木村拓哉さん主演のドラマ「HERO」から、日本を代表する名バイプレイヤーとして活躍し続けている小日向文世さん。
そんな小日向さんの嫁は、どんな人か知っていますか?
今回は小日向さんの嫁の経歴と、二人の馴れ初めについて、迫っていきたいと思います。
最後までお付き合い、よろしくお願いします。
目次
小日向文世さんの嫁の経歴
小日向文世さんと嫁の馴れ初め
まとめ
小日向文世さんの嫁の経歴
出典:Biz Life Style
小日向文世さんの奥様の経歴は、どのようなものなのでしょうか?
小日向さんの奥様は、11歳年下の元舞台女優で、現在は一般人です。
そのため、情報は公開されていませんので、顔画像もありません。
分かっていることは、小日向さんと同じ劇団「オンシアター自由劇場」に所属していた女優であることです。
下の写真は、2012年3月のもので、劇団「オンシアター自由劇場」同窓会の記念写真です。
もしかしたこの中に、小日向さんの奥様が居るかもしれません。
出典:二河白道
小日向文世さんと嫁の馴れ初め
出典:ORICON NEWS
小日向文世さんと奥様の馴れ初めは、どのようなものだったのでしょうか?
初めての出会いは、劇団「オンシアター自由劇場」で、奥様が研究生として入団した時です。
馴れ初めは、小日向さんが稽古終わりに、奥様を飲みに誘ったのがきっかけでした。
二人は、この飲み会の後すぐに小日向さんの家に行き、交際に発展していきます。
そして1993年、小日向さんが39歳、奥様が28歳の時に結婚します。
後に劇団は解散しまい、収入がなくなってしまった小日向夫妻は、二人の子供もいて生活は苦しかったようです。
写真は小日向さんが45歳の時です。
出典:婦人公論
解散間際の芝居を見に来てくれた、芸能事務所の社長の事務所に所属することになりますが、お金は相変わらずないので、給与の前借をしながら、何とか生活をしていました。
仕事がないので、よく公園に家族で遊びに行っていたそうです。
周囲のお母さんたちからは、”小日向さんのご主人って何をやっている人なのかなーと思われていたかもしれない”と、インタビューで話していました。
小日向さんも奥様も、ずっと劇団にいたので、お金がないことに慣れていて、公園に行くことで自分たちは結構貧しいということを認識したそうです。
奥様は普段通りに小日向さんに接していましたが、このような状況にイライラしている小日向さんは、奥様に向かって「言いたいことがあるならハッキリ口に出してくれ」と言います。
それに対して奥様は、小日向さんに同情し、小日向さんを抱きしめて、「かわいそうに」と言ったそうです。
優しくて、いい奥さまですね。
小日向さんは、木村拓哉さん主演のドラマ「HERO」に出演して、一気に人気俳優となり、苦しい生活から解放されました。
今でも、小日向さんは奥様のことを「なお」、奥様は小日向さんのことを「こひさん」と呼び合う仲なのだそうです。
また、出かける時にはいつも、奥様に”行ってきますのキス”をしているみたいです。
苦楽を共にしてきたからこその、仲良さなのでしょうか?
まとめ
今回は、小日向文世さんの奥様について、取り上げてみました。
まとめると、
小日向文世さんの奥様は、11歳年下で同じ劇団にいた女優だった。
小日向さんに仕事がない時代も、優しく一緒にいてくれる人だった。
今でも出かける時は、”行ってきますのキス”をするくらい仲がいい。
以上です。
小日向さんがドラマ「HERO」に出演しブレイクしたのは47歳の時です。
今では、舞台「国民の映画」で第19回読売演劇大賞 最優秀男優賞をとったり、映画「アウトレイジビヨンド」で第86回キネマ旬報ベスト・テン 助演男優賞を受賞したりと、なくてはならない存在になっています。
これからの小日向さん夫妻のご多幸をお祈りしながら、このページを終わりたいと思います。
最後まで付き合ってくれて、ありがとうございました。
小日向文世の学歴まとめ
出身専門学校:東京写真専門学校
出身高校:道立三笠高校
出身中学校:三笠市立三笠中学校
出身小学校:三笠市立三笠小学校
小日向文世の学歴~出身小学校(三笠市立三笠小学校)の詳細
出身小学校:北海道 三笠市立三笠小学校
小日向文世さんの出身小学校は、地元三笠市内の公立校・三笠市立三笠小学校です。
家族構成は両親と兄、姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。
実家は寺院です。
両親からは甘やかされて育っており、反抗期がない子供でした。
俳優になることを父親に伝えた際には「志村喬みたいな俳優を目指しなさい」と言われています。
子供の頃から絵を描くことが好きで、絵画教室に通っていました。
また小日向さんは小学生の頃に先生から落ち着きがないとよく言われていたようです。
小日向文世の学歴~出身中学校(三笠市立三笠中学校)の詳細
出身中学校:北海道 三笠市立三笠中学校 偏差値なし
小日向文世さんの出身中学校は、地元北海道三笠市内の公立校・三笠市立三笠中学校です。
中学時代は卓球部に在籍をしていました。
当時は毎日寝る前には俳句を書いていたそうです。
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小日向文世の学歴~出身高校(北海道立三笠高校)の詳細
出身高校:北海道 三笠高校 偏差値38(当時・かなり容易)
※現在は閉校
小日向文世さんの出身高校は、道立の共学校だった三笠高校です。
この高校は1945年開校の公立校で、2010年に閉校しています。
ただし校舎などはその後に開校した市立三笠高校に引き継がれています。
小日向さんは高校時代は美術部に在籍をしており、初めて出典した油絵の作品が道展に入選しています。
また高校1年生のときに好きな女子に振られてしまったショックから学校を早退したことがありました。
その時に帰る途中で足音が聞こえてきて振り返ったところ、小さな犬がついてきていたそうです。
小日向さんは心が通じ合っている気がしましたが、飼うことは許されませんでした。
しかしこの犬との出会いを忘れられないと語っています。
加えて高校時代には麻雀にハマっており、美術部で絵を描いているか麻雀に明け暮れる日々だったといいます。
そのため勉強に全く興味を持つことができず、主要5教科の評価はすべて2だったとのことです。
英語に関してはかなり苦手で200点満点で一桁の点数でした。
小日向さんは先生に美術大学に進みたいと相談したところ、「お前の成績で入れる大学はない!」とはっきり言われたことを明かしています。
小日向さんは高校3年生のときに初めて女子と交際をしていますが、映画館などでデートをして手も握らないような淡い関係でした。
【主な卒業生】
キートン山田(声優、ナレーター)
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小日向文世の学歴~出身大学(東京写真専門学校)の詳細
出身大学:専門学校 東京写真専門学校 偏差値なし
※現在は専門学校東京ビジュアルアーツ
小日向文世さんは高校卒業後は、東京・御茶ノ水のデザイン専門学校(校名は不明)に進学しています。
当初はグラフィックデザイナーを目指していました。
ところが最初の冬休みに姉と群馬県のスキーツアーに参加した際に複雑骨折をしており、その後は入退院を3回ほど繰り返しています。
小日向さんは合計8回の手術をして1年半を棒に振ったとのことです。
入退院を繰り返す生活は辛かったため、これだけ痛い思いをしたのだからこれからは好きなことをして生きていこうと決意します。
そして小日向さんは当時「流行通信」というファッション誌が人気でカメラマンが憧れの職業だったことから、女子にモテるという動機でカメラマンを志しています。
そのため最初の専門学校は中退して、東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)に入学し直しています。
しかしこの専門学校の卒業間近にカメラマンという職業に違和感を覚えて、最終的には俳優を目指すことにしました。
小日向1
(若い頃)
そのため文学座に入団しようとしますが失敗したことをインタビューで明らかにしています。
「俳優の登竜門といえば文学座で、中村雅俊さんや松田優作さんが大活躍されていました。その文学座の入団試験は散々でしたよ。一次選考で見事不合格。志望者は約6000名、30名に残れるはずもありませんでした」
しかし当時のアルバイトの先輩から文学座の看板俳優だった中村雅俊さんのコンサートスタッフの募集の話を聞いて応募して、いつの間にか中村さんの付き人になっています。
またその際に中村さんにきちっとした劇団に入団することを勧められたことから付き人を8か月間務めた後に、23歳だった1977年に、串田和美さんが主宰する劇団「オンライン自由劇場」に入団しています。
この劇団には1996年の解散時まで19年間在籍しており、看板女優の吉田日出子さんの相手役を務めたこともありました。
劇団解散後はテレビドラマに進出しますが端役が多く、借金生活も経験しています。
それでも47歳だった2001年に三谷幸喜さん演出の舞台に出演したことがきっかけとなり、木村拓哉さん主演の月9ドラマ「HERO」の主要キャストに大抜擢されました。
HERO
すると知名度も一気に上がり、演技力も高かったことから、以降は数々のテレビドラマや映画に起用される人気俳優になっています。
以上が小日向文世さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
所属劇団解散後はなかなか役柄に恵まれませんでしたが、テレビドラマ「HERO」に出演してブレイクしています。
その後の活躍は周知の通りで、名バイプレーヤ―として現在でも多数のドラマや映画で活躍しています。
まさに逆転ホームランといった俳優人生ですが、苦労を重ねた分息の長い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
22歳で俳優を目指し、中村雅俊の付き人などを経てオンシアター自由劇場に入団。
1979年の舞台「上海バンスキング」で俳優デビューし、以降も同劇団の看板女優の吉田日出子の相手役などを務める。
1988年に映画「上海バンスキング」でスクリーンデビュー。
1993年の「エホバの証人と輸血拒否事件」でドラマ初出演。
1996年に自由劇場が解散すると、テレビドラマに活動の場をシフトするが当初は端役ばかりだった。
2001年の連続ドラマ「HERO」のレギュラーに起用され知名度が上がる。
その後は「JIN仁」や「まれ」「重版出来!」などの話題作の連続ドラマに多く出演。
映画でも2004年の「銀のエンゼル」で初主演を果たし、「アウトレイジ」や「ソロモンの偽証」などの人気作に多数出演。
私生活では39歳の時に11歳年下の劇団員の女性と結婚し、2人の子どもがいる。