さだまさしが結婚した嫁と子供まとめ!息子と娘は美男美女

長年シンガーソングライターとして活動しているさだまさしは子供たちの活躍が話題になっていて、息子と娘は「美男美女」と評判です。今回はさだまさしの息子・佐田大陸と娘・佐田詠夢、そして自身の結婚や嫁(元CAの一般女性)との馴れ初めをまとめてみました。

佐田大陸の結婚や嫁と子供は?父親と母親・妹など家族まとめ【さだまさしの息子】

さだまさしのプロフィール

名前:佐田 雅志(さだ まさし)
生年月日:1952年4月10日
出身地:長崎県
身長:165㎝
血液型:A型
職業:シンガーソングライター、タレント、小説家

さだまさしは長年活躍しているシンガーソングライター

さだまさしは1973年にデビューした人気のシンガーソングライターで、現在も第一線で活躍を続けています。彼は元々「グレープ」というフォークデュオで活動していて、音楽プロデューサーの川又明博からスカウトされ全国デビューを果たしました。1976年にバンドは解散となり、以降はソロで活動。

1977年のシングル「雨やどり」が大ヒットしたことでシンガーソングライターとしてブレイクし、1980年代からは俳優としての活動も始めました。

 

奇跡~大きな愛のように~/さだまさし(30周年記念コンサート『月虹~over the Moon-Bow』) – YouTube

裕福な家庭で育ち、ヴァイオリンの才能が早くから開花した

さだまさしは実家が材木商をしていたということもあって非常に裕福な家庭に生まれ育ちました。当時の自宅は部屋が10以上もある大豪邸だったようですが、大水害が起こり父親の事業は失敗。大豪邸も失うことになりました。

彼は3歳の頃からヴァイオリンを習い始め、すぐに音楽の才能が開花。小学5年生の頃には九州地区の大会で3位に入り、翌年の大会では2位になるなど、その才能は非常に評価が高かったようです。

ヴァイオリンの腕前が認められ、中学1年生の頃に単身上京

さだまさしは小学6年生の頃に出たコンクールにてヴァイオリン指導者の鷲見三郎に腕前を認められ、小学校卒業後は修行のため単身で上京。その後は葛飾区に下宿し、葛飾区内の中川中学校に通いました。ちなみに当時は吹奏楽部に所属していたのだとか。

中学3年生の頃には千葉県へと移り、この頃は叔父と一緒に大邸宅の離れで一緒に下宿していたのだそうです。

中学から楽曲制作やギターを弾くようになった

さだまさしは中学時代に同居していた叔父が合唱団に入っていたことから土日になるといつも合唱仲間が集まり、ギターを弾きながら歌を歌っていたのだとか。

その後、彼も影響を受けてギターの演奏をはじめ、このときにはすでに自身を作るまでになっていました。ですが、その一方でヴァイオリンの修行には挫折してしまい、音楽高校の受験は失敗。ヴァイオリンへの熱意は失われてしまいました。

高校時代は音楽以外にも色々なことに没頭した

さだまさしは高校は私立の「國學院高校」に進学。当時はすでにヴァイオリンを辞めていたもののギターや歌は続けていて、この頃には本格的に作詞・作曲を手掛けるになりました。

また、当時の彼は音楽以外のことにも没頭していたようで、小説作りから落語、スポーツなど、多方面で活動していました。

大学は中退して地元で音楽活動をしていた

さだまさしは大学は「國學院大學法学部」に進学したものの、すぐに通わなくなり中退。その後は東京でアルバイトをしながら生計を立てていましたが、肝炎を患ったことで長崎へ帰郷します。その後は高校時代の友人でシンガーソングライターの吉田正美が彼の家に居候するようになり、フォークデュオ「グレープ」が結成されました。

じつは小説家としても人気

さだまさしはシンガーソングライターとしてだけでなく、小説家としても人気を集めていて、当初は自身のファンクラブ会報などで小説を掲載していました。

その後、2001年の「精霊流し」はベストセラーとなり、翌年にはNHKにてドラマ化され話題になりました。最近では小説だけでなく、エッセイも手掛けています。

「詩」へのこだわりが強い

さだまさしは自身の楽曲について「作詞」と表現せず、必ず「作詩」と表現していて、「詩」へのこだわりが非常に強いことでも知られています。歌詞の内容はもちろんのこと、彼が所有している島の名前も「詩島」と名付けていて、島の中には「詩島天満宮」というお宮まで作っているのだそうです。

さだまさしが結婚した嫁はどんな人?

さだまさしが結婚した嫁は一般人女性。元々は客室乗務員(CA)として働いていたようで、かなりの美人だと噂されています。ですが、一般人と言うこともあって顔写真や名前は明かされておらず、さだまさし本人もあまり嫁について語ったことは無いのだそうです。ちなみに嫁の血液型は「O型」で、出身地は「島根県浜田市」たと明かされています。

佐田玲子は嫁ではなく妹

シンガーソングライターとして活動している佐田玲子はたびたびさだまさしの嫁だと勘違いされることがあるようですが、彼女は嫁ではなく、彼の妹です。

彼女は過去に兄のさだまさしがプロデュースした「白鳥座」というフォークグループに所属していたこともあり、当時は「さだれい子」という名前で活動していました。

妹・佐田玲子のプロフィール

名前:佐田 玲子(さだ れいこ)
生年月日:1957年5月7日
出身地:長崎県
職業:歌手、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ

嫁との結婚式はさだまさしが所有している島で行われた

さだまさしと嫁の結婚式は彼が所有している「詩島」という島で行われました。どのような結婚式だったのかはわかっていませんが、個人所有ということもあって誰にも気を遣わずに楽しい式を挙げれたのではないかと思われます。

ちなみにさだまさし所有の島はたびたびメディアにも登場していて、過去には「劇的ビフォーアフター」にてリフォームが行われたこともありました。

さだまさしと嫁の馴れ初めは?

さだまさしと嫁の馴れ初めについては情報がなく、どういった出会いをしたのかはわかっていません。ただ、2人が結婚したのは1983年にことで、それ以前に出会い交際していたものと思われます。

「関白宣言」は嫁に向けたものなの?

さだまさしと言えば代表曲に「関白宣言」がありますが、これは彼が嫁に宛てたものなのでしょうか?同楽曲がリリースされたのは1978年で彼が結婚したのは1983年。そのため、現在の嫁に宛てたものと言うわけではなさそうです。

同楽曲はその歌詞が「男尊女卑」だと言われることが多く、当時も女性団体などから反発もあったのだとか。ですが、世間的には名曲として知られていて、リリースしたときは150万枚の大ヒットとなっています。

さだまさしが嫁と離婚?噂の真相は?

さだまさしはネットで検索すると「離婚」という関連ワードが登場しますが、なぜなのでしょうか?彼は現在の嫁とは初婚で、一度も離婚はしていません。

また、過去に離婚騒動なども無いため、ネットで噂になっているだけだと思われます。

さだまさしに子供はいるの?

さだまさしには子供が2人いることがわかっていて、息子と娘が1人ずつ生まれています。長男は名前を「大陸(たいりく)」と言い、1984年に誕生。娘は「詠夢(えむ)」と言い、1987年に生まれました。

現在は2人の子供はすでに成人していて、かなりの美男美女だと話題になっています。
さだまさしの実家は喫茶店の自由飛行館
さだまさしさんは、長崎県長崎市出身です。

実家は「自由飛行館」という喫茶店です。

 

こちらは、元々さだまさしさんのお母さんのお店でした。

現在はさだまさしさんの妹さんである佐田玲子さんが引き継き、営業しています。

 

さだまさしの生い立ち

1952年4月10日、長崎県長崎市内でさだまさしさんは誕生しました。

3歳のときに「我が子に音楽をやらせたい」とお父さんがヴァイオリンを買ってきたそうで、そこからさだまさしさんは熱心に稽古に励み、数々のコンクールで入賞、将来の夢はヴァイオリニストだったそうです。

中学1年生のときには単身上京、朝から晩までバイオリンの練習の毎日を送っていましたが、2年生のときに加山雄三さんの「君といつまでも」に出会い、バイオリンからギターに持ち替えて曲作りに没頭、友人とバンドを結成したのでした。

その後、希望の高校に進むことが出来ずヴァイオリンを辞め、地元に帰ってから高校時代の友人・吉田政美さんと再会、意気投合しフォークデュオ「グレープ」を結成しました。

1973年に「雪の朝で」でレコードデビュー、人気アーティストとなったものの、1976年にグループは解散、そしてさだまさしさんはソロ活動を始めました。

 

さだまさしの父親
さだまさしさんのお父さんは、佐田雅人さんといいます。

さだまさしさんが幼い頃は材木商を営んでおり、自宅は部屋が10以上もある豪邸でした。

しかし1957年の諫早の大水害によって事業は失敗、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいになったのでした。

さだまさしさんはお父さんについて「みんなが言うんですよ。『いい親父だな』って。でも、それは(実像を)知らんから。子供の目から見ても“悪い人だな”と分かるような人とつき合っては騙され、借金だらけ。『精霊流し』の印税で、まず親父の借金を返済しましたもん」と明かしていました。

いろいろな人から愛されたというお父さんは、2009年に89歳で天国へと旅立ちました。

さだまさしさんの著書『かすてぃら』は、お父さんとの思い出を描いた自伝的実名小説になっています。

 

さだまさしの母親
さだまさしさんのお母さんは、佐田喜代子さんといいます。

1985年には、お母さんの子育て記『永き旋律―さだ家の母と子どもたち』が発売されました。

さだまさしさんはお母さんについて、ラジオ番組で「夜叉のごとき菩薩。愛されているという信頼があったから夜叉である母に対して愛情が揺るがなかった」と話していました。

そんなお母さんは、2016年に90歳で天国へと旅立っています。

 

さだまさしの兄弟や姉妹
さだまさしさんには、弟さんと妹さんがいます。

弟さんは現在さだまさしさんの事務所「さだ企画」の社長で、日本人初のプロサッカー選手の佐田繁理さんです。

日本人初の海外プロサッカー選手になった、佐田繁理さん!

お兄さんは、なんと!
さだまさしさん!

佐田繁理さんは、長崎南山高等学校卒業後に台湾大学へ留学しサッカー部で活躍、1975年に香港サッカーリーグの東方足球隊でプレーしました。

引退後は英語の勉強のためニュージーランドへ留学し、さだまさしさんから声をかけられ、個人事務所「さだ企画」を手伝うため1977年に帰国しました。

妹さんは、歌手の佐田玲子さんです。

佐田玲子さんは、1981年にさだまさしさんのプロデュースしたユニット「白鳥座」のメンバーとしてデビュー、1984年には『銀河漂流バイファム』に「ムーヴ」として白鳥座がサントラ盤に参加した後、1989年に「くらやみ乙女」でソロデビューしました。

2005年からは沢田聖子さんとユニット「THE 4/9」を結成し活動、さらにTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』のアシスタントや自身がパーソナリティを務める番組など、ラジオにも出演しています。

まとめ
さだまさしさんは、幼い頃から音楽の道を目指していました。

ヴァイオリニストではないものの、シンガーソングライターとして多くの人に支持されています。

弟さんと妹さんもそれぞれの道を歩んでおり、これからも支え合いながら活躍していってほしいと思います。

 

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