絶賛放送中の朝ドラ『虎に翼』。
第8週の放送では、猪爪家の書生だった優三の長年の想いが報われ、ついに寅子と結ばれましたね。
いつも寅子に寄り添い、寅子の心の拠りどころとなった優三ですが、モデルになった人物はいたのでしょうか?
目次
そこで今回は、寅子の夫・優三のモデルは誰なのか調査!
さらに、再婚相手役は岡田将生さんと松山ケンイチさんのどちらなのかについても調べてみました。
仲野太賀さんが演じる寅子の夫・佐田優三のモデルになったのは、和田芳夫(わだよしお)さんです。
寅子のモデルとなった三淵嘉子さんの両親は香川県丸亀市の出身。
嘉子さんの実家では丸亀から上京してきた学生を書生として受け入れており、その中の1人が和田芳夫さんでした。
和田さんは、嘉子さんの父・武藤貞雄さんの親友の親戚だったそうです。
働きながら明治大学夜間部で学ぶ努力家で、卒業後は貞雄さんの関係する紡績会社に就職しました。
就職して武藤家を離れてもときどきは遊びに来ていたようですが、この頃はまだ嘉子さんと付き合っていませんでした。
結婚のいきさつ
そんな和田さんと嘉子さんが結婚したのは1941年、嘉子さんが28歳のときでした。
ドラマでは優三さんが寅子さんの結婚相手に立候補しましたが、現実では、嘉子先生の方から和田さんを“ご指名”されたそうです。なかなか結婚しない嘉子先生に、お父様が「気になる人はいるか?」と聞いたところ、和田さんの名前が上がったそうで。
ドラマとは逆で、嘉子さんから和田さんにアプローチをしたんですね。
嘉子さんの気持ちを聞いた貞雄さんは、和田さんのところに出向き「娘があなたのことを気に入っている。どうだ」と頼んだそう。
こうして2人の交際が始まり、結婚に至りました。
2人の結婚生活
1943年に長男の芳武さんが誕生し幸せな生活を送っていた2人ですが、時は第2次世界大戦の真っ只中。
1度召集令状が届くも病気が理由で召集解除となっていた和田さんに、1945年再び召集令状が届きます。
そして中国に出征することになりました。
しかし、病弱だった和田さんは戦地で病気が再発。
上海の病院で終戦を迎え、1946年、他の病人とともに船で長崎に帰国します。
船上で他の病人を介抱できるほど回復していたようですが、帰国後病状が悪化し、長崎の陸軍病院で亡くなってしまいます。
嘉子さんに和田さん危篤の知らせが届いたのは亡くなってからで、嘉子さんと芳武さんは和田さんの死に目に会えませんでした。
こうして嘉子さんは、戦後の激動の時代をシングルマザーとして生きていくことになったのです。
ドラマでも、第40回の放送でついに優三にも赤紙が届きましたね…
出征のシーンは、涙なしには観れませんでした。
史実の通りにドラマが進むとしたら、優三は亡くなってしまいます。
「優三さんロス」に陥る人が続出するのは間違いありませんね。
和田さんの人柄
嘉子さんの実弟・武藤泰夫さんは、和田さんの人柄について次のように語っています。
芳夫さんは、それはそれはいい人でしたよ。まじめでおとなしくて、でも言うことはしっかり言いました。姉が尻に敷くような関係ではなく、仲のよい夫婦でした
寅子と優三も、どちらかが上という関係ではなく、お互いを思いやる仲のよい夫婦として描かれていますよね。
書生という設定だけでなく、優三の性格も、和田さんからインスピレーションを受けているのかもしれません。
朝ドラ虎に翼の再婚相手役は岡田将生か松山ケンイチ?
シングルマザーになった嘉子さんは、和田さんの死去から10年後の1956年、41歳の時に裁判官の三淵乾太郎さんと再婚しました。
一部では、松山ケンイチさん演じる裁判官・桂場等一郎が寅子の再婚相手になるのでは?と言われています。
しかし、どうやら再婚相手は岡田将生さんが演じる星航一が有力なようです。
『松山ケンイチの住まいは?』東京目黒区?北海道森町は別荘か?
ネットでは、松山ケンイチさんの現在の住まいが北海道にある森町だと言われています。
函館に近く、寒い北海道のなかでも比較的暖かな場所にあります。森町に住んでいる人が、松山ケンイチさんと奥さんの小雪さんを見たという証言まであります。
松山ケンイチさんは、東京から北海道に移住したのかと思いますよね。
実は、自宅ではなく別荘があるんです。
自宅は、東京都の目黒区にあると言われています。
結婚当初は小雪さんの実家で暮らしていましたが、長男が誕生したことをきっかけに、目黒区のタワーマンションに引っ越したという情報が有力です。
日頃は都内で、休日には北海道でゆったりと暮らす。松山ケンイチさんは、理想的な生活を実現させています。
松山ケンイチは農業にハマってる?トマトを育ててトマトジュースに!?
2018年から北海道森町で暮らす松山ケンイチさん。一軒家を購入し、そこで農業をしているそうです。
農業にハマるきっかけは、日頃から食べている野菜がどのように作られているのか、また農家の人がどのような気持ちで野菜を作っているのかに興味を持ったからです。
松山ケンイチさんは、近隣の農家に教えてもらいながら、野菜作りに励んでいるそうです。
2021年に放送されたバラエティ番組「ウチのガヤがすみません!」のなかでは、育てたトマトでジュースを作り、撮影中の現場に160本差し入れしたというエピソードを披露しました。
撮影で疲れているスタッフを見かけた松山ケンイチさんは、自分で作ったトマトジュースを差し入れたいと思ったそうです。
松山ケンイチさんというと、どちらかというと口数が少ないイメージを持っている人も多いと思いますが、その印象はかなり変わるのではないでしょうか。
大好きな農業について熱く語る松山ケンイチさんは、とても饒舌で、まるで少年のようです。
松山ケンイチの実家は?青森県むつ市?JR大湊線下北駅の近く?
松山ケンイチさんといえば、映画やドラマでは標準語ですが、バラエティなどでは青森弁です。
その理由は、松山ケンイチさんは青森出身で、実家はむつ市にあるからです。
むつ市は、海に面しているため漁業が盛んなところで、大自然に囲まれて松山ケンイチさんは育ちました。
2012年に発売された週刊誌に、帰省した松山ケンイチさんと小雪さん夫婦の姿が激写されていますが、その時に立ち寄ったのがJR大湊線下北駅の近くにある食堂です。
【松山ケンイチの家族は5人?両親はどんな人?】父は創価学会幹部?母は才能を見抜きホリプロすすめた?
1985年3月5日に青森県むつ市に誕生した松山ケンイチさん。
家族構成は、両親と松山ケンイチさん、そして弟と妹の5人家族です。
父親は、地元で創価学会の幹部をしていて、熱心な信者だったそうです。
松山ケンイチさんも幼い頃には、創価学会が販売する聖教新聞の集金の手伝いをしていたそうです。
そして、松山ケンイチさんは元々俳優志望ではありませんでした。そこには、母親の勧めが関係しています。
高校に入り、次第に遊びに夢中になっていく息子を心配した母親が、ホリプロのオーディションを受けるように言ったそうです。
才能があると感じたところがあったのでしょうか。
当時を振り返った松山ケンイチさんは、自分1人で何かやるということを教えてくれたのだと語っています。
母親と小雪さんの関係も良好で、2012年に発売された週刊誌では、初孫を見せに来てくれた身重の小雪さんに「ありがたい」とコメントしています。
まとめ
これまで、多くの作品で個性的なキャラクターを演じ分けてきた松山ケンイチさん。
1年の半分を北海道の大自然の中で暮らし、小雪さんや3人のお子さんとのんびりとした時間を過ごしていることから、家族仲も非常にいいことがわかります。
そして、近隣の農家の人の協力を得ながら、試行錯誤をしてトマトなどを栽培し、時にはスタッフや共演者にもその美味しさを提供していることからも、松山ケンイチさんの人柄がわかります。
また、松山ケンイチさんの穏やかな性格や、素朴なしゃべり方は、幼い頃から育った青森県むつ市に大きく影響されてのことではないでしょうか。
松山ケンイチさんのデビューには、息子の眠れる才能を信じた母親の力が大きく影響しています。
もし、母親が勧めてくれなかったら、松山ケンイチさんの演技を見ることはなかったでしょう。
これからも、松山ケンイチさんはあらゆる作品で活躍することでしょう。
そして、その活躍を支えるのは雄大な北海道の自然と、大切な家族の存在なのではないでしょうか。
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