松平健(まつだいら けん 1953年11月28日生まれ)さんは、2004年の『マツケンサンバ2』の大ヒットで知られる俳優兼歌手です。
しかし、彼の魅力はその華やかな舞台だけに留まりません。
近年では、家族との絆を大切にする姿が注目されています。
【だれでもモバイル】
松平健:結婚と家族の歴史
松平健(まつだいら けん 1953年11月28日生まれ)さんは、これまでに3回の結婚を経験しており、2番目の妻である元アイドル歌手の松本友里さんとの間に息子さんがいます。
松平健:1990年大地真央とのビッグカップル!!
松平健:さんは1990年、37歳の時に元宝塚女優の大地真央(当時34歳)と結婚し、周囲を驚かせました。
二人のなれそめは1987年春、帝劇の『風と共に去りぬ』での共演がきっかけでした。
大地は「誠実であったかくて包容力のある方」と松平を称え、松平も「話をしててもホッとできる」とメロメロのコメントを発表。
また、松平は大地の手料理を「肉じゃがを食べさせてもらったけどおいしかった」と絶賛しました。
新婚旅行では、寝台特急トワイライトエクスプレスを借り切り札幌旅行を楽しんだ後、香港、ヨーロッパ、アメリカ、ハワイと世界一周の旅に出ました。
「一緒にいられることがうれしい」と語っていた二人ですが、次第に不仲説が流れるようになります。
性格の不一致が原因でした。結局、2003
年12月26日に離婚が成立し、松平さんは慰謝料代わりに豪邸の所有分を大地さんに譲り渡しました。
2004年年10月に『暴れん坊将軍』で共演していた松平さんの舞台を松本友里さんが観劇したことがきっかけで交際が始まりました。
その後、松平さんは2005年に15歳年下の女優、松本友里と再婚し長男を授かりましたが、松本さんは介護を続けていた母親の死をきっかけにうつ状態となり、2010年11月15日に亡くなり世間に衝撃を与えました。
一方、大地さんは2007年に12歳年下のインテリアデザイナー・森田恭通さんと再婚しています。
目次
松平健:2015年一般女性と3度目の結婚
2015年7月 松平健さんが再々婚を発表しました。
お相手は篠原涼子似の一般女性・A子さんです。
松平さんは、次のように語りました。
交際は2年前から始まり、子育て相談などを通じて愛が深まったとのことです。
松平さんは「彼女との関係は息子も喜んでくれた。息子の気持ちが大きかったです」と結婚を決めた理由を明かしました。
A子さんには娘と孫がいるそうですが、若々しくスレンダーな外見が印象的です。
松平健:イクメンとしての日々
松平健さんは、息子さんの幼稚園の送り迎えから、学校行事への参加、さらにはお弁当作りまで、多忙なスケジュールの中でも父親としての役割を全うしてきました。
4年間の料理番組(『マツケン・今ちゃん・オセロのGO!GO!サタ』フジテレビ 2005-2009)のホストとしての経験を活かし、煮物や揚げ物、焼き物といった基本的な料理は手際よく作れます。
息子がまだ小さかった時期には、彼のお弁当を作ることもありました。
これらのエピソードは、多くの人々に感動を与えています。
松平健:現在の家庭生活
現在、松平健さんは3人目の妻と息子さんと共に暮らしています。
新しい家庭では、息子さんも新しい母親に慣れ親しんでおり、松平さんは家庭生活に安心を見出しているようです。
息子さんもこの2024年春で高校3年生になります。
松平さんは『最近は息子の学校に行く機会も少なくなりましたが、入学式・卒業式をはじめ、学校行事には参加するようにしています。
彼は将来の道をまだ決めていません。
親としては、得意なことを伸ばしてほしいと思っています。
絵を描いたりものを作ったりするのが好きなようで、私も絵が好きなので似ているのかもしれません。
息子とは友達のような関係で、話しかければ答えてくれます。
子育ては今の妻が厳しくしてくれるので、私は柔らかく接しています。
反抗期も特にありません。』と語っています。
松平健さんの家族に対する深い愛情は、彼の公のイメージとはまた異なる一面を私たちに見せてくれます。
彼の家族への献身的な姿勢は、多くの人々にとっての模範となっています。
松平健の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:愛知県立豊橋工業高校(中退)
出身中学校:豊橋市立青陵中学校
出身小学校:豊橋市立旭小学校
松平健の学歴~出身小学校(豊橋市立旭小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 豊橋市立旭小学校
松平健さんの出身小学校は、地元豊橋市内の公立校・豊橋市立旭小学校です。
家族構成は両親と7人きょうだいの9人家族です。
松平さんは末っ子です。
母親が42歳の時に生まれており、長女とは20歳差です。
また父親は軍人で大工の棟梁だったため、父親の仕事を手伝ったこともあったそうです。
松平さんは父親からは厳しく育てられており、母親は岐阜県の山奥の出身で辛抱強く、朝ドラの「おしん」のような人だったとのことです。
父親はよくお酒を飲んでおり、気に入った仕事しかおこなわなかったため、母親が内職や近所の工場などで働いて家計を支えていました。
そのため貧しい家庭で育っています。
松平さんは子供の頃はサッカーや水泳が好きなスポーツ少年でした。
また小学校時代には周囲を笑わせることが好きな子供でした。
松平健の学歴~出身中学校(豊橋市立青陵中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 豊橋市立青陵中学校 偏差値なし
松平健さんの出身中学校は、地元愛知県豊橋市内の公立校・豊橋市立青陵中学校です。
中学時代はサッカー部に在籍をしており、ポジションはゴールキーパーでした。
また当初は水泳部にも在籍をしていました。
松平さんは学生時代の思い出についてインタビューで次のように話しています。
「部活ですかね。やっぱり運動が好きだったものですから。勉強より部活に励んでいたなという思い出があります。部活は水泳をやっていて、サッカーのほうに引っ張られました。」
松平さんは当時を振り返って、もっと一生懸命、練習すれば良かったとコメントを残しています。
加えて、中学時代にはバンド活動もおこなっており、ドラムを担当していました。
この頃はテケテケとエレキギターをかき鳴らすベンチャーズやグループサウンズが大流行していたとのことです。
【主な卒業生】
山本左近(F1ドライバー)
松平健の学歴~出身高校(県立豊橋工業高校)の詳細
出身高校:愛知県 豊橋工業高校(中退) 偏差値45(容易)
※現在は豊橋工科高校
松平健さんが入学したのは、県立の共学校の豊橋工業高校です。
この高校は1944年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。
また同校は2021年に豊橋工科高校に校名が変更されています。
松平さんは高校1年生の時に父親が亡くなったこともあり、早々にこの高校を中退しています。
そのため大学などにも進学していません。
【主な卒業生】
金田哲(お笑い・はんにゃ)
朝倉海(総合格闘家)
高校中退後は「お寿司が好き」という理由ですし職人として住み込みで働いていました。
松平さんは働きづめだった母親を少しでも助けたいという思いで、休みの日に実家に帰って覚えたての太巻き寿司を母親に作っていました。
当時の松平さんができる精一杯の親孝行だったといいます。
また豊橋に日活の映画館があり、大工だった父親が映画館の社長の自宅を建てた縁もあり、映画の無料券をもらってよく観ていました。
当時の日活は石原裕次郎さんや小林旭さん、渡哲也さんが活躍しており、松平さんは渡さんのファンでしたが、兄の影響で石原さんの「太平洋ひとりぼっち」という作品を観て心を動かされたといいます。
そしてこの映画を観て男は一人で冒険をするものだと考え、決意をして寿司屋を辞めて上京をし、17歳の時に弟子にしてもらおうと思って石原裕次郎さんの自宅を調べています。
松平さんは何としてでも石原プロに入りたかったことから、何日も自宅の前で待ち続けた末に「役者になりたい」と言ったそうです。
石原さんからは会社に電話をするように言われたため、電話をしたものの役者の募集がなかったので、新聞で見つけた俳優の養成所に入所をすることになりました。
当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「スタッフの方に、いまは募集していないとあっさり断られてしまったんです。本当に悔しかった」
それでも養成所を経て芸能事務所に所属しています。
そして19歳だった1972年に、俳優としてデビューしています。
当初は主に現代劇のテレビドラマや映画に出演していました。
また勝新太郎さんの付き人をしながら演技を磨いて、様々な作品に出演します。
25歳だった1978年にテレビドラマ「暴れん坊将軍」に起用されて、時代劇のスターとしてブレイクしています。
1980年にはテレビドラマ「走れ!熱血刑事」の主演に起用されています。
1990年に人気女優の大地真央さんと結婚した際には大きな話題になっています(2004年に離婚)。
2004年にリリースした「マツケンサンバⅡ」がヒットして、NHK紅白歌合戦にも出演しています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が松平健さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
「暴れん坊将軍」でブレイク後は、数々の作品に出演しています。
またタレントや歌手としても活動しており、現在でも第一線で活躍しています。
未だに高い人気を誇っており、末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1970年に芸能事務所入りし、1972年のテレビドラマ「マドモアゼル通り」で俳優デビュー。
1976年の「風立ちぬ」で映画初出演。
同年の「人間の條件」でテレビドラマ初主演。
1978年に「暴れん坊将軍」の主演に抜擢されてブレイク。
1980年に刑事ドラマ「走れ!熱血刑事」で主演。
以降も多くのテレビドラマに出演しており、代表作は「峠の群像」や「利家とまつ」、「義経」など。
2004年にリリースした「マツケンサンバⅡ」がヒットして、NHK紅白歌合戦にも出場。
私生活では1990年に女優の大地真央と結婚したが、2004年に離婚。
2005年に14歳年下のタレント松本友里と結婚し長男も誕生したが、2010年に死別。
2015年に一般人女性と再再婚した。