俳優の宇梶剛士さんは、1982年に一般女性と結婚していますがすぐに離婚し、また別の一般女性と再婚しています。
今回は、宇梶剛士さんの子供について紹介します。
宇梶剛士の子供について
1997年の大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下2」に出演し、一躍有名となった宇梶剛士さん。
社会現象となったドラマ「半沢直樹」ではとてもダークな役柄を演じ、見事に悪役になりきって高評価を得ていました。
そんな宇梶剛士さんは、20歳の時に最初の結婚をしています。
その際に長男をもうけますが22歳のときに離婚し、その後別の女性と再婚しています。
再婚後に長女をさずかっていますが、奥さんに関する情報はまったくといっていいほどありませんでした。
相手が一般人というのもあるので、プライバシーに配慮しているのでしょう。
しかし、なぜか宇梶剛士さんの奥さんが青森県八戸出身という情報があります。
こちらに関しては信ぴょう性に欠けますね。
宇梶剛士の子供は何人?
お子さんが2人いることが分かった宇梶剛士さん。
画像や名前などは公開されていないので、どんなお子さんかはわかりませんが・・・
きっと長男は宇梶剛士さんに似て男らしい方なのはないでしょうか。
宇梶剛士の子供の年齢
宇梶剛士さんの初婚は20歳の時で、息子さんは23歳になる前に誕生しています。
宇梶剛士さんが1962年生まれで、息子さんは1985年生まれだとすると現在33歳になる年でしょうか。
22歳の時に離婚しているので、息子さんが誕生してすぐに離婚してしまったのですね・・・
その後、現在の奥さんと再婚して娘さんが誕生しています。
誕生した時期が不明ですが、すでに成人している可能性が高いですね。
宇梶剛士の子供は結婚して孫もいる?
宇梶剛士さんの息子さんは、すでに結婚していてお子さんも誕生しているようです。
2018年8月5日に「会長就任記念トーク セッション」にゲストで出演した際、自ら報告していました。
MCから「良いことがあったらしいですね」と話をふられると、「私事で恐縮ですが孫が生まれました」と言っていました。
渡辺えりさんに「あ、最初の奥さんのね」と詳細を離されると、「そこまで詳しく言わなくても」と笑っていました。
ということは今でも息子さんと関わりがあるのですね!
宇梶剛士さん自身は出生時に体重が5000gもあり、都の健康優良児とされたそうなので、息子さんもお孫さんも体格がよさそうですね。
ちなみに宇梶剛士さんが元ヤンキーだというのはとても有名ですが、その原因は親との確執にあったそうです。
宇梶剛士さんの母親は宇梶静江さんというアイヌの詩人で古布絵作家をしている方で、アイヌの民族運動家でもあります。
静江さんは北海道でアイヌ民族ということで就職差別を受けながらも、29歳のときに宇梶剛士さんを出産しています。
そして翌年には東京アイヌウタリ協会を創立し、会長になったことで多忙を極め、家を空けることが多くなってしまいます。
それが原因で宇梶剛士さんはグレていってしまったみたいですね。
現在は、不良だったとは想像がつかないほどダンディで優しそうな雰囲気の宇梶剛士さん。
今後のご活躍も期待しています!
宇梶剛士はハーフ?
日本人離れした宇梶剛士さんの顔立ちから、ネット上では「ハーフ?」という声が聞かれています。
しかし、宇梶剛士さんはハーフではありません。
お母さんがアイヌとロシアのハーフ、お父さんが日本人とのことで、宇梶剛士さんはハーフではなくクオーターです。
宇梶剛士の実家
宇梶剛士さんは、東京都出身で、新宿区内にある病院で誕生しました。
出生時は体重が5,000gもあり、都の健康優良児の表彰を受けているそうですよ。
そこから3歳から5歳までは東京都小平市に、小学2年時までは広島県安芸郡府中町で育ち、その後東京都国立市に転居しました。
詳しい場所は公表されていませんが、実家は今も国立市内にあるのではないかと思われます。
宇梶剛士の父親の職業は?
宇梶剛士さんのお父さんは、宇梶順計さんといいます。
職業は建築業で、地方を転々として家に帰ってくるのは月に一度だったそうです。
一般人のため、顔写真や年齢は公表されていませんでした。
宇梶剛士の母親はどんな人?
宇梶剛士さんのお母さんは、宇梶静江さんといいます。
アイヌ民族で、アイヌの解放運動家として活動しています。
宇梶剛士さんが幼い頃から家にアイヌの着物が掛けてあったり、アイヌ文様の漆器があったりと、身のまわりにアイヌ文化があり、同級生たちと違うところは変だなと思っていたそうですよ。
お母さんが人権活動に没頭していったことから関係が悪くなった時期もあったようですが、現在は宇梶剛士さんも北海道白老町のアイヌ民族文化財団が運営する「ウポポイ」(民族共生象徴空間)PRアンバサダーに就任するなど、関係はそこまで悪くないのだと思われます。
宇梶剛士の兄弟や姉妹
宇梶剛士さんには、お姉さんがいます。
お姉さんは一般人ということで名前や職業などの情報がありませんでしたが、中学生で家を出た宇梶剛士さんを実家から大きな弁当箱を届けてくれるなど、支えてくれていたそうですよ。
宇梶剛士と菅原文太の関係
18歳で錦野旦さんの付き人をしていた宇梶剛士さんは、ある時菅原文太さんに出会い、菅原文太さんの付き人になりました。
宇梶剛士さんは菅原文太さんを「オヤジ」と呼んで慕っており、菅原文太さんも元暴走族の宇梶剛士さんに「どんなに自分に正当性があっても、暴れたら悪になる」と厳しく指導してくれていました。
菅原文太さんの「それでも、どうしても納得いかなかったら、暴れりゃいい。でも正当性があるなら、人の前でやれ。そしてこの世界(芸能界)から去れ」という言葉があったからこそ、宇梶剛士さんは若手時代に納得がいかないことがあっても耐えることが出来たのだそうです。
また宇梶剛士さんの中で忘れられないのが菅原文太さんの家へ掃除や買い物の手伝いに行った後のごちそうで、「何かうまいものでも食って帰れ」と言われ、弟子仲間と一緒に食べた、うな重が美味しかったため、宇梶剛士さんの鉱物になりました。
菅原文太さんは宇梶剛士さんをとても可愛がっていたようで、当時を知る兄弟子たちからは「おまえは甘やかされていたからなあ」と言われると明かしていました。
まとめ
宇梶剛士さんは菅原文太さんの付き人になったことで、厳しい芸能界で俳優という仕事を続けていくことが出来たのだと思います。
これからも宇梶剛士さんの演技でドラマや映画などの作品を盛り上げていってほしいですね。