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【現在も名バイプレイヤーとして活躍】杉本哲太の嫁は神津はづき!結婚や子供について

俳優として長年活動している杉本哲太は女優の神津はづきと結婚したことがわかっていて、子供たちについて気になるファンは多いようです。今回は杉本哲太の結婚や嫁との馴れ初め、息子と娘についてまとめてみました。

杉本哲太のプロフィール

名前:杉本 哲太(すぎもと てつた)
生年月日:1965年7月21日
出身地:神奈川県
身長:180㎝
血液型:O型
職業:俳優

杉本哲太は長年活動している人気のベテラン俳優。彼は1980年代から芸能活動をはじめ、1984年の映画「白蛇抄」で日本アカデミー賞新人賞を受賞して注目を集めました。

その後は様々な映画やドラマに出演し、現在も第一線での活動を続けています。

映画『シャイロックの子供たち』古川一夫/杉本哲太【2023年2月17日(金)公開】

杉本哲太は若い頃はバンド活動をしていたようで、当時は横浜銀蝿の弟分「銀蝿一家」の一員として紅麗威甦というロックバンドを組んでいました。

ちなみに当時はギターボーカルを担当していて、バンドの顔として人気を集めていました。

杉本哲太は芸能界入りする前はかなりの不良だったようで、当時は学校にも通わず、暴走族にも所属していたのだそうです。ちなみに芸能界デビューのきっかけは街で不良グループに絡まれ、喧嘩していたところ、たまたま通りかかった横浜銀蝿の嵐ヨシユキに止められたことなんだとか。

その後、彼は嵐ヨシユキに「仲間に入れて下さい」と懇願。そのまま銀蝿一家の一員となりました。

杉本哲太は1992年に女優の神津はづきと結婚して話題になりました。

神津はづきは1983年のドラマ「わが家はカタログ」でデビューした女優で、彼より3歳上です。

女優以外にもラジオDJやエッセイなどを書いていて、多才な女性としても知られています。

名前:神津 はづき(こうづ はづき)
生年月日:1962年8月31日
出身地:東京都
職業:女優

杉本哲太と神津はづきの馴れ初めは?

杉本哲太と神津はづきの馴れ初めは「岩崎良美との食事会」。当時岩崎良美とドラマで共演した杉本哲太は彼女を食事へと誘い、その誘いに躊躇した彼女は友人だった神津はづきを誘い食事へと行きました。

2人はここで意気投合。その後は交際に発展して結婚に至ったのだそうです。

杉本哲太は過去に週刊誌によって浮気が報じられたことがありました。

このときは若い女性と一緒にレストランで食事し、その後はバーへと向かい、夜中3時頃まで一緒にいたのだそうです。

もちろん本当に浮気だったのかはわかりませんが、女性とデートしていたのは間違いなさそうです。

嫁の家族も有名人?父親は作曲家で母親は女優だった?

杉本哲太の嫁・神津はづきの両親もじつは有名人。彼女の父親は作曲家として活動していた神津善行。

母親は女優として活動していた中村メイコです。

結婚時には父親が杉本哲太を理解しようとわざわざ紅麗威甦時代のレコードを聴いていたこともあったのだそうです。

嫁の父親・神津善行のプロフィール

名前:神津 善行(こうづ よしゆき)
生年月日:1932年1月2日
出身地:東京都
職業:作曲家

嫁の母親・中村メイコのプロフィール

名前:神津 五月(こうづ さつき)
生年月日:1934年5月13日
出身地:東京都
職業:女優、歌手、タレント

嫁の姉は作家の神津カンナ

杉本哲太の嫁・神津はづきの姉は作家として活動している神津カンナ。

彼女はアメリカで演劇を学んだ作家で、当時は「サラ・ローレンス大学」や「コロンビア大学」に通っていたのだそうです。

現在は作家としてだけでなく、コメンテーターとしても活動していて、テレビ出演することも多いようです。

嫁の姉・神津カンナのプロフィール
名前:神津 十月(こうづ かんな)
生年月日:1958年10月23日
出身地:東京都
職業:作家、エッセイスト、コメンテーター

杉本哲太の嫁・神津はづきの弟は画家として活動している神津善之介。彼はスペインを拠点に活動している画家で、日本でも個展を開くなど、かなり人気が高いようです。

嫁の弟・神津善之介のプロフィール

名前:神津 善之介(こうづ よしのすけ)
生年月日:1972年生まれ、誕生日不明
出身地:東京都
職業:画家

杉本哲太の子供!息子は大麻で逮捕?娘はどんな人?自宅は豪華?

杉本哲太の子供は3人。彼には息子と娘がひとりずついるようで、現在は3人とも成人しているものと思われます。ちなみに3人目の子供が息子なのか娘なのかはわかっていません。

杉本哲太の生い立ち

杉本哲太の幼少期~小学時代

1965年7月21日に神奈川県茅ケ崎市にて誕生した杉本哲太さん。

そんな杉本さんは、書くこと食べることも全部が左手だそうで、右手が使えない左利きなんだとか。

2歳年上の兄とよくケンカしながら成長されましたが、悲しいことがあったようです。そのことは「杉本哲太の実家の家族」で触れています。

杉本哲太の中学時代

茅ヶ崎市立第一中学校に進学した杉本さんでしたが、体育先生が大変厳しく、大声で怒鳴られるのが当たり前だったそうな。

ですが、この時代から不良少年になってしまい、ヘアスタイルはリーゼントで、お酒やタバコを嗜むようになっていたようです。

杉本さんの中2の頃には初体験をすましたそうな。

酔っ払っていたためよく覚えていないそうですが、年上の女性だったとか。

万引きもこの時代に体験していて、太い学ランのズボンの下に試着してそのまま店を後にしていたそうです。

藤沢市の暴走族「藤沢道化師(ピエロ)」のメンバーにもなっていたみたいで、道路工事のアルバイトをして革ジャンを購入して、ご自身でペインティングをして着ていたことも。

茅ヶ崎市立第一中学校を卒業している有名人

サザンオールスターズの桑田佳祐氏・加山雄三氏・徳光正行氏だそうで、藤沢と茅ヶ崎は有名人を多数出している非常に珍しい地域なんだそうですよ。

杉本哲太の高校時代

神奈川県立藤沢工業高校に進学をした杉本さんでしたが、連日ナンパして遊びまくって高校を1年の1学期で中退したそうです。

同じように不良だった兄が急に真面目になり、その兄から説教をされ改心をした杉本さんは、不良から足を洗うことなったのでした。

杉本哲太の高校中退後

高校を中退した杉本哲太さんは、「あしたのジョー」に憧れてボクシングジムに入り汗を流していたようです。

ですが、3ヶ月で挫折・・・。

不良人生をおさらばした杉本さんでしたが、横浜駅西口のダイヤモンド地下街で不良5人に絡まれてケンカに発展。

その時、たまたま通りかかったロックンロールバンド横浜銀蝿のリーダー・嵐(らん)さんが「おまえら、何やってんだ!」と言って、ケンカを止めに入ってくれたんだとか。

ケンカ中だったことを忘れ「嵐さんですよね?」とお声がけをした杉本さん。

そして、横浜銀蝿の仲間を募集していることを知っていた杉本さんは「仲間に入れてください」と懇願したようです。

これがきっかけになり16歳で芸能界入りを果たしたのでした。

杉本哲太と中居正広

中居正広氏は、杉本哲太さんと同じ神奈川県出身で、若い頃は不良の青春時代を過ごしていたそうです。

その元不良の中居正広氏が言うには、地元では杉本さんは「怖い人」で有名で、中居正広氏の耳もその怖さが届いていたんだとか。

杉本さんと中居正広氏がある番組で共演した際に「本当に芸能界へ入って良かったですね。芸能界に入っていなかったら悪いことして捕まっていたかも?」と中居正広氏が心配するくらい「本当に怖い人」だったようです。

因みに、中居正広氏は藤沢市の江の島の近くでヤンチャな青春を過ごしていたみたい。

杉本哲太の芸能界入り後の活躍

杉本哲太の高校1年に当る16歳で俳優デビュー

「茜さんのお弁当」は、1981年10月21日 – 12月30日に放送されたテレビドラマで、この作品が杉本哲太さんの俳優デビューになったようです。

YouTubeで「茜さんのお弁当」を拝見すると、当時の杉本哲太さんは亀梨和也さんに似ているな~と思ってしまいました。

杉本哲太の高校2年(17歳)に相当する16歳で歌手デビュー

1982年にロックバンド紅麗威甦(グリース)に所属し、「ぶりっこROCK’N ROLL」で歌手デビューを果たしたようです。

紅麗威甦(グリース)は、横浜銀蝿の弟分「銀蝿一家」の一員としてデビューしたそうで、デビュー当時、横浜銀蝿の嵐さんの命令でジャニーズ事務所のアイドルにガンを飛ばしていたとのこと。

紅麗威甦(グリース)での杉本哲太さんは、ボーカル&ギター担当で一応ギターは弾けたましたが、本番中は杉本哲太さんのギターの音を切って別な人が弾いていたそうです。

杉本哲太が属した紅麗威甦(グリース)のメンバー

紅麗威甦(グリース)は、横浜銀蝿の弟分グループとして嶋大輔氏に次いでデビューしたロックバンド。

メンバー1:哲太(現・杉本哲太)- ボーカル・サイドギター

メンバー2:桃太郎 (ミュージシャン) – ドラム

メンバー3:Mitz(ミッツ/横浜銀蝿:TAKUの実弟) – ベース

メンバー4:Leer(リー/中学の同窓生は本木雅弘氏) – リードギター

メンバー5:名前不明の幻のメンバー -レコードデビュー前に解雇(1981年の映画『ぶっちぎり』に出演しているそうですが、遅刻や素行不良が酷かった為)

当時の杉本哲太の印象

横浜銀蝿のボーカル・翔さんが当時の杉本哲太さんの印象をインタビューで答えていました。

その当時の杉本さんは、背が高くて痩せててとんがってて、触れたヤツを切りそうな感じだったとか。

そして、杉本さんが音楽から俳優に転身する時は、事務所を離れて自力で浮上したそうです。

「茅ヶ崎のものすごい不良だったくせに頑張り屋だった」と感心していた翔さん。

参考元:ミドルエッジ・紅麗威甦Wikipedia・日刊サイゾー2018/09/14・ほか

杉本哲太の高校3年に相当する18歳で映画デビュー

杉本哲太さんがスクリーンデビューを果たした作品は「白蛇抄」。

映画「白蛇抄」は1983年11月12日から公開されたようです。

この映画の杉本さんは、リーゼントにしていた髪の毛をスペスペっとカットして丸刈り姿で、主演の小柳ルミ子さんと共演したのでした。

杉本哲太の若い頃

20代の前半の頃は、芸能関係の仕事がない時は、知り合いのペンキ屋でアルバイトをしていた杉本哲太さん。

ここでは杉本哲太さんの若い頃の一コマを以下で紹介いたしますね。

1992年に公開された映画「ひかりごけ」で五助 役で出演していた杉本さんでした。

この作品に出演するまでは、楽して儲けることばかりを考え、仕事をなめていたそうですが、共演した三國連太郎氏と田中邦衛氏の芝居への集中力にショックを受け、役に対して奥深さを知るきっかけになったようです。

この作品が杉本さんににとって転機になったとのこと。

杉本哲太の学歴

茅ヶ崎市立第一中学校


神奈川県立藤沢工業高校(偏差値41)

杉本哲太の最終学歴

高校を中退していることから、杉本さんの最終学歴は中卒

杉本哲太の実家の家族

杉本哲太の実家の家族構成

杉本家は、父親・母親・長男・次男の杉本さんの構成の4人家族でしたが、杉本哲太さんの小5の頃から3人家族になったようです。

そのことについては、以下でお伝えしています。

杉本哲太の実家の家族

杉本哲太の両親

杉本哲太さんのご両親は、杉本さんが小学5年の時に離婚されたとのこと。

離婚前の杉本家は、とてもとても裕福なご家庭で、幸せな幼少期を過ごしていたようです。

参考元:トーク番組「徹子の部屋 」2015年11月25日放送・windy・ほか

杉本哲太の父親

杉本哲太さんの父親は、レスリング部のコーチをしていて、とても厳しくスパルタだったとか。

それが、杉本さんが小5の時に両親は離婚し、その後の父親の行方は分からなくなっているそうで、ずっと会っていないし、連絡もナシのようです。

杉本哲太の母親

杉本哲太さんが小5の時に離婚され、大変ご苦労をされたとお察し出来る母親ですが、2008年に他界しているとのこと。

参考元:トーク番組「徹子の部屋 」2015年11月25日放送

杉本哲太の兄弟は兄が一人

杉本哲太さんの兄弟は、2歳上の兄がお一人いるとのこと。

兄の中学時代の頃から不良になり、その不良ぷっりが凄く、地元で恐れられていたそうです。

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