【キングタムに出演していた】渋川清彦と嫁千夏の馴れ初めはモデル時代で美人!1人息子とロックな生き方が凄い

今回は、俳優の渋川清彦さんについてご紹介します。

ドラマ『真犯人フラグ』では個性的な刑事役で視聴者を釘付けにした渋川清彦さんですが、プライベートでは奥さんと子供1人の3人家族です。嫁・千夏さんとの馴れ初めはモデル時代に遡るそうですが、果たしてどのようにして出会ったのか、特別な結婚パーティの様子についてもお伝えします。

渋川清彦さんは2014年4月に結婚しました。奥さんの名前は千夏さんと言い、馴れ初めは渋川清彦さんがモデルをしていた頃だと言われています。

渋川清彦さんは18歳まで群馬県渋川市で過ごし、高校卒業後にバンドでプロを目指して上京しました。ちなみに、渋川清彦という名前は実家がある渋川市から取っていて、本名は田中清彦です。

群馬県立渋川高等学校卒業後の進学先は東京コミュニケーションアート専門学校のドラム科でしたが、入学して1年と経たないうちに中退しています。

その後19歳の時に運命的な出会いを果たします。たまたまアルバイト先へ向かう途中に、地下鉄の茅場町駅で来日していたアメリカ・ニューヨークの女性写真家・ナン・ゴールディンさんに声を掛けられ、写真集『Tokyo Love』のモデルとなることが決まったのです。

ナン・ゴールディンさんが渋川清彦さんに声をかけたのは、当時のリーゼント姿がとても似合っていたからだそうです。

そして、ナン・ゴールディンさんに連れて行かれた新宿のジャズバー『DUG』で写真家・ホンマタカシさんと出会ったことがきっかけで、ファッションモデルとして活躍することが決まりました。

当時の芸名はKEEで、19歳から23歳頃まで『MEN’S NON-NO』や『smart』などの雑誌でファッションモデルとして活躍しました。

渋川清彦さんが結婚したのは2014年、渋川清彦さんが40歳のときですので、馴れ初めはモデル時代ではないようです。

2014年に結婚したということは、その2~3年前に出会っていると考えるのが一般的ですので、2011年から2013年頃に知人の紹介で知り合ったでのはないでしょうか。

2011年から2013年頃にはすでに数々のドラマや映画に出演していましたので、仕事の関係者に多数の知り合いがいたはずですので、所属事務所であるディケイド社員かテレビ関係者、あるいは映画関係者の紹介で奥さんと知り合った可能性が考えられます。

渋川清彦の嫁千夏は一般人で美人

渋川清彦さんの奥さんである千夏さんは一般人ですので、画像や年齢、職業に関する詳細な情報は一切明らかにされていません。

渋川清彦さんは2013年に、第26回東京国際映画祭で上映された『そして泥船はゆく』で映画初主演を務めていますので、仕事がひと段落したタイミングで結婚するという決断をしたのかもしれません。

2006年に芸名をKEEから現在の渋川清彦に変更してから、ドラマや映画出演の機会がぐっと増えてきたことで、日々顔を合わせるのは仕事関係者や業界関係者ばかり。

ふっと一息つこうにもつけない環境下で、忙しい渋川清彦さんの癒し役として一般人の奥さんがサポートし続けてくれていたのでしょう。

渋川清彦の嫁千夏には子供(息子)が1人

渋川清彦さんと奥さんには息子さんが1人います。残念ながらお子さんの名前や詳しい生年月日、画像といった詳しい情報は非公開となっています。

息子さんが生まれたのは2015年夏で、お子さんが生まれて以降は、できる限り子供と一緒にいたいという気持ちと、子育てにはお金がかかることから、これまでと比べて飲みに行く回数が激減したそうです。

ドラマや映画では強面で、子供がいない役柄を演じることが多い渋川清彦さんですが、プライベートではとても子煩悩で、忙しい合間を縫っては子供と一緒に過ごす時間を大切にしています。

社会学用語に「親ペナルティ」という言葉があります。親ペナルティとは、子供がいる夫婦と子供がいない夫婦がそれぞれに感じる幸福度の差のことで、一般的に、幸福度は子供がいる夫婦の方が低いとされています。

特に40代になってから子供ができた夫婦の場合、世帯年収はそれなりに多いものの、子育て資金や教育資金の準備と同時に自分たちの老後資金の準備も行っていかなくてはならないため、行き詰ってしまう傾向にあるそうです。

こういった親ペナルティは、確かに一般のサラリーマン家庭であれば直面する可能性が高いですが、渋川清彦さんの場合は、結婚する以前から売れっ子で、結婚してお子さんが生まれて以降も仕事が途絶えず定期的な収入があると思われますので、渋川家が親ペナルティに直面している可能性は極めて低いものと思われます。

渋川清彦と嫁千夏の結婚パーティが特別仕様だった

渋川清彦さんは、2014年4月に一般女性と結婚をしていますが、その際に内輪だけが集まる結婚パーティを、東京都渋谷区道玄坂にあった『SHOWER LOUNGE PLUS』で行いました。『SHOWER LOUNGE PLUS』は渋谷で最大規模を誇る広い店内で、様々な形式や規模のパーティーにも最適で、最新鋭の機材を完備し、光と音で演出できる贅沢な二次会・パーティーが行える有名なお店だったのですが、新型コロナウイルスによる客足の減少から、現在は閉店してしまいました。

さて、そんなお洒落で豪華な会場で催された結婚パーティーの内容が特別仕様で感動的な内容だったそうです。

若い頃から音楽好きで、学生時代は音楽の専門学校に通っていた渋川清彦さんは、お店側が用意した結婚パーティーの内容だけでは物足りなさを感じ、新郎である自らが演者となりドラム演奏を披露したのです。

パーティーの参加者はおよそ400人ぐらいだったということですので、内輪だけの結婚パーティーとは言え、かなり大規模で盛大に行われました。

渋川清彦が嫁千夏と結婚する前の若い頃がロック

渋川清彦さんは俳優業の傍らで、現在も『DTKINZ(ドトキンズ)』のドラムとしても活動しています。本業はあくまで俳優ではありますが、音楽への愛情も冷めずに持ち続けています。

趣味はバイクで、若い頃にはバイク雑誌の取材を受けたことがあるほどのマニアです。

ドラムを特技として趣味がバイクということで、典型的な”男の子”でとてもカッコいいイメージそのものです。

また、渋川清彦さんと言えば、知る人ぞ知るタトゥー俳優です。

他の俳優さんであれば、役柄でタトゥーが必要になった場合には撮影用に特殊なプリントを施すのが普通なのですが、渋川清彦さんの場合は偽物ではなく本物のタトゥーで撮影に臨んでいます。

2018年5月26日に公開された映画『ゼニガタ』では、猛悪ヤクザ・磯ヶ谷剣役を好演し、見事なタトゥーを披露していました。

渋川清彦さんがタトゥーを入れようと思ったのは、1990年2月に公開された映画『カンザス/カンザス経由→N.Y.行き』を見たことがきっかけでした。

主演のマット・ディロンが入れていた黒豹のタトゥーを見て衝撃を受け、カッコいい!と思って自分も入れようとなりました。日本ではまだまだマイノリティのタトゥーですが、渋川清彦さんはタトゥーに関して以下のようにコメントしています。

・タトゥーを入れた自分がテレビや映画で活躍できれば面白い

・既成概念に流されることなく、自分自身の好きなことを貫き通したい

長いものには流されない、何の忖度もなく我が道を行くという渋川清彦さんスタンスに共感する声は少なからずあります。

唯我独尊というと言い過ぎかもしれませんが、独自の路線を切り開いていっている渋川清彦さんの今後の活動に注目し続けていきたいと思います。

渋川清彦の嫁や子供

渋川清彦さんが結婚したのは2014年。

40歳のころでした。

嫁は一般女性。

2014年4月に結婚パーティーが渋谷で行われたそうです。

パーティーに参加した方のブログによれば、参加者は400人ぐらいだったといいます。

子供は息子がひとり。

2019年のインタビューで、『子どもがまだ3歳と小さいので一緒に遊んだりしています。男の子で、本当に可愛いんですよ。(頬を緩ませ)ちょっと親バカになってると思います(笑)』と子供について話しました。

結婚の翌年の2015年に第一子の息子が誕生したそうです。

渋川清彦の高校などの学歴や経歴

渋川清彦さんは1974年7月2日生まれ。

群馬県渋川市出身。

身長175cm

本名は田中清彦

実家は桃や梨を栽培する農家。

父親は寡黙な人で、家の中でも余計なことは一切しゃべらない人だといいいます。

中学は渋川市立金島中学校

中学生のとき、同居していた祖母にドラムセットを買って貰いドラムを始めたそうです。

中学からバンド一筋で、学校が終わると自宅で音楽仲間と集まって演奏していたそうですが、農家の実家は敷地が広かったため、近所迷惑は気にせず、演奏し放題だったといいます。

高校は渋川高校

渋川高校は群馬県渋川市にある男女共学の県立高校。

進学校で偏差値は60。

高校時代もバンドに夢中で、複数のバンドでドラマーとして活動していたといいます。

高校卒業後は大学は進学せず、ドラマーを目指して、東京コミュニケーションアート専門学校のドラム科に入学しますが、1年で中退。

19歳とき、バイトに行く途中の茅場町駅で、来日していたアメリカの写真家・ナン・ゴールディンさんに声を掛けられました。

ナン・ゴールディンさんは1994年に来日し、東京のアンダーグラウンドの若者たちを撮影し、荒木経惟さんの写真と交互に並べた写真集『TOKYO LOVE』を発表しました。

その写真集『TOKYO LOVE』のモデルのひとりに渋川清彦さんをスカウトしたそうです。

渋川清彦さんは何もわからなかったので、気軽に引き受けたといいます。

渋川清彦はメンズノンノの元モデル!若い頃は?

渋川清彦さんはナン・ゴールディンさんに連れて行かれた新宿のジャズバーで写真家・ホンマタカシさんを紹介されたことがきっけで、『KEE』という芸名でファッションモデルとしてデビュー。

『KEE』の由来はナン・ゴールディンさんが寄清彦を発音しづらかったため、渋川清彦さんを『キー』と呼んでいたそうで、そのまま『KEE』でモデルの仕事を始めたそうです。

ファッション雑誌『MEN’S NON-NO』や『smart』などの雑誌で活躍しました。

渋川清彦 俳優の道へ

渋川清彦さんは1998年公開の映画『ポルノスター』で映画デビュー。

『ポルノスター』はオーディションだったそうですが、スカウトされ引き受けた写真集『TOKYO LOVE』の写真展のポストカードの表紙が渋川清彦さんだったそうで、それを豊田利晃監督がたまたま持っていて、渋川清彦さんのことを見たことがあったそうで、『コイツ見たことがある』ということで出演が決まったといいます。

以降、豊田利晃監督作品には欠かさず出演しています。

30歳を期に芸名を『KEE』から『渋川清彦』に改名。

芸名の『渋川』は故郷の渋川市と、大好きだった俳優の渥美清さんの苗字と名前に『さんずい』が付いていたことから『渋川清彦』にすれば『さんずい』同じでいいなと思って付けたそうです。

映画を中心に俳優として活動を始めた、渋川清彦さんですが、40歳手前ぐらいまではアルバイトをしていたと話しています。

アルバイトは治験や窓拭きなどをしていたといいます。

治験は泊り込みで2拍3日を2セットなどで、8万~9万円。

窓拭きはビルでゴンドラに乗って行ってやっていたそうです。

2018年に公開された出演映画は14本で『映画監督が今、最も使いたい俳優の一人』と言われています。

2019年のインタビューで、俳優で生きていく決意をしたのはいつ頃かと聞かれ、『最近です。俳優やろうかなぁっていうか(笑)今も別にそこまでしがみついてやるっていう気持ちではない気がします。』と話しています。

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