をかけることが出来なかったため、ひとりぼっちになってしまったのだそうです。
部活の演劇部の一人だったため、文化祭では一人芝居を披露しました。
太田光(爆笑問題)の出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。
太田光さんは演劇学科に在籍、偏差値は53です。
大学は中退していますが、退学届を出さなかったため除籍扱いになっているようです。
まとめ
芸能の世界に憧れを抱いていた両親の元で育った太田光さんは芸人になりましたが、両親から受け継いだ才能があるからこそ、お笑い以外でも活躍出来ているのだと思います。
空の上で見守ってくれている両親のためにも、これからも太田光さんらしく、頑張ってほしいですね。
太田光代さんと太田光さんご夫婦には子供がいませんが、どのような理由があるのでしょうか。
そして2人の馴れ初めはどのようなものだったのか気になりますね。
そこで今回は、太田光代さんと太田光さんに子供がいない理由や馴れ初め、離婚危機の噂について調べてみたいと思います。
太田光と嫁・太田光代の結婚や子供・不妊治療まとめ!離婚しない理由とは?
太田光代さんと太田光さんに子供がいない理由は、不妊治療をしたものの成功しなかったためです。
太田光代さんと太田光さんはともにひとりっ子だったので、『親に孫の顔を見せてやりたい』という思いがありました。
そこで2人は、結婚10年目に不妊治療を開始します。
人工授精に踏み切りますが、太田光代さんは精神的にも肉体的にもかなりきつかったそうです。
1度人工授精をすると、2日ほど寝込んでしまうほどだったそうで、太田光代さんは辛かったでしょうね。
人工授精は4度チャレンジしましたが、願いは叶わず、太田光代さんは不妊治療をいったん中断しました。
その後、治療を再開して『顕微授精』に3度挑戦するも、願いは叶いませんでした。
太田光と太田光代の馴れ初め
太田光代さんと太田光さんは、太田プロダクションに所属する芸人仲間でした。
ある日、事務所の芸人仲間で合同コントをすることになり、太田光代さんの家で打ち合わせが開かれました。
その中にいたある女性芸人が、太田光さんに想いを寄せていて、つきまとっていたそうです。
そこで太田光さんを助けるため、太田光代さんは自分の隣に太田光さんを座らせました。
その気遣いを太田光さんは『自分のことが好き』と勘違いして、そのまま家に居座ってしまったのです。
同棲を始めた2人は順調に交際を続け、2年後の1990年に結婚しました。
衝撃的な勘違いから、突然の同棲というかなり奇抜な馴れ初めの太田光代さんと太田光さんですが、お互いに魅力を感じたのも事実なのでしょうね。
太田光と太田光代の結婚式
結婚当初は生活していくのも一苦労だった状況で、太田光代さんは『結婚式もしてないし、新婚旅行も行ってない』と話していました。
せめてウェディングドレス写真は残したいと思っていたそうです。
そこで結婚25周年を迎えた2015年2月、桂由美さんの50周年記念コレクションに、太田光代さん光さん夫婦がゲストとして参加。
ウェディングドレスを着た太田光代さんとタキシードを着た太田光さんは、ステージ上で式を挙げました。
太田光さんは『いつも美しいですけど、いつもにましてきれい』と照れていて、太田光代さんもとても嬉しかった様子。
長年の夢が叶って、太田光代さんにとって幸せな1日だったでしょうね。
太田光と太田光代が離婚の危機って本当?
太田光代さんは、2022年8月放送NHK『ふたりのディスタンス』の密着取材を受けました。
その時太田光代さんは、『家では全部別々で、食事も一緒に摂ることはない』と明かしています。
空気みたいな夫婦関係と、いっさい愛情表現をしないところがどうしても嫌だった太田光代さんは、何度も離婚を考えたことがあるとも話していました。
一方で夫の太田光さんは、『離婚したらどうにも生きていけない気がする』と対照的な様子。
太田光代さんは『離婚の手続きもすべて自分でして、若い女と再婚されたらたまらない』とも言っていて、なかなか踏み切れない理由があるようです。
しかし、太田光代さんは不妊治療をしていた時、医師の診断で『自然妊娠は難しい』と判断されました。
孫の誕生を熱望していた太田光さんの父親に事実を伝えると、医師の判断を認めなかったそうです。
すると太田光さんは『データとして出てるんだからしょうがないだろ』とかばってくれて、太田光代さんは気持ちに残っていると話しています。
離婚を考えつつも、太田光代さんは太田光さんのことが大好きなのでしょうね。
なんだかんだ太田夫妻には、離婚せずにずっと夫婦でいて欲しいと思います。
まとめ
太田光代さんは不妊治療に何度も挑戦して、大変な日々を乗り越えてきました。
太田光さんの勘違いから始まった2人の関係でしたが、結婚33年目を迎えています。
離婚も考えたという太田光代さんでしたが、これからも仲良の良い夫婦でいて欲しいですね。