西田尚美さんの旦那との結婚の馴れ初めについて、気になる方も多いのではないでしょうか。
彼女が女優としてだけでなく、一人の女性としてどのように愛を育み、結婚に至ったのか、そのエピソードをご紹介します。
西田尚美(にしだ なおみ 1970年2月16日生)さんは、広島県出身の女優で、数々の映画やドラマに出演しています。
彼女の演技力は多くの人々から高く評価されており、特に1997年初主演映画『ひみつの花園』鈴木咲子役で『第17回 ハワイ国際映画祭』主演女優賞を受賞しています。
目次
西田尚美:旦那・竹ヶ原敏之介との結婚
西田尚美さんは、2005年7月4日にシューズデザイナーの竹ヶ原敏之介(たけがはら としのすけ 生年月日非公表)さんと結婚。
結婚の発表は公式サイトで行われ、7月7日に入籍しています。
竹ヶ原敏之介さんは、世界的に評価されるシューズデザイナーであり、彼のデザインする靴は多くのファッション愛好者から支持されています。
西田尚美:旦那との馴れ初め
西田尚美さんと竹ヶ原敏之介さんの馴れ初めについては、詳細は明らかにされていませんが、共通の友人を通じて知り合ったとされています。
西田さんは広島から上京後、服飾やデザインの専門学校である「文化服装学院」で学びつつモデル活動をしていた経験があり、靴やファッションという共通点で心の距離を縮めた可能性が高いです。
西田尚美:旦那と子供との結婚生活
2005年に結婚した西田尚美さんは、最初は喧嘩が多かったそうです。
生活の不慣れからぶつかることもありましたが、友達の「イラッとしても一度飲み込む」というアドバイスで状況が改善。
今では、譲り合う関係が大切だと感じているそうです。
他人と一緒に暮らすことの意味を結婚して初めて理解したと述べています。
(西田さん)「結婚して初めて、もしかしたら私の両親もこうやって譲り合っていたのかなと思えるようになりました。他人と一緒に暮らすって、きっとそういうことなんだなぁ、と感じました。」と語ります。
西田尚美さんは、2008年に第一子の娘を出産し、女優業と母親業を両立しています。
今では、西田さんは娘との旅行も楽しみ、将来は一緒にお酒を飲む日を心待ちにしています。
また、ひとりの時間を大切にし、車で出かけたり、喫茶店で読書したりしてリフレッシュしています。
経歴/プロフィールの詳細
当初はファッションモデルとして活動し、「an-an」や「non-no」などの誌面を飾る。
1993年にドラマ「オレたちのオーレ!」で女優デビューし、以降は女優に転身。
1994年の短編映画「ワンピース」で映画初出演。
1997年に映画「学校の怪談」などの演技で、日本アカデミー賞新人賞を受賞。
以降も数多くの作品に出演しており、テレビドラマの代表作は「魔女の条件」、「さよなら、小津先生」、「白い巨塔」など。
「ひみつの花園」や「ナビィの恋」、「図書館戦争シリーズ」などの映画にも出演している。
私生活では2005年に靴デザイナーと結婚し、2008年に長女を出産している。
西田尚美の学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:広島県 福山高校 偏差値54(普通)
西田尚美さんの出身高校は、市立の共学校の福山高校です。
同校は1899年設立の伝統校で、もともと私立高校でしたが1969年に市立高校に移管しています。
また2004年には附属中学校を設置して、現在では中高一貫教育校となっています。
西田さんは高校時代は部活動などをおこなっておらず、帰宅部でした。
また高校1年生の時に進路を決めなければならず、大学に進学するのであれば進学クラスの理系か文系を決める必要がありました。
西田さんは父親に相談したところ「公務員になるんだから別に大学なんて行かなくてもいいんだよ」と言われたことで、進学クラスではなく就職クラスを選択しました。
しかし高校1年生の途中で急にこれでよかったのかと危機感を覚えてしまい、それ以降は進路について考えるようになりました。
そして西田さんは自分が生まれた家から出たいという思いが強くなっていったことから、「関西方面の大学はどうかな?」と近場から提案してみましたが反対されています。
その間にだんだんと東京に行きたいという思いが強くなり、父親に東京の大学に行きたいことを告げても反対される日々が続いています。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「それでも高校生も後半になるにつれてどうしても東京へ行きたい思いが強くなり、『これなら福山にはない、東京でしか学べない』と選んだのが文化服装学院のファッションビジネス科。服飾の専門学校は広島にもあったけれど、ファッションビジネスというのは文化服装学院にしかなくて『これだ!』って。」
それも父親には反対されましたが、祖母が見かねて「行かせてあげて」と言ってくれたことで進学できることになりました。
【主な卒業生】
白石知世(タレント)
そして西田さんは高校卒業後は、上京をして専門学校の文化服装学院(偏差値なし)に進学しています。
この学校は1919年開校のファッション系の専門学校で、数々の数々のファッションデザイナーやスタイリストを輩出しています。
また有名人の出身者も多く、以下の人物たちが出身者です。
高田賢三(ファッションデザイナー)
コシノジュンコ(ファッションデザイナー)
コシノヒロコ(ファッションデザイナー)
ピーコ(タレント)
ドン小西(ファッションデザイナー)
中川美優(アイドル・まねきケチャ)
emma(ファッションモデル)
西田さんは上京した当初のことについてインタビューで次のように話しています。
「上京したばかりの頃は、福山とは何もかも違って本当に戸惑いましたね。専門学校時代は大家さんの家を間借りして2年ほど暮らしました。」
当時はDCブランドが花盛りで着たい洋服がたくさんあったことから、靴屋や雑貨屋、イタリア料理店など様々なところでアルバイトをしていました。
そんな時に友人から誘われたのがモデルだったそうで、専門学校2年生だった1989年からファッションモデルとして活動を開始しています。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「モデルのことなんて何もわからず、とりあえず事務所へ電話しました(笑)。呼ばれたので行ってみたら宣材写真を撮る流れになったんです。そこから少しずつ、仕事をするようになって」
西田さんははじめての撮影では直立不動でカチンコチンでしたが、雑誌編集者には来月もお願いと言われてことで期待に応えようと仕事をするようになりました。
ファッションモデルとしては「non-no」の表紙を飾るほどの人気になっています。
ちなみに西田さんは父親には内緒でモデルの仕事をはじめていますが、父親は知り合いの人から西田さんが雑誌に出ていることを聞いて知っていたそうです。
そして20歳の時に実家に帰省した際には父親から「おまえモデルしよると聞いたんじゃが、就職どうするんだ」と言われて、西田さんはドキッとしてしまいましたが意外にも「好きにしていいよ」と言われています。
西田さんはすでに就職の内定をもらっていましたが断って、芸能活動に専念しています。
23歳だった1993年に、テレビドラマ「オレたちのオーレ」に出演したことがきっかけで、女優に転身しています。
すると1996年に出演した映画「学校の怪談2」などの演技が評価されて、日本アカデミー賞新人賞を受賞しています。
以降は数々の映画やテレビドラマに起用される人気女優になっています。
主演作はほとんどありませんが、確実な演技で作品に花を添えています。
また西田さんはバラエティ番組に出演することはあまりありませんが、ドキュメンタリー番組や旅番組などのメディアに出演しています。
今後の活躍にも期待ですね。
西田尚美の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:広島県 福山市立城西中学校(有力) 偏差値なし
西田尚美さんの出身中学校は、地元広島県福山市内の公立校の福山市立城西中学校が有力です。
西田さんは中学1年生の時に母親を亡くしており、父子家庭に育っています。
また以降は家事一切を担当していました。
そのため部活動などにも参加できなかったようです。
なお母親の死因は胃がんです。
西田さんは中学2年生の時に同級生の男子に告白をして交際をはじめており、高校3年生の時まで同じ人と交際をしていました。
西田尚美の学歴~出身小学校の詳細
西田尚美さんの出身小学校は、地元福山市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の2校のいずれかの可能性がありそうです。
福山市立山手小学校
福山市立泉小学校
家族構成は両親と弟の4人家族です。
ただし前記のように西田さんが中学生の時に母親とは死別しています。
幼少期は人懐っこく野山を駆け回るような自然児でした。
西田さんは子どもの頃に育った場所についてインタビューで次のように話しています。
「海に山に川に、と本当に自然豊かな場所。当時はそれが恵まれているとも知らず、当たり前に海や川で遊び、山ではみかんをもいだり、採った山菜をみんなで食べたりという生活の中で育ちました。当時は自分の住んでいる場所しか知らなかったけれど、今思うととてもぜいたくですよね。」
子供の頃は将来の夢は特になく、インタビューでは次のように振り返っています。
「両親や親せきもほとんど公務員ばかりだったので、いずれそういうふうになるんだろうなと私自身も思っていましたし、親ももちろんそう考えていたみたいです」
なお西田さんが小学校6年生の時に母親が胃がんを発症しています。
以上が西田尚美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初はファッションモデルとして活動していましたが、女優に転身して成功を収めています。
また演技力にも定評があり、貴重なバイプレーヤーとして多くの作品を盛り上げています。