三谷幸喜の今嫁・yuma (元俳優)との年齢差と子供。前妻・小林聡美との離婚理由

天才脚本家として多くの名作を世に送り出した三谷幸喜さん。

私生活では女優の小林聡美さんと結婚し、家族を題材にした作品で注目を集めていました。

2011年に小林聡美さんと離婚すると、2013年に19歳年下の女性と再婚しました。

三谷幸喜さんの再婚相手の女性が、実は一般人ではなく元女優であるとが発覚しています。

今日は、三谷幸喜さんの現在の嫁さんの女優時代と、元嫁の小林聡美さんとの離婚理由について書いてみたいと思います。

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三谷幸喜は2013年に現在の嫁・yumaと再婚。年齢差19歳!子供が産まれて良き父親
三谷幸喜さんは2011年に女優・小林聡美さんと離婚すると、その2年後の2013年7月に元女優の女性と再婚しました。

 

再婚相手の元俳優・yumaさんは三谷幸喜さんよりも19歳も年下で、当時は19歳の年齢差がメディアで話題になりました。

奥さんになる人は、今年で33歳になる、丸顔の一般女性です。お付き合いを始めたのは昨年から。今年の2月に僕が長年連れ添った愛犬を亡くし、元気がなかった時に、そばて励ましてくれたのが彼女でした。その頃から結婚を意識するようになりました。今のところ、挙式の予定はありませんが、涼しくなった頃に、ごくごく身近な人たちと、ささやかにやりたいと思っています。

三谷幸喜さんとyumaさんの馴れ初めは、yumaさんが女優を引退した後だとされてます。

 

嫁・yumaさんは俳優を引退した後に早稲田大学に進学し、卒業後に映画製作会社に就職。

仕事の関係で三谷幸喜さんの「マジックアワー」の制作に携わり、そこで2人は知り合いました。

そして、2012年に交際に発展し、2013年に三谷幸喜さんが子供のように可愛がっていた愛犬が亡くなった際に支えてもらい結婚を決断したという流れです。

2014年に第一子の長男が誕生。打ち上げよりも妻子を優先する子煩悩の良きパパに
2013年に19歳年下のyumaさんと2度目の結婚をした三谷幸喜さん。

再婚した翌年の2014年にはyumaさんとの間に第一子の息子が誕生しています。

三谷幸喜氏(52)に、3058グラムの第1子男児が誕生したことが24日、わかった。所属事務所が公式サイトで発表した。誕生したのは6月初旬で、母子ともに健康という。

前妻の小林聡美さんとの間には子供はいなかったので、三谷幸喜さんにとっては初めての子供です。

子供が生まれてからの三谷幸喜さんは、打ち上げをサボって妻子とお出掛けをしたり、すっかりと良いお父さんになっています。

 

打ち上げ直前、本誌は三谷の知られざる素顔を目撃していた。10月下旬の昼下がり。ぼさぼさ頭の三谷が、ショートヘアーの美人と腕を組み、ベビーカーを押しながら歩いていた。女性は13年に結婚した19歳年下の妻。ベビーカーに乗っていたのは、三谷にそっくりな2歳の長男だ。3人は、そのままカフェ・レストランへ。三谷はとてもケガをしているようには見えない足取りだった。

三谷夫妻は昼間から白ワインで乾杯。ほろ酔いになった彼はAさんが食べかけのサンドイッチを差し出すと、嬉しそうにかぶりつく。終始デレデレ状態だった。普段おしゃべりで知られる三谷が、Aさんのマシンガントークに黙って相槌を打つ意外な場面も。

奥さんとの関係も良さげで、とても仲の良い家族という印象です。

結婚当初は19歳の年齢差からすぐに離婚するのではないか?との憶測がありましたが、現在の時点で不仲や不倫などの悪い噂は1つもありません。

三谷幸喜の妻・yumaの俳優時代。若い頃に辻仁成と不倫?本名・中山佳織で早稲田大学卒業
2013年に三谷幸喜さんが結婚した際、相手の女性は一般人の女性だと報道されました。

しかし、その後に嫁さんが元女優だったと週刊誌に伝えられ、元女優のyumaさんが特定されたのです。

 

芸名 yuma
本名 中山佳織(なかやまかおり)
生年月日 1980年10月4日
出身地 静岡県。(カナダに移住歴あり)
血液型 B型
身長 164センチ
職業 女優。歌手。
趣味 声楽(イタリア歌曲等)、水泳、フルート、クラシック鑑賞、読書。
子供の頃に海外での生活を経験されており、たくさんの習い事をしていたということで、実家はかなり裕福だと思われます。

女優の道を辞めた後に早稲田大学に入学されているので、元々知性のある女性だということもわかります。

 

身長も高くて美形で、とてもハイスペックな美女です。

ただ、三谷幸喜さんと結婚した後、週刊誌にyumaさんが女優時代にお世話になった監督と不倫関係あったことを書かれていました。

yumaは女優時代に辻仁成監督で交際していた?魔性の女疑惑。若い頃の写真
yumaさんは1999年に辻仁成が初監督した映画「千年旅人」で女優デビューしたという経歴。

 

その後も、yumaさんは辻仁成さんプロデュースの元で歌手としてアルバムをリリースしています。

当時、辻仁成監督に気に入られていたことがわかります。

週刊誌に不倫関係であったことを書かれていますが、当時の仕事の状況を見れば疑われるのも無理もありません。

 

週刊誌ではyumaさんは19歳の頃に不倫していたそうで、辻さんが当時の嫁・南さんと離婚した理由にyumaさんとの不倫関係があったとされています。

南と辻は1995~2000年に婚姻関係にあったわけですが、離婚のキッカケは、99年に辻が監督を務めた映画『千年旅人』でヒロインとして抜擢したyumaとの不倫疑惑でした。ちなみに彼女は現在、芸能界を退いており、劇作家の三谷幸喜と再婚しています

不倫関係がいつまで続いたのか、その詳細までは週刊誌に書かれていませんでした。

女優を引退した後に、早稲田大学に進学し卒業後に映画制作会社に入社、そして仕事で三谷幸喜さんのマジックアワーに携わり出会ったという流れです。

ネット上では19歳にして辻仁成監督に気に入られ、大人になった後に三谷幸喜さんに愛され、本格的な”魔性の女”だという意見が多く見られます。

前妻・小林聡美と三谷幸喜の離婚理由は愛猫の死去と価値観の違い?
三谷幸喜さんといえば、yumaさんと再婚するまでは女優・小林聡美さんと”おしどり夫婦”でした。

二人して特独な世界観を構築し、日々メディアで注目を集めていました。

結婚発表の記者会見でも、「腕を組んでください」と言われ、二人して腕組みをしたりして笑いを誘っていました。

 

結婚当初は「友達が寄りつかないような家庭にしたい」と発言しており、その後の結婚生活では文字通りに夫婦でコアな世界観を築きました。

二人とも動物が好きで、子供がいない代わりに猫を我が子のように可愛がっていました。

しかし、2011年に突然に離婚を発表して世間を驚かせました。

愛猫の死去と二人の価値観のすれ違いが離婚の原因
小林聡美さんと結婚してる頃の三谷幸喜さんは、コラムや作品を通じて夫婦生活にぶっ込みを入れるなど、かつてないエンターテイメントを提供していました。

しかし、ある時期から嫁さんをイジることを控えるようになり、次第に夫婦仲の危機が見えるようになりました。

そして、2011年に”価値観の小さな違いの積み重ね”が大きくなったとして離婚を発表したのです。

脚本家の三谷幸喜氏(49)と女優小林聡美(45)が23日、離婚したことをFAXで発表した。「価値観の小さな違いが積み重なり、だんだん大きくなってしまった」としている。

FAXで離婚を発表した後に、朝日新聞での連載「三谷幸喜のありふれた生活」で、自分の離婚について触れていました。

 

家庭を題材にした作品を、実は嫁さんはずっと嫌がっていたそうです。

ある時、なるべく私のことは書かないで欲しいと言われました》といい、《彼女が登場する回数は激減しました》としている。ただ、それが離婚原因ではなく、《きっかけにもならない些細なことです》とも。そして、《今の夢は彼女の舞台を作ること》で、女優としての尊敬は変わらないが、《彼女は家を出ていきました》。

ある時期に嫁さんが家を出て、夫婦生活は破綻してしまったそうです。

また、ずっと夫婦で我が子のように可愛がっていた猫が亡くなってしまったことも、離婚の理由となったそうです。

 

これまでに夫婦の絆を温める存在だった猫がいなくなってしまったことも、夫婦間の雰囲気が悪くなった理由の1つだったそうです。

単純に”ペットロスではないか?”という意見も多くありましたが、それだけが理由というわけではないようです。

元々、動物が好きで意気投合してた二人だけに、家族が題材の作品で仲違いして以降、愛猫の死去が何かの暗示のようになってしまったのかもしれませんね。
三谷幸喜の学歴
三谷幸喜さんが通っていた学校について調べてみました。

 

三谷幸喜の出身小学校
三谷幸喜さんは、世田谷区立給田小学校出身です。

小学生の頃はチャールズ・チャップリンさんが大好きだったという三谷幸喜さんは、会える保証もなく学校を休んでお母さんとスイスの自宅に行ったこともあるそうです。

残念ながらチャールズ・チャップリンさん本人には会えなかったものの、秘書の方に自身が描いた絵を渡してほしいと頼んだところ数か月後にその絵が送り返され、そこにはチャールズ・チャップリンさんのサインがありました。

 

三谷幸喜の出身中学
小学校卒業後は、世田谷区立烏山中学校に進学しました。

中学時代は、お笑いコンビ「とんねるず」の木梨憲武さんと同じサッカークラブに所属していました。

木梨憲武さんは2軍に所属、三谷幸喜さんは11軍だったものの最終的には13軍に降格したそうです。

 

三谷幸喜の出身高校
中学校卒業後は、世田谷学園高等学校に進学しました。

現在の偏差値は、67です。

高校時代は部活に入らず、帰宅部でした。

 

三谷幸喜の出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。

三谷幸喜さんは演劇学科に在籍、偏差値は50です。

大学在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成、初期は「一橋壮太朗」の芸名で役者も務めていました。

三谷幸喜のプロフィールや経歴

名前:三谷幸喜
生年月日:1961年7月8日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:174cm

1983年に劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成した三谷幸喜さんは、劇団と並行して放送作家としても活動、『アイ・アイゲーム』、『欽ドン!』、『お笑いマンガ道場』などの番組構成に携わりました。

1989年にはドラマ『やっぱり猫が好き』の脚本を多くの回で担当、さらに『子供、ほしいね』も担当したことからドラマの世界でも名が広まり、『振り返れば奴がいる』や『古畑任三郎』などで話題を集めました。

1997年に『ラヂオの時間』で映画監督デビューを果たすと、第71回キネマ旬報ベストテン 脚本賞、第21回日本アカデミー賞 最優秀脚本賞、第52回毎日映画コンクール 脚本賞を受賞しています。

2000年に上演した初のオリジナル・ミュージカル『オケピ!』では岸田國士戯曲賞を受賞、2004年には長年の夢だったNHK大河ドラマ『新選組!』の脚本を担当しました。

2022年からは、『情報7daysニュースキャスター』の総合司会を務めています。

三谷幸喜の所属事務所
三谷幸喜さんの所属事務所は「シス・カンパニー」です。

この事務所は多くの実力派俳優が所属しており、三谷さんのほか、堤真一さんや野村萬斎さん、高橋克実さんなどが名を連ねています。

シス・カンパニーは、主に舞台や映画、テレビドラマなど多方面で活躍するアーティストをサポートしており、三谷さんもその一員として、劇作家や脚本家、演出家、映画監督として幅広い活動を続けています。

芸術的なプロジェクトのマネジメントに強みを持つ事務所で、東京都渋谷区に拠点を置いています。

三谷幸喜の年収
三谷幸喜さんの年収は公表されていません。

脚本家や映画監督として活躍し、レギュラー番組も持っていることから年収は億以上になると思われます。

三谷幸喜の実家
三谷幸喜さんは、東京都世田谷区出身です。

詳しい場所は公表されていないためわかりません。

実家は裕福で、三谷幸喜さんが幼い頃は母と祖父母、おじとおばの7人で生活していました。

三谷幸喜の生い立ち
1961年7月8日に誕生した三谷幸喜さんは、お父さんが好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)さんにちなんで「幸喜(こうき)」と名付けられました。

子供の頃からテレビ狂であり、「三度の飯よりテレビが大好き」という程だったそうです。

また大人たちの言葉が飛び交う家庭環境で育ったため、近所のおばさんに会えば「奥さん、よくお会いしますね」と大人びたあいさつし、もらったお年玉の大部分をミステリー小説につぎ込むような少年でした。

三谷幸喜の父親
三谷幸喜さんのお父さんは一般人です。

九州出身で、福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家でした。

普段はお父さんの単身赴任という形だったようですが、三谷幸喜さん自身も一時期、福岡市に居住していたことがあります。

お父さんは三谷幸喜さんが10歳の時に亡くなっていることもあり、お父さんのエピソードはほとんど語られていません。

三谷幸喜の母親
三谷幸喜さんのお母さんは、三谷直江さんと言います。

九州出身で、三谷幸喜さん曰く「僕の作った物を全部見ている唯一の地球人」だそうです。

早くに夫を亡くしたお母さんは、三谷幸喜さんに対してはネガティブなことを言わないなど、女手一つで三谷幸喜さんを育てました。

三谷幸喜の兄弟や姉妹
三谷幸喜さんは、一人っ子です。

そのため兄弟はいません。

まとめ
子供の頃からテレビっ子だった三谷幸喜さんは、これまでに多くのドラマや映画作品を作り出し、老若男女問わず支持されています。

これからも三谷幸喜さんにしか作れない作品で、視聴者を楽しませてほしいと思います。

 

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